第五話 彼女は雲外蒼天を望む
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
天高い位置に陣取っていた太陽は徐々にその高度を下げて西へと沈み行こうとしている。
文明社会の中ではそろそろ翌日の予定、若しくは夕食の献立を考える時刻に差し掛かるのだが生憎此処は文明社会から外れに外れた場所にあるのでそれらを考える必要は無い。
今、必要なのはこの世界の運命を別つであろう会議を行っている者達の身体を労う事。
此処で過ごす間は体に負担を掛けぬ様に心掛けそして気持ち良く次の会議に臨める様に全身全霊の力を掛けて環境を整えるべきなのだ。
「ふぅ――……。大方設置完了といった所か」
指定された天幕の設置を滞りなく済ませ、天幕の中に寝具及び生活必需品の運搬を終えると訓練場の資材置き場周辺で額に浮かぶ汗をクイっと拭う。
えぇっと……。枕に毛布に、敷布は搬入済みだろ?? それに小さな机に木製のコップと飲酒をされる方様にお酒の配布も済ませたし……。
己が設置した天幕と資材置き場周辺に散らばっている資材を交互に見つめて忘れ物は無いか確認して行く。
「よいしょっと……。この辺りの皺がまだ気になりますよねぇ……」
あはは、アレクシアさん?? そんなに完璧を求めていたらアッという間に日が暮れてしまいますよ??
ある程度適当が許された箇所は適度な労力を与え、決して妥協が許されない場所には全力を尽くす。
これが仕事を滞りなく済ませるコツなのですからね。
そうは言うけど何だか俺も心配になって来たぞ……。
天幕の中に搬入した物資が不足していないかどうか、その最終確認を済ませる為に今も頑張って天幕の皺を伸ばしているアレクシアさんの方角へ向かって歩みを進めようとすると澄んだ声が俺の足を止めた。
「レイド、お疲れ様」
「カエデか。うん、お疲れ」
中々に機能性に溢れる訓練着に着替えた彼女の額には俺と同じ様に小さな汗が浮かび、訓練着のそこかしこには埃や土汚れが目立つ。
沢山運動した証拠である彼女の訓練着の汚れを見つめていると俺の視線に気付いた彼女が己の体に視線を落とした。
「何か変かな??」
「あ、いや。程良く汚れているなって」
「皆さん朝から頑張って働いていますからね。隊を纏める私が綺麗な訓練着のままじゃ示しが付かないので」
ふんすっと可愛く鼻息を漏らして控え目に胸を張る。
「作業は順調に進んでいるんだけどさ……。そのぉ……」
「何??」
「えっと、グシフォスさんの容体はどうかな??」
可愛く小首を傾げる彼女に問うた。
今から遡る事一時間前?? 位に突如として激昂したフィロさんと狼狽えるグシフォスさんが平屋の中から出て来た。
状況が掴めぬ俺達は戦々恐々の想いで二人の様子を見守っていたのですが、案の定と言いますか様式美と言いますか。
怒り心頭のフィロさんがグシフォスさんの体に拳を捻じ込み、彼の体は強風に吹かれて街の何処かへと流れ行く紙屑の様に吹き飛ばされてしまった。
俺達が大丈夫ですかと問うたのなら。
『何も心配は無い。今日、俺が過ごす天幕は何処だ』
『父さん!! こっちよ――!!!!』
『あそこか。それでは失礼する……』 と。
泥酔した酔っ払いの千鳥足にも劣る足取りで元気良く右手を振っているマイの下へと進んで行ったのだ。
それから彼の体の心配したカエデが一旦作業を中止して往診を開始したのです。
岩が破壊される時の音よりも更に大きな打撃音が発生したもんな。そりゃ心配になるのは当然だよ。
「打ち身程度でしたので軽い治癒魔法で治療を終えました」
「おっ、それは何よりだな」
会議は一日じゃ終わりそうに無いし。明日に響いたら一大事ですもの。
と、言いますか。フィロさんの一撃を真面に食らって打ち身程度で済ますって……。
流石龍一族の頂点に立つ御方だと感心する一方で、昔からあぁして耐久面を半ば強制的に鍛えて来たのだろうという居たたまれない気持ちが同時に湧いてしまう。
治療を終えてから再び平屋に戻って行ったけど大丈夫かな??
万が一、先程の一撃を再び頂戴したのなら幾ら体が頑丈なグシフォスさんでも再起不能に陥ってしまう可能性があるのでもう一度あのやり取りが開始されたのなら可能な限り制止してみよう。
勿論?? とばっちりを受けない距離から試みますよ?? 誰だって怒れる母龍の攻撃を頂戴したくないですからね。
「怪我自体は軽傷でしたが問題は心に刻み込まれた恐怖ですね。体の傷は治療出来ますが心の治療までは出来ません」
「え?? グシフォスさんが恐怖で震えていたの??」
「震えてはいませんでしたよ。只、彼の目には確実に怯えと言う文字が浮かび上がっていました」
屈強な龍一族を一手に纏める彼が恐怖を覚える程の暴力って……。
流石、師匠達を引き連れて大冒険を繰り広げていただけはある。
只これは見習うべきでは無くて反面教師にすべきでしょう。何せ此方の分隊には。
「ユウ!! テメェが無駄に引っ張るから天幕がずれちゃったじゃん!!」
「おぉ、わりぃわりぃ」
「ちゃんと謝れや!!!!」
「いってぇなぁ!! 誰の尻に上等ブチかましてんだよ!!!!」
「ふぁふぁなせ!! この破廉恥ふぁふぃふぃを持つうふぃが!!!!」
友人に対して謝罪を送るよりも己の理不尽な道理を貫く為に暴力行為を働く方々がたぁくさんいらっしゃいますのでね。
と言いますかユウさん?? それ以上彼女の頬を握り締めたら潰れてしまいますよ??
徐々に顔の輪郭が歪な楕円形になっていくマイの可笑しな顔を訝し気な表情で見つめていると。
「私も彼女達の様に好き勝手に暴力を揮えば少しは話を聞いてくれますかね??」
普段は大人しい海竜さんからとんでもなく肝が冷える言葉が出て来てしまった。
「そ、それだけは勘弁して下さい。カエデまで暴力行為に躊躇が無くなったら誰がそれを止めるのかな」
「ふふっ、冗談という奴ですよ」
カエデが少しだけ、そうほんの少し。親しい間柄の者にだけしか見せない彼女特有の優しい笑みを浮かべると自分の体温が一度、二度程上昇してしまうのを捉えた。
う、うむっ。本日も可愛らしい笑みで御座いますね。
御蔭様で午前から今に至るまでに蓄積された疲労が消し飛びましたよっと。
「そ、そっか。うん、カエデは今まで通り真面目で居て下さい」
羞恥を誤魔化す様に鼻頭をポリポリと掻いていると平屋の戸が静かに開かれ不機嫌な顔のミルフレアさんが此方に向かってやって来た。
「……っ」
端整な御顔が台無しになってしまう程に眉間に皺を寄せ他者を寄せ付けない憤怒を身に纏う姿は以前、ラミアの里で会敵した姿を否応なしに彷彿させた。
まさか会議は決裂したのか??
「カエデ、もしかして……」
「それは分かりませんね。彼女に直接聞いてみましょう」
全てを言い終える前に俺の考えを理解したカエデがミルフレアさんに向かって静かな足取りで向かうので俺も彼女の小さな背を追った。
「お疲れ様です。ミルフレアさん」
声が届く距離に到着すると相手の労を労わる優しい口調で話し掛けた。
「え?? あぁ、お疲れ様」
俺とカエデの姿を見付けると眉間の皺の深さが僅かばかりに浅くなる。
「会議は終わりましたか??」
「いいえ、終わっていないわよ」
会議が終わっていないのに彼女が表に出て来た理由は……。
「私は戦いに参加出来ない。それを伝えて今から帰る所よ」
やっぱりそうか。
そうじゃなければ大切な会議の途中で席を外す訳無いもんな。
「それは何故ですか?? これから始まる戦いは世界の命運を駆けたモノになります。それを自分の都合だけで不参加を決めるのは些か早計かと」
カエデが厳しい口調で問う。
「ハハ、あんたもアイツ等と同じ様な台詞を吐くのね。ふぅ――……、じゃあ教えてあげるわ」
ミルフレアさんがフっと悲しい瞳に変わると俺の目を直視した。
「これから始まるのは自分の親よりも私の事を深く愛してくれた人を殺す為の作戦なの。頭のイカレタ連中なら何の疑問も持たずに参加するでしょう。でも私は人並みの感情を持つ者。それにレイドの母親には返し切れない程の沢山の恩があるのよ。それらを加味した結果、私は不参加を決めたの」
己の感情一切隠す事無く俺達に話してくれたのはとても喜ばしい事なのだが、どうやらカエデはミルフレアさんの決断に不満を持っている様だ。
