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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十六. 重臣たちの真意

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前田玄以ー①:湖畔の静寂――残された血を思う

向かうは織田の血の者

   その五.前田玄以


 敦賀を発ち、北陸道を南へ向かう。折しも十月に差し掛かろうとしていた。道沿いの山々は、なお深い緑を残しながらも、ところどころに黄や紅の気配を宿している。稲田はすでに刈り入れを待つばかりで、藁の匂いが風に混じって漂っていた。行き交う旅人の数は多い。戦の噂、清須の沙汰、羽柴の名――どこへ行っても、同じ言葉が断片となって耳に入る。


「……近江に入れば、空気が変わりますな」


蘭丸が、低くそう言った。


「うむ。この道は、戦を運ぶ道でもあり、都へ続く道でもある」


越前から近江へ抜ける山道は、次第に勾配を増し、朝霧が低く垂れ込めていた。峠を越える頃には、遠く琵琶湖の水面が白く光を返しているのが見えた。


 湖畔へ下りると、空がひときわ広がる。安土の白から見下ろした琵琶湖の景色――あの時は、信長が隣におった。あの者と共に戦場へ赴く夢は、幾度も見たものよ。それが今は、信長のいない世を、このように一人歩くことになろうとは、あの頃には思いも寄らなんだ。


 比叡の山並みを背に、坂本の里を抜ける。かつて明智光秀が居を構えた坂本城が、湖畔に影を落としていた。あやつはこの地を治めるにあたり、焼き払われた比叡の麓を整え、人を呼び戻し、町を再び息づかせたという。武に長けるのみならず、政にも通じた男であった。されど、その行く末があのような形になろうとは、誰が見通せたであろうか。湖からの風が衣の裾を揺らし、胸の内に言い知れぬものを残してゆく。


 ふと、光秀の娘、玉の顔が浮かぶ。たおやかでありながら、内に折れぬ芯を秘めた娘であった。細川は光秀には与せなんだ。時勢を見れば、それもまた道理。なれど、玉を処分した、という話も聞こえて来ぬ様子であるから、生かされたまま、世の目から遠ざけられておるのであろう。細川の者からすれば、光秀の謀反はさぞ困った事態であっただろう。何と言ってもその謀反人の娘を嫁におらっておるのであるから。


 玉もさぞ身の置き所がなかろう。想像するに余りある。果たして再び相まみえる日が来るかどうか。

敦賀を発って幾日か、やがて寺領特有の静けさが、次第に濃くなっていく。杉木立の奥に、堂宇が姿を現した。かつて延暦寺の僧兵が行き交い、都と武家の思惑が幾重にも交差した地。今は、戦乱の喧騒から距離を置き、張りつめた沈黙のみがそこにある。


「……ここか」


西教寺。門前に立つと、すでに若い僧が控えていた。こちらが名を告げるよりも早く、深く頭を垂れる。


「お待ち申しておりました。前田玄以様より、すぐにお通しするよう仰せつかっております」


玄以――武家にありながら寺社を束ね、都の政に深く関わる、いささか異色の男。秀政の文が、すでに届いておるのであろう。私は静かに息を整え、門をくぐった。この一歩が、織田の「残された血」と向き合うものとなる。そう思うと、胸の奥が僅かに重くなる。


 本堂を抜け、奥へ進む。苔むした庭を横目に歩むと、ひときわ簡素な書院が現れた。その前に、一人の恰幅の良い僧が、立ち尽くすようにこちらを見つめていた。


「……濃姫、様……」


前田玄以である。洛中で幾度も顔を合わせた、あの沈着な僧が、今は言葉を失っていた。私の姿を確かめるように一歩、また一歩と近づき、やがて膝を折る。


「……生きて、おられた……」


普段は感情を面に出さぬ男が、今は声を詰まらせ、足取りも定まらぬまま前へ進み出た。深く、深く頭を下げ、そのまま座に崩れ落ちる。


「この玄以……夢を見ておるのかと……。秀政殿より知らせは受けておりましたが、こうしてお姿を拝するまで、信じきれず……文を受け取ってより幾日も指折り数えてお待ちしておりましたが……まことに、まことに……」

お読みいただきありがとうございます。

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