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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十六. 重臣たちの真意

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187/202

前田利家ー⑬:加賀を発つ朝――まつとの別れ

次なる者は?

 利家の屋敷に身を寄せて数日が過ぎた。加賀の夏は湿り気を帯びているが、朝夕には山から涼やかな風が降りてくる。蝉の声が塀や瓦に染み入るように響き、否応なく季節の移ろいを思い知らせる。


 本能寺より二月(ふたつき)あまり。世は静まったように見えて、地の底ではなお火が燻っている。加賀の地も例外ではない。利家は能登を与えられた身であり、北陸の要衝を預かる者として、常に周囲の動きを量っている。かつて越前を治めた柴田勝家の威はなお重く、羽柴秀吉の勢いも日に日に増していると風聞は告げる。北陸三人衆と呼ばれた頃の結束は、今や微妙な均衡の上にある。


 やがて私は蘭丸と共に、次なる客人を訪ねるべく屋敷を発つことにした。いつまでも客として安穏としていては、足が鈍る。乱世は待ってはくれぬ。


 出立の日、まつは早朝にもかかわらず門前まで見送りに来た。薄桃の単衣をきりりと着こなし、凛と立つその姿は、すでに一国を支える女主の風格を帯びている。


「濃姫様……短き日々にございましたが、共に過ごせましたこと、生涯忘れませぬ」


深く頭を下げるまつを見て、胸の奥が僅かに疼いた。別れの言葉は幾度となく交わしてきたが、生者から生者へ向けられるそれは、どこか温かい。


「まつ殿。そなたの誠はしかと胸に刻んだ。利家殿を支え、共に歩み続けるのだぞ」

「はい。いかなる波風が立とうと、利家を守り抜きます。……どうか濃姫様も、ご無事で」


その眼差しは澄み切っていた。ただの惜別ではない。これから来るであろう荒波を承知の上で、なお前を向く覚悟が宿っている。利家は少し離れたところで腕を組み、こちらを見ていたが暫くして、私の前に近寄ってきた。


「濃姫様。ご道中、くれぐれも御身をおいといくだされ。信長様の御恩を受けし身、いざという折は必ずやお力となりましょう」


重臣たる者の声音であった。だがその奥に、主を失った男の寂寥がかすかに滲む。私はまつの手を取り、軽く握った。


「また、ゆるりと語り合う日が来ることを願っておる」


まつは唇を結び、力強く頷いた。そうして私は蘭丸とともに門を出た。振り返れば、利家とまつが並び立ち、静かにこちらを見送っている。あの二人の背は、互いに支え合うように自然と寄り添っていた。


 屋敷を離れ、街道へ出る。青田を渡る風が裾を揺らす。私は歩みながら、己の行き先を改めて思う。

実のところ、この先どの者に会うか、まだ定めきってはいない。それでも発ったのは、城の内に留まれば、やがてその静けさに慣れ、動く理由を失うと感じたからだ。


 私はすでにこの世の理から外れた身。だが志まで失うわけにはいかぬ。近江へ向かうつもりではいる。安土は炎に包まれ、かつての威容は灰となったと聞く。それでもあの地には、信長の気配がなお残っているように思える。


 いずれ羽柴秀吉とも、徳川家康とも顔を合わせねばならぬであろう。秀吉は光秀を討ち、名実ともに天下の耳目を集めた。家康は三河より動かず、静かに情勢を見極めているという。だがその前に、他の者たちの胸中も知っておきたい。


 丹羽長秀のように冷静に局面を見据える者もいれば、滝川一益のように遠国で孤立を余儀なくされた者もいる。それぞれの言葉を聞かねば、全体は見えぬ。進めば、会うべき者は自ずと定まる。私はそう信じることにした。


 歩を進めるたび、草履の下で土が鳴る。その響きが、まだこの世に繋がっている証のように感じられた。進むべき道は、信長が示してくれるであろう。炎の中で交わした最後の眼差しが、今も私の背を押している。振り返らぬ。振り返れば、加賀の屋敷の温もりに足を取られそうになる。乱世は続いている。ならば私もまた、歩みを止めぬ。

お読みいただきありがとうございます。

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