「ミルフレアさんの力があればより円滑に作戦を進める事が出来ます。それにより負傷者若しくは死者を減らす事が出来る。それでも貴女は参加しないのですか??」
普段よりも鋭い角度の眉のまま彼女に問う。
「効率ねぇ……。じゃああんた達はそれから目を逸らそうとしているから敢えて尋ねてあげるわ。貴女達は城に突入してレイドの母親を殺す任務を与えられている。それがもし成功したのなら…………。彼からどんな目を向けられると思っているの??」
「ッ」
カエデがミルフレアさんの言葉を受け取ると一瞬だけハッとした表情を浮かべて俺を直視した。
「まさか今まで通りだと思っているのかしら?? そんな訳無いじゃない。己の肉親を殺されて心穏やかに出来ると思っているの?? それも漸く出会える本当の肉親。貴女達に向けられるのは友愛じゃ無くて………………。憎悪よ」
ミルフレアさんの言葉は確かに的を射ている。
誰だって血の繋がった親を殺されれば感情が揺さぶられる事だろう。それでも俺は……。
「カエデ、安心して。俺がカエデ達を憎む事は無いからさ」
この世に生まれて二十三年。俺は孤児院で天涯孤独で生まれ育って来た。
育ての親の顔は脳裏に焼き付いて離れないが生みの親の顔は先程、記憶の勾玉で初めて見たのだ。
その生みの親が大罪を犯そうとしている。
この世界に住む数えきれない命とたった一人の命を天秤に掛けたらどちら側に傾くのか、それが分からない程俺は愚かでは無い。
そして、世界の命運を託されそれを実行した彼女達を恨む事は決して無いだろうさ。
「レイド……」
カエデが俺の言葉を受け取ると不安そうな表情が消え去りその代わり親しき友に送る柔らかい瞳で此方を見つめた。
「その時がくれば私が言っていた事が理解出来る筈よ。それじゃ失礼するわね」
「ミルフレアさん。その……、どうしても俺達に力を貸す事は出来ないのでしょうか??」
空間転移の準備の為に魔力を高め始めた彼女の背に問う。
「――――。兵は貸すと伝えたわ。後はそれだけで何んとかして頂戴」
彼女が寂しそうな声色でそう話すと目を開けて居られない程の光量を放つ眩い魔法陣が地上に浮かび上がり、それから数秒後。ミルフレアさんの姿は訓練場から消失してしまった。
「良かったな。兵は貸してくれるってさ。――――――。カエデ??」
魔法陣が浮かび上がっていた場所に向かって鋭い視線を向けている彼女の横顔に話し掛けた。
「え?? え、えぇ……。只でさえ兵が少ないのにそれは嬉しい知らせですよね」
「何か気になる事でもあったの??」
「いえ、お気になさらず。それではまだ物資の搬入が終わっていないので失礼しますね」
カエデが鋭い視線を保持したまま資材置き場から物資を手に取ると己の作業場へと向かって行った。
あの鋭い視線は恐らくミルフレアさんに対してのモノだったのだろう。
カエデは凄く真面目でこれから始まる一大作戦の重要性を誰よりも深く理解して、そして誰よりも強い決意を持って臨もうとしているのだろうさ。
「レ――イド様っ。もう間も無く天幕の設置を終えますのでぇ。設置し終えた天幕の中でアオイとあつぅい一時を過ごしませんかっ」
過ごしませんよっ。
「あんっ。もぅ――……。折角肯定と書かれた枕を置きましたのにぃ……」
あの枕、まだ捨てて無かったんだ。そんな事よりもそろそろ迎えの準備に取り掛かるとしましょうかね……。
俺達の粗相で族長達の機嫌を損ねてしまったら一大事ですので。そしてアオイと不必要な距離を保ったこのままの状態だと。
「ガルルルルゥゥ…………」
随分と遠くに居るのにも関わらず此方の状況を敏感に察知してしまった覇王の娘さんから暴力なんてメじゃない威力の攻撃を食らう蓋然性がありますからね。
蜘蛛の御姫様の淫らに絡みつく両腕をキチンと解除すると、徐々に夕闇に染まり行く空の下を重い足取りのまま今も重く閉ざされている平屋の戸へと向かって行ったのだった。
お疲れ様でした。
花粉症が酷い為、本日の投稿はいつもより短めとなってしまいました。大変申し訳ありません。
花粉に負けない様に執筆を続けているのですがこの季節はど――も筆の進みが遅くなってしまいます……。
読者様の期待に応えられる様に引き続き執筆活動に励んで行きたいと考えております。
それでは皆様、お休みなさいませ。




