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第7話 目覚める紅い瞳

 紅き瞳が開かれる。


 その瞬間、洞窟を満たしていた白銀の光が静かに揺らいだ。


 レンリは思わず息を呑んだ。


 少女は棺の中で身じろぎ一つしない。


 ただ、その紅い瞳だけがゆっくりと動き、世界を確かめるように周囲を見渡していた。


 長い眠りから目覚めたばかりだというのに、その姿には衰えも混乱も見当たらない。


 白銀の髪は淡い光を受けて輝き、整いすぎた容貌はどこか現実感を欠いていた。


 生きた人間というより、精巧な人形がそのまま命を得たような不思議な印象がある。


 やがて少女の視線がこちらへ向いた。


 敵意はない。殺気も感じない。


 それなのに、レンリの背筋には妙な緊張が走った。


 感情の読めない紅い瞳が、ただ静かにこちらを映している。


 その視線を受けているだけで、自分の方が落ち着かなくなってくる。


「えっと……」


 何か言わなければならない気がした。


 だが、何百年も封印されていたかもしれない少女に対する正しい挨拶など、レンリは知らない。


「あー……おはよう?」


 言った直後に違うと思った。


 案の定、少女は何も答えない。


 ただ、小さく瞬きをしただけだった。


 沈黙が落ちる。


 気まずい。


 ものすごく気まずい。


「いや、ごめん。今のは忘れて」


 頭を掻きながら苦笑した、その時だった。


 少女がゆっくりと身体を起こす。


 その動作には妙な静けさがあった。


 長い眠りから目覚めた人間とは思えないほど自然で、どこか機械的ですらある。


 そしてレンリは、そこでようやく一つの問題に気付いた。


「あ」


 一瞬思考が止まる。


 数秒後。


「いや、いやいやいや!?」


 慌てて視線を逸らした。


「ちょっと待って! 待って、待って!」


 少女は不思議そうに首を傾げる。


 どうやら何を慌てているのか分かっていないらしい。


「普通こういうのって、一緒に服も残ってたりしない!?」


 誰へ向けたのかも分からない文句が飛び出した。


 もちろん返事はない。


 少女は相変わらず無表情だった。


「ええと……服だ、服!」


 レンリは慌てて術式を展開する。


 指先から溢れた蒼い光が空中へ広がり、幾重もの術式を描き出した。


 即席の魔装術式。


 本来は防護や補助を目的とする術だが、簡単な衣服程度なら形成できる。


「動かないでね」


 少女は無言のままレンリを見る。


 蒼い光がふわりと少女を包み込み、その輪郭に沿うように形を変えていった。


 白と淡い水色の光が重なり合い、一着の衣装として結実する。


 やがて光が消える。


 そこに立っていたのは、白と水色の装束を纏った少女だった。


 白銀の髪。


 紅い瞳。


 白を基調とした衣装。


 洞窟の薄闇の中で、その姿だけが不思議なほど鮮明に見える。


 人形に命が宿った。


 そんな言葉が、不意に脳裏をよぎった。


 もし今がこんな状況でなければ、もう少し落ち着いて観察していたかもしれない。


 だが現実は、その余裕を許してくれなかった。


 ガリッ、と岩を削る音が洞窟に響く。


 続いて肌を刺すような冷気。


 レンリの表情が引き締まった。


「……そうだった」


 忘れるはずがない。


 終わっていない。


 何一つ。


 洞窟の奥では巨大な影が蠢いていた。


 八つの紅い瞳。


 白く凍りついた外殻。


 蜘蛛の魔族。


 だが、先ほどