表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十六. 重臣たちの真意

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

177/197

前田利家ー③:山里の灯――束の間の休息

利家という柱の有り様

だからこそ利家は、信長の光だけでなく影も知っている。追放され、なお戻り、再び刃を預けた男。あの出来事があったからこそ、二人の間には奇妙な強さが生まれた。信長にとって利家は、裏切るかもしれぬ男ではなく、一度離れても戻ってくる男となったのだ。今、私が会おうとしているのは、その利家だ。


 一度主を離れ、なお帰った男。では本能寺ののち、あやつは何を思い、誰のもとへ帰ったのか。それを確かめねばならぬ。蘭丸が横目で私を伺い、声を潜める。


「お方様……どうか、ご無理だけは」

「案ずるな。私は大丈夫。少しばかり昔を思い返しただけじゃ」


口にした言葉ほど、心は穏やかではない。利家の名を出すたび、あの時のことが思い出される。夕刻、山里の宿場で握り飯と干し肉を買い求める。裏手の林に身を潜め、焚き火を起こした。しばし体を休める。火の粉が風に舞い、蘭丸の横顔を赤く染める。枝の爆ぜる音が、夜気に溶ける。


「蘭丸。そなたは……利家がどう動くと思う」

「利家様は……今は秀吉様に従っておられるように見えます。しかし、信長様への忠心を捨てたわけではありませぬ。あの方は……二つの心を抱えておられるように思えます」


秀吉の名が出ると、火がひときわ大きく弾けた。秀吉は機を見るに敏い。殿亡き後、誰よりも早く動いた。利家がその傘下にあるのは事実。だが、あの男の胸奥に、殿の影が消えたとは思えぬ。


「二つの心、か」


焚き火を見つめながら、胸のざわめきが収まらぬ。信長という烈日を失った織田家の者たち。その影の形は、誰一人同じではない。光秀が謀反に走り、柴田勝家は義に殉じようとし、秀吉は機を制した。利家は、その狭間に立たされた。疑いたくはない。だが、信じ切ることもまた危うい。


 今、この乱世に柱と呼べる者はおらぬ。ゆえに皆が己の正義を掲げ、刃を抜く。その渦中で味方と敵を見誤れば、命は無い。私の命など惜しくはないが、ここで果てれば、何のためにあの炎から逃げ延びたのか分からぬ。


 火が小さくなり、夜の冷えが忍び寄る。蘭丸は黙って薪を足す。その手の震えを、私は見逃さぬ。利家と会う日が来れば、私は何を問うのか。忠か、野心か、それとも――あの頃と変わらぬ心か。


 炎の向こうに、若き日の殿と利家の姿が重なる。笑い、叱り、剣を交えた日々。その絆が今も生きているならば、利家はまだ、織田の男であろう。だが乱世は、人の心を試す。その答えを確かめるためにも、私は生きねばならぬ。


 夜更け、途中にあった山の民家で一夜の宿を借りた。老夫婦の小さな住まいで、囲炉裏を挟み、互いを労わり合う姿に、胸の奥の強ばりがわずかに解ける。土壁には煤が重なり、天井の梁は黒く光る。戦とは無縁の静かな時が、そこには流れていた。


 信長が最後に洩らした言葉が、ふと蘇る。――「生まれ変わったなら、田を耕してみるのも悪くない」と。あの烈しい人の口からこぼれた、ひどく柔らかな声音であった。夢のような暮らしが今、目の前に在る。


 老夫婦は小さな田畑を守り、慎ましく日を重ねるという。その姿を羨む心が、私の中に確かにある。私は武家の女としての生き方しか知らぬ。政と戦の匂いの中で息をし、それ以外の道を思うたことはなかったはずだ。それでも、この家の温もりは胸を疼かせる。


 農婦が湯気の立つ飯を差し出す。


「粗末な物でございますが……」

「お心遣い、かたじけのうございます」


頭を下げると、農婦は目を瞬かせ、静かに言う。


「あなた様は……武家のお方でございますね」


思わず息を呑む。旅姿は武士の名残を崩し、髪も整えぬ。百姓に紛れたはずであるから、この姿から武家の者だと感じるは難しいかと思うておったのだが。


「何故……」


私がこぼすと、蘭丸が小さく息をついた。

お読みいただきありがとうございます。

いいね・評価・ブックマーク&感想コメントなど頂けましたら大変励みになります。

今後ともよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