前田利家ー⑤:北陸道へ――加賀の影に立つ
槍の男ー利家
「……あれが加賀か。かつて殿が、利家は槍のごとき、まっすぐな男よと笑った地よ」
私は目を細める。若き日の利家は血の気が多く、叱責を受けては不承不承に膝を折った。だが戦場に立てば、誰よりも前へ出た。槍一本で己を示そうとする男だった。殿はその単純さを好み、同時に危うさを見抜いていた。
北陸は一向一揆の火が長く燻った地だ。越前・加賀は門徒の力が強く、容易には従わぬ。利家は柴田勝家の与力としてこの地に入り、雪と泥にまみれて戦った。冬の陣は兵を削る。飢えと寒さが士気を奪う。勝家は退かぬ将であり、義を貫く剛直さで兵を縛った。利家はその背を見て、豪放さの奥に耐える術を学んだ。
かつて信長が北陸経略を進めた折、利家は先鋒に立った。城を囲み、降伏を促し、時に刃を振るう。乱取りを禁じる軍律は厳しく、違えれば即座に罰せられた。信長は天下を視野に入れ、兵の規律を何より重んじた。利家はその軍の一将であった。激情はあれど、軍律を違えることはなかったと聞く。
峠を下りると川沿いの緩やかな道が続き、谷間を渡る風は鋭い。木々の影が長く伸び、旅装の裾を冷やす。10日の道のりを重ね、ついに利家の居館が近づく。
「もう少しで利家の館へ着くはずじゃ」
「はい。お姿をお見せになれば、利家はさぞ驚かれましょう」
「……あやつの驚く顔が目に浮かぶわ」
笑みを浮かべながらも、胸の奥では別の鼓動が鳴る。この旅は旧知に会うためではない。秀吉、光秀、そして信長亡き後の天下のうねり。その裏にある真を掴むための道行きだ。利家が何を知り、何を抱え、何を選ぼうとしているのか。己の目で量らねばならぬ。
秀吉はすでに中国大返しで主導を握った。あの迅速さは尋常ではない。対する勝家は北陸にあって義を掲げる。利家はその間に立つ。恩義は勝家にあり、機を見るなら秀吉にある。乱世は選択を迫る。選ばぬことは許されぬ。
道の先に、前田家の旗印が翻るのが見える。梅鉢の紋が風を受け、はためく。
「……蘭丸、いよいよじゃ」
足を止め、息を整える。胸に宿る影が形を持ち始める。
「お方様、前方に」
蘭丸の指す先、木立の間から黒塀が現れる。堅固で、しかとした構え。加賀を預かる将の居館だ。――前田利家の館。
「変わらぬのう。派手で豪胆、己の気質をそのまま構えに映したようじゃ」
苦い笑みがこぼれる。若き日の利家は傾奇者と呼ばれ、華美を好み、奇抜な出で立ちで城内を歩いた。だが戦となれば先陣を切る。信長はその姿を見て、利家は槍だと評した。折れやすいが、真っ直ぐである、と。
もし利家が信長の仇を討つ側に立つなら、勝家と共に動くはずだ。だが秀吉の陣に身を寄せるなら、それは現実を取るということ。どちらを選ぶかで、天下の天秤は揺れる。門前に立つ兵の姿が見える。槍を構え、こちらを窺う。私は歩を進める。利家よ、そなたの目を見れば、分かるであろうか。あの若き日の不器用な炎が、いまも胸に残っているかどうか。
前田家の屋敷が視界に入ると、門前には槍を携えた兵が二列に並び、往来を射抜くように睨みを利かせていた。槍先は揃い、足並みも乱れぬ。北陸を預かる家の構えとして、隙は少ない。
農婦姿の私と蘭丸が近づくと、視線が一斉にこちらへ集まった。ざわりと空気が震える。百姓に向ける目ではない。武士の本能が、こちらの内に潜む異質を嗅ぎ取ったのだろう。近づけば近づくほど、粗衣の下に隠したものが透けて見えるということか。
「……止まれ」
先頭の兵が槍を横たえ、行く手を遮る。声は低いが、わずかに緊張が混じる。
「何用の者か。ここは前田家の屋形である」
蘭丸が一歩進みかけたが、私は軽く手を挙げて制した。旅塵にまみれ、布も粗い。それでも、背筋だけは曲げられぬ。
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