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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十六. 重臣たちの真意

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183/201

前田利家ー⑨:利家の槍――守るもの

秀吉という男ー濃姫の決意

その声は静かだが、揺るがぬ。座敷の外で風が鳴る。本能寺の炎は消えた。だがその余燼はいまだ人の胸に残る。


「姫様」


利家が低く言う。


「もしさらに真実を求められるなら、京の公家衆や堺の商人の風聞も探るべきかと存じます。戦場よりも、言葉の中に兆しが潜むこともございます」


私は頷いた。静かな座敷に満ちるのは香の匂いだけ。だがその下で、誰もが次の一手を量っている。私はふと、さらに遠い日のことを思い出す。


「若き日の槍働きを覚えておるか」


利家の顔に、懐かしさがよぎる。桶狭間の後、織田は尾張を固め、美濃へ、近江へと転戦した。利家はまだ若く、血気に逸っていた。信長の勘気を蒙り浪々の身となったこともあったが、赦されてからは人が変わったように槍を振るった。


「姉川にて、浅井朝倉と刃を交えた折のことですかのう……」


利家が低く言う。姉川の戦い。徳川家康と並び立ち、浅井長政・朝倉義景を迎え撃った一戦。乱戦の中、利家は敵陣へ深く切り込み、槍で数騎を突き伏せたと伝わる。


「殿は、そなたを叱りもしたが、見ておった」


私の言葉に、利家は顔を上げる。


「あの御方は、働きを決して見落とされぬ。桶狭間後の転戦でも、名もなき足軽の働きまで覚えておられた」


利家の声が僅かに震える。


「わしが一度出奔した折も、最終的にはお許し下された。あのとき、叱責は雷のごとくでしたが……見捨てはせぬと、背で示された」


若き日の過ち。無断で城を離れ、浪人同然となりながらも、戻る道を閉ざされはしなかった。その恩が、利家を織田の槍として鍛え上げた。


「殿は、人を使い潰すだけの男ではなかった」


私は静かに言う。


「そなたの槍が折れぬことを、知っていた」


利家は深く頭を垂れる。


「濃姫様……わしは、殿の天下を守りとうございます」


その言葉は、成政とは異なる響きを帯びている。成政が“主に殉じる”男なら、利家は“形を残す”男だ。北陸の雪原で肩を並べた日々。姉川の濁流に足を取られながら槍を振るった若武者の姿。その全てが、今この座敷に繋がっている。やがて利家は顔を上げた。


「姫様。もしも秀吉が全てを見通し、光秀を討ち、信長公亡き後の天下を握る算段をしておったとしたら……この国は、これから大きく変わります」

「変わる……?」

「はい。武士の家柄よりも、才覚と取り入りの巧みさが物を申す世に。信長公の掲げた革新とは、似て非なる世にございます」


その言葉に、胸の奥がざわめいた。


「秀吉は武士ではないのか」

「武士ではありましょう。されど、信長公とはあまりにも違いまする」


信長は家格に囚われぬが、家を壊すためではなかった。己が覇を唱えるために、新しき秩序を築こうとしていた。だが秀吉は違う。己が頂に立つためなら、秩序そのものを塗り替えるだろう。


利家は深く頭を垂れた。


「どうかお気をつけ下され。姫様ご生存の報せが広まれば、その存在は秀吉にとって脅威となりましょう。今なお信長公を慕う者は多い。柴田勝家も、滝川一益も、信孝殿も信雄殿も、それぞれに思惑を抱えております。その中で、姫様は信長公に最も近い御方」


私は息を整えた。


「されど、いつかは向き合わねばならぬ。逃げ続けては、殿の志も共に土に埋もれよう」


利家は目を閉じ、しばし沈思し、やがて強く頷いた。


「……ならば、わしは命の限りお支えいたします」


その言葉は、単なる忠誠の誓いではない。信長亡き後の乱れた世にあって、なお武士であろうとする男の決意だ。炎を越え、生き残った者たちが選ぶ道。その分岐に、私は立ち会っている。乱世は、まだ終わらぬ。私が考え込んでおると、利家は思い出したように手を打った。

お読みいただきありがとうございます。

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