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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十六. 重臣たちの真意

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前田利家ー⑫:乱世の陽だまり――その行方

羨ましき夫婦像

利家は豪胆で鳴らすが、まつの前では強く出られぬと家中でささやかれている。戦支度を急ぐ折も、まつが一言諫めれば耳を傾けるという。北陸の陣中で、兵糧の不足を案じたまつが蔵の管理を改めさせたこともあったと聞く。武辺者の家を保つのは、槍ではなく帳面であることもある。


「そなたたちは似合いの夫婦であるのう」


私が言うと、まつは静かに頭を下げた。


「もったいなきお言葉」


その背筋は真っ直ぐだ。利家を支える覚悟が、その姿に現れている。武家の妻とは何か。ただ涙で夫を待つ者ではない。戦の裏を支え、家を守り、時に夫の驕りを戒める者だ。私は今、時の外を彷徨う身でありながら、その営みをまぶしく思う。信長と歩んだ日々は、決して穏やかではなかった。だが並び立った誇りだけは失っていない。まつの言葉は、その誇りを静かに撫でるようであった。


「姫様が、こうして私どもの前に現れた。それはこの上なく嬉しゅうございますが……ただ事ではない、と胸騒ぎもいたします」


さもあろう、と私は内心で頷いた。本能寺より二月(ふたつき)あまり、京も近江も尾張も、どこを歩いても人々の声は潜められている。表では秀吉が光秀を討った英雄と称えられ、裏では次の主を量る算段が巡らされる。そんな折に、死んだはずの私が現れれば、胸騒ぎの一つも覚えよう。


「まつ殿。この先も、何が起こるか分からぬ世ゆえ……利家殿をしっかりとお支え申して、仲良くやって下され」


私は敢えて柔らかく言った。戦の策を語るより、今は家を守る言葉のほうが重い。


「はい。そのつもりにございます。利家共々、信長様の御恩に報いるべく、濃姫様にお力添えできることを願っております。どうか、遠慮なくお申しつけくださいませ」


まつは深々と頭を下げた。かつて尾張で初めて見た折は、まだあどけなさの残る娘であった。それが今や、幾度も夫の出陣を見送り、帰らぬかもしれぬ夜を越えてきた女の顔をしている。


 利家が若き日に槍を振るい、桶狭間ののち各地を転戦した頃、まつはひたすらに夫の無事を祈り、留守を守った。姉川では朝倉・浅井の兵と刃を交え、血に染まって戻った利家の具足を、自らの手で洗い清めたと聞く。武名の陰には、いつもこの女がいた。私はその誠意を胸に受け止め、静かに頷いた。


「斯様な時でなければ、またゆるりと話をしたいものよ。そなたと語らうと、心が和む」

「勿体なきお言葉、いたみ入ります。はい、是非に。その日が来るのを、楽しみにお待ちしております」


まつは顔を上げ、ぱっと明るく笑った。その笑みは、荒れた世に差す一条の光のようであった。利家がこの女房にどれほどの信を置いているか、言葉にせずとも分かる。利家は豪胆に見えて、内には迷いも怒りも抱える男だ。だがこの女の前では、鎧を脱ぎ、一人の夫に戻るのであろう。


(何とも、羨ましきことよ……)


そう思いながらも、信長との日々を悔いているわけではない。私はあの男の隣に立ち続けた。正室として、時に政の駒として、時に唯一、遠慮なく物を申せる相手として。


 思えば、稲葉山を攻めた折、信長は敵中にあっても泰然としていた。美濃平定ののち、岐阜と名を改めた城から見下ろす濃尾平野を指し、「天下布武」と言い放ったあの横顔。あのとき既に、あの男は己の死に様まで定めていたのやもしれぬ。


 安土築城の折もそうだ。天主を高く高く積み上げ、諸国の者に見せつけるかのように絢爛を尽くした。あれは虚飾ではない。己の志を形にしたものだ。だが同時に、あまりにも高く聳え立ったがゆえに、嫉みも怨みも呼び寄せた。まつは、そんな信長を間近に見てきた私を、なお敬ってくれる。


 だが今は、まだ終わっておらぬ。信長の志も、家臣たちの行く末も、この国のかたちも。まつの笑顔を見つめながら、私は密かに心を定めた。生者の世に姿を現した以上、ただ彷徨うだけでは済まされぬ。乱れた糸を、わずかでも手繰り寄せねばならぬ。


 戦はこれからだ。だがこの座敷に差す小さな陽だまりだけは、しばし守らせてやりたいと思った。

お読みいただきありがとうございます。

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