丹羽長秀ー⑫:柱を遺す者――道を往く者
長秀の思いー忠義と家
私の言葉に、蘭丸はきゅっと唇を噛んだ。その小さな仕草に、年相応の迷いが滲む。森の家に生まれ、信長の小姓として育ったこの若者にとって、主を失うということが何を意味するのか、私は嫌というほど知っている。
「我が主君は、生涯において信長公ただお一人。本能寺のあの夜、生き永らえたのは……ただ主君の御心を守るため。お方様と運命を共にすることこそ、我が宿命と心得ておりまする」
真っ直ぐに向けられた瞳には、一点の曇りもなかった。迷いはあった。この先、どれほどの危難が待ち受けているか分からぬ道へ、この若者を連れて行ってよいのか。だが、その一途な眼差しを、私自身が退けきれなかった。
「……そうか」
口では短くそう返しながら、胸の内では、蘭丸の心根を嬉しく思い、供をしてくれるという事実に、確かな心強さを覚えていたのも事実だ。信長のそばにいた頃から、この少年はいつも、黙って半歩後ろに立ち続けていた。その姿が、今も変わらずそこにある。
そして翌朝。私は蘭丸とともに、長秀の城の門前に立っていた。これまでと同じく、農婦の母娘に身をやつしている。粗末な着物の袖口に、知らず力が入った。
「長秀……そなたの言葉、しかと胸に刻んだ。殿が信じた家臣の一人として、私もそなたを信じよう」
長秀は深く膝を折り、眉を伏せた。
「お方様……どうか、御身を第一に。真相を追う道は、殿の遺志を継ぐ道であると同時に、多くの刃が潜む、究めて危うい道にございます」
その声音には、ただの忠告ではなく、止めたいという本音が微かに滲んでいた。かつて信長の命を受け、数々の調略と政を担ってきた男だからこそ、この先に待つものが見えているのだろう。ただ、止めたい、私の命を案じる、というだけでない、何か。私は静かに首を振った。
「それでも、行かねばならぬ。殿は……最後の瞬間まで、天下を『見届けよ』と言うておった。私だけが、その言葉の続きを知り得る」
長秀はしばし沈黙し、やがて顔を上げた。その瞳には、覚悟と、別れの痛みが同時に宿っていた。
「ならば――必ず、生きて戻られよ。どれほど世が移ろうとも、私はお方様の……味方にございます」
私は小さく頷いた。
「その言葉、何より嬉しく思うぞ。そなたの忠、決して忘れぬ」
城から暫く歩き、ふと振り返ると、長秀はなおも深く頭を垂れたまま、朝の光に包まれていた。静かに立ち尽くすその姿は、まるで信長が遺した“柱”の一本が、今もそのまま形を保っているかのようで、胸が締め付けられた。
「長秀……」
思わず名を呼ぶと、聞こえたわけでもあるまいに、私の声に呼応するかのように彼はゆっくりと顔を上げる。
「……また、会うぞ。必ずな」
私がそう言うと長秀は再び強く頷いた。
「はい……必ず」
その一言を聞き届け、私は踵を返した。背に注がれる長秀の眼差しが、いつまでも離れずに残る。
(次に会うとき、そなたは果たして味方か……)
そんな思いがふと私の胸をかすめた。越前・大野。朝霧が谷に沈む頃、私は蘭丸とともに館を発ち、北国街道へと足を向けた。加賀へと続く道の先に何が待つのかは分からぬ。
ただ、胸の奥では長秀の沈痛な表情がまだ燻っている。忠臣であったがゆえに、今も迷いの中にいるのだろう。己では下せぬ答えを私に託したのか、それとも、本心では、最後まで止めたかったのか。
そのどちらでもあったのか。信長の心はまだ生きている、そう思わせてくれもしたが、だからこそ生じる迷いもあるのであろう。
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