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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十六. 重臣たちの真意

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前田利家ー②:加賀の国――利家という男

利家と信長の亀裂ーそして……

山道の先に、小さな灯が見えた。峠近くの茶屋か、あるいは旅人宿か。今宵はあそこで夜を明かすことになるだろう。利家の城下へ入る前に、情報を集めねばならぬ。加賀の国人衆が何を噂し、誰に従う気でいるのか。


 利家の名は、今北陸で最も重い。胸の内に、わずかな緊張と、奇妙な懐かしさが混じる。利家は、私をどう迎えるか。信長の妻としてか、それとも、厄介な影としてか。峠の風が、低く唸った。しばし間をおいて、蘭丸が静かに尋ねる。


「……では、利家様が黒幕というのは、考えにくいのですね」

「そう願いたい。だが今は、誰であれ疑わねばならぬ。前にも申したが、殿の死は……あまりにも手際が良すぎる。利家もまた、知らぬうちに“流れ”の中へ押し込まれた一人かもしれぬ」


雲間から差す細い光が蘭丸の頬を照らし、彼は唇を固く結んだ。迷いを断ち切るように歩みはわずかに速まる。草を踏む音が、やけに大きく耳に残った。


「お方様。利家様にお会いする前に、さらに警戒を強めましょう。信長様の御台が生きておられると知れれば……誰がどのように動くか、読めませぬ」

「そうじゃな。私が生きておるだけで、誰かの計が乱れる。まあ、遅かれ早かれ、いずれ分かってしまうであろうが」


脳裏に浮かぶのは、あの炎の中で抱いた信長の御首。あれだけは、何人たりとも知られてはならぬ。あれは私の胸の内にのみ在るもの。あの夜の真実を抱えたまま、私は歩いている。


 山を下る途中、小さな集落の外れで農婦が川水に野菜をさらしていた。旅装束の私たちに目を留めはするが、深く詮索はせぬ。水面に揺れる菜の葉は静かで、世の乱れとは無縁のように見えた。その穏やかさを目にするほど、胸の奥を細い刃でなぞられるような痛みが走る。


(あの変事さえなければ……私の日常もまた、続いておったやもしれぬ)


利家と信長の間には、一度、深い亀裂が走ったことがある。まだ尾張が定まりきらぬ頃のことだ。若き日の利家は血気盛んで、気に入らぬ相手とあれば刃を抜くことも辞さなかった。ある折、家中での諍いが刃傷にまで及び、ついに人を斬った。信長は激怒し、利家を召し放った。


 あの時の座敷の空気を、私は今も覚えている。信長は一切声を荒らげなかった。ただ低く、「勝手は許さぬ」とだけ言い放った。利家は膝を折ったまま、何も弁じなかった。言い訳をせぬのが、あやつの不器用なところだ。己の非を認めるでもなく、ただ真正面から叱責を受ける。


やがて利家は尾張を去り、浪人となった。家臣の多くは「あれで終わりだ」と囁いた。だが信長は、その後も折に触れて利家の名を口にした。


「槍は使える」


それだけを、何度か。数年ののち、利家は再び姿を現した。痩せてはいたが、目の光は失っていなかった。帰参を願い出た利家に、信長は暫く沈黙したまま見据えた。その場にいた私は、二人の間に流れる、言葉にならぬものを感じていた。


「今度は、逃げぬか」


信長がそう問うと、利家は即座に答えた。


「逃げませぬ」


それだけだった。信長は鼻で笑い、「ならば働け」と言い捨てた。許しの言葉はなかった。だがそれが許しであった。利家は深く頭を下げ、再び織田の槍となった。


 あれ以来、利家は決して信長の前で背を向けなかった。戦場では常に先陣を願い出て、血を浴びて戻る。叱られれば黙って聞き、褒められれば照れ隠しのように笑う。あの出奔と帰参は、主従である以前に、男と男の意地のぶつかり合いだったのだろう。

お読みいただきありがとうございます。

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