前田玄以ー②:再会――沈黙に滲む忠義の涙
生き残った者―悲哀と決意
言葉はそこで途切れた。玄以の目から、静かに涙がこぼれ落ちる。信長の側にあり、血と謀に慣れた男の、あまりに人らしい姿に、私の胸もまた、締めつけられる思いがした。
この男は、僧形に身を置きながら、都の政を裏より支え、寺社と武家の狭間を渡ってきた。表に立たずとも、織田の世を形作った一人である。その玄以が、今はただ一人の人として涙を流しておる。
信長が死んで以来、こうして私の前で膝を折り、感涙する家臣たちのを目にしてきた。私はそのたびに少々、不思議な気持ちに駆られる。確かに私は信長の唯一の正妻ではあったが、何ほどの者でもない。私には信長ほどの器量も、力もない。
正直、家臣たちに慕われていたという自負など、皆無である。なのに何故ここまで、皆、喜んでくれるのか。それは果たして、本意なのか、と思ってしまわぬでもない。
「玄以。そなたが生きておってくれたからこそ、今日がある」
そう声をかけると、玄以はようやく顔を上げ、濡れた目で私を見た。
「濃姫様が……ご無事であられたこと。それだけで、信長公も、信忠様も……お救いされたようなものにございます」
(それも違うよな……)
最近は、そんな思いも湧く。信長も信忠もうこの世のものではない。私が生きていることが、どんな救いになるの言うのか。誰の救いになるというのか。こうやって皆の者を回るほどに、私はただただ己の無力さを思い知るばかり。
奥へと通され、ひと息ついたところで、私は改めて頭を下げた。
「玄以。信忠の正室と、その御子ら、千代と竹丸。そなたが守り抜いてくれたこと、いかほど礼を尽くしても足りぬ」
「……滅相もない」
玄以は静かに首を振る。
「信忠様の御血を守ることは、信長公に仕えた者としての務め。されど、美弥様は表に出たくないと申されまして……どうした物かと思案いたしましたが、ご意向に沿うようにさせていただきました。人の目を欺き、所在を移し、名を伏せ……一歩誤れば、すべてが露見する綱渡りにございましたが、せめてでき得る限りのことをと、それのみを支えにして参り申した」
その言葉に、私は目を伏せる。見えぬところで流された時と労苦の重みが、静かに胸へ落ちてくる。玄以がふと、脇に控えていた蘭丸へと視線を向けた。
「そなたも、よくぞ濃姫様をお守りしてくれた」
蘭丸は一歩進み、小さく頷く。
「殿の命にてございます」
「そうか……信長公が……」
誰しもが、胸の内に同じ姿を思い浮かべたのであろう。言葉は自然と途絶え、静かな時が流れる。信長の影は、いまなお我らの上に濃く差しておる。やがて、私は口を開いた。
「して……美弥殿は、いかがしておる」
「奥座敷にて、お待ち申しております。御台様がご無事と知り、幾度も涙を流され、まるで夢ではないかと申されておりました」
案内され、さらに奥へと進む。人目を避けるよう設えられた座敷は、華やぎとは程遠く、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。障子越しに差し込む秋の光はやわらかく、庭の木々もゆるやかに色づき始めている。その静けさの中に、長く押し込められてきた時の重みが、ひそやかに沈んでいるように感じられた。
蘭丸は廊下に控え、私はひとり、座敷へと足を踏み入れた。中には、ひとり静かに座していた女がいる。その女は、私の姿を認めるや否や、はっと息を呑み、勢いよく立ち上がった。
「……お義母上様……!」
堪えていたものが一気に溢れ出たかのように、慌ててその場に膝をつき、声を震わせる。
「ご無事で……ご無事でおられたのですね……!」
私は歩み寄り、そっと美弥の肩に手を置いた。
「美弥……そなたも、よう生き抜いた。子らも……」
「はい。御子らも、この地におります。千代も竹丸も……今は寺の中で学び、静かに過ごしております」
涙を拭いながらも、美弥は気丈に微笑んだ。その姿には、母となった女の強さが、はっきりと滲んでいる。信忠、いや、信長の血は、確かにここにある。千代は七つ、竹丸は五つになる頃合いであろう。三法師より年嵩ではあるが、いずれもまだ幼い。守らねばならぬ命である。
ひとしきり言葉を交わした後、美弥は静かに息を整え、私を真っすぐに見据えた。僅かな逡巡ののち、覚悟を定めたように口を開く。
お読みいただきありがとうございます。
リアクション・評価・ブックマーク&感想コメントなど頂けましたら大変励みになります。
今後ともよろしくお願いします。




