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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十六. 重臣たちの真意

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前田利家ー①:峠を越えて――古き重臣の元へ

待ち受けるのはー敵?味方?それとも……

  その三.前田利家


 谷を吹く風は、昨夜よりどこか生暖かく、落ち着かぬ気配を孕んでいた。この一帯は四方を山に囲まれ、どの方角へ進むにも峠越えが避けられぬ。私たちは加賀へ抜ける谷峠越えを選んだ。細い山道は片側が深い谷へと落ち込み、足を踏み外せばただでは済まぬ。鳥の声と小川のせせらぎだけが響き、時折、木立の奥で獣の気配が走る。


「お方様、足元が悪うございます。お気をつけて」


蘭丸が落葉を踏み分け、斜面の枝を押し開くようにして進む。その背は細いが、動きに迷いがない。信長の小姓として鍛えられた身のこなしは、山道でも乱れぬ。私は息を整えながら、その背を追った。


 山あいを抜け、峠の頂へ出る頃には朝霧は消え、白んだ陽光に溶けていた。日差しが強まり、額に汗が滲む。遠くに加賀の平野が霞み、その先に利家の領する地が広がっていると思うと、胸の内がざわめいた。


「お方様……少し、お疲れでは」


隣に並んだ蘭丸が、控えめに声をかける。確かに、五十に手が届く歳の私と、まだ十七歳の蘭丸。体力の差は歴然としておる。とはいえ、ここで弱音は吐けぬ。


「案ずるな。身体よりも、心が騒いでおるだけじゃ。長秀との話で……また別の影が見えた気がしてな」

「……秀吉様、でしょうか」

「まだ断じられぬ。しかし、あやつは必ず動く。清須にて主導を握り、三法師を掲げて正統を名乗った。あれで満足する男ではない。私が生きていると知れれば、その動きはさらに速まろう」


利家もまた清須会議に居並んだ一人だ。あの場で利家は秀吉に与し、勝家と距離を置いた。それは利家なりの判断であろうが、その胸中までは測れぬ。本意か策か。利家は一度は織田家を出奔し、信長に叱責され、再び召し抱えられた過去を持つ。若き日の派手な振る舞い、傾奇者と呼ばれた時代、槍を振るえば鬼神のごとく、だが情に流されやすい。その全てを、信長は知っていた。


 夕刻まで歩き続け、山道が闇に沈みかけた頃、私はふと背後の気配に足を止めた。蘭丸もすぐに察し、腰の太刀へ手を添える。


「お方様……」

「いや……ただの杞憂かもしれぬ。しかし油断はできぬ。私の存在が誰かの障りとなるのなら、こうして旅を続けるうち、いずれ生存は知れ渡ろう。刺客の一人や二人、出てきても不思議ではない」


蘭丸は静かに頷いた。その横顔に、年齢に似つかわしくない覚悟が宿る。信長が最後までそばに置いた理由が、今なら分かる気がする。


 道を進むにつれ、空気は一層ひんやりと澄み、山影が濃くなる。遠くで鳥が短く鳴き、夜気がゆるやかに降りてくる中、蘭丸がふいに尋ねた。


「利家殿は、殿にとって……いかなる御方でございましたか」


その問いは、私の胸にも重く沈んでいた。


「利家は……殿が“古き友”と呼べる数少ない男よ。尾張の頃からの付き合いだ。若き日は放埒で、喧嘩も多く、信長に叱られては笑っておった。だが戦場では違う。桶狭間の後も、長篠でも、常に最前に立った。槍働きは見事で、家中の誰もが認めておる」


私は歩みを緩め、記憶を辿る。


「だが利家は、ただの武辺者ではない。人が死ぬ場では誰よりも義に厚い。家臣を見捨てぬ。己の面目より、情を取ることもある。殿は……そこを気に入り、同時に恐れておった」

「恐れて……ですか」

「うむ。利家は殿の影を知っておる。冷酷と評される決断の裏にある孤独も、猜疑も。利家は遠慮なく物を申すゆえ、殿にとっては鏡のような存在であった」


本能寺ののち、利家は一時勝家に近づきながら、やがて秀吉へ傾いた。それは保身か、見極めか、それとも織田の血を残すための選択か。利家の胸中には、複雑な計算と、単純な情が入り混じっているはずだ。


「利家が何を知っておるか、それを確かめねばならぬ。あやつは嘘が下手だ。顔を見れば分かる」

「では……利家殿は、真相に近いと」

「さあ、そこまで深読みするような者でもない。じゃが少なくとも、清須の空気を肌で知っておる。秀吉と勝家の間で揺れた者の一人だ。その揺れこそが、今の世の縮図よ」

お読みいただきありがとうございます。

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