丹羽長秀ー⑦:手際が良すぎる帰還――疑惑の胸中
長秀が知る本能寺前後の不穏な動き
「……信じられぬ。いや、信じたい……あの本能寺の災厄より、生き延びておられたとは……」
言葉を切り、深く息を整えてから、改めて頭を下げた。
「……まずは、ご無事で何よりにございます」
その誠意に胸の奥が熱くなり、私は静かに座した。蘭丸も私の横に膝をつき、背筋を正す。
「しかしながら……ならば、なぜすぐに私を頼っては下さらなかったのか」
「すまぬ。まずは、この者の身内を訪ねておった」
その言葉に、長秀は私の傍に控える蘭丸へ視線を向ける。
「この者は……お方様の侍女にございますか」
まだ女人の姿のままであったことに気づき、私は思わず微かに笑った。長秀は首を傾げる。蘭丸は一つ咳払いをし、頭を覆っていた布を外して深々と頭を下げた。
「お久しぶりにございます。森蘭丸にございます」
その名に、長秀はしばし言葉を失い、まじまじと蘭丸を見つめた。
「森……蘭丸。そなたも本能寺にて討死したと聞いておったが……」
「信長様の命を受け、お方様をお守りするため、旅のお供をしております」
「……そうであったか」
長秀はしばし沈黙し、やがて苦笑を含んだ声を漏らした。
「いやはや……見事な変わりようよ。娘御と言われても疑わぬ。姫と申しても、十分に通りましょうぞ」
その言葉に、張り詰めていた空気がわずかに和らいだ。
「そちも、そう思うか?」
私の問いに長秀が静かに頷くと、蘭丸は少し気まずそうに視線を逸らし、耳まで赤く染めた。
「お方様も、長秀様も……どうか、そのように揶揄わないで下され」
ほんの束の間、座敷の中で張りつめていた空気が、一瞬だけ緩んだ。あの夜以来、重く沈みがちであった蘭丸の声に、かすかな若さが戻ったのを、私は確かに感じ取った。私は改めて背筋を正し、居住まいを改めて長秀と向き合う。
「長秀。急な訪れであったにもかかわらず、こうして迎えてくれたこと、心より感謝する」
ひと呼吸置き、胸の奥に溜め込んできた言葉を選ぶ。
「本能寺の真相を探るため、そなたの助けが要る。あの夜より、私の胸に降り積もった疑念――秀吉の動きについて、そなたの考えを聞きとうてな」
長秀の表情が、ほんの一瞬だけ陰る。その変化は僅かであったが、長年人の顔色を読んできた私の目には、はっきりと映った。
「……やはり、そこをお聞きになりますか」
「無論よ。信長の死、そして間を置かぬ光秀討伐。その裏には何もなかったのか、私は真実が知りたい。そなたは秀吉と合流し、山崎へ向かったであろう」
長秀は静かに目を閉じ、短く息を吐いてから頷いた。その仕草は、迷いと覚悟を同時に抱え込む者のそれであった。
「本能寺の変を知ったのは、中国より引き返す直前でした。羽柴秀吉は“毛利と和睦が成った、直ちに畿内へ戻る”と触れを出しました……」
言葉を切り、長秀は私をまっすぐ見据える。
「お方様、あれは、あまりにも手際が良すぎました」
その一言で、胸の奥に沈めていた感覚が静かに浮かび上がる。
「そなたも、同じように感じておったか」
「はい。秀吉は、本能寺の変を、まるで“起こると知っていた”かのような速さで動きました。その後の采配も、あまりに手際が良すぎた」
長秀は畳に指を置き、押さえつけるようにして声を落とす。
「光秀の挙兵に驚いたというより……“待っていた”かのような動き。備中高松からの撤退も、軍勢の乱れ一つなく、すでに決められていた道を進むようであった」
「そのような思いを抱いておったのに、そなたはなぜ秀吉に与した」
問いは厳しく響いたが、責めるつもりはなかった。
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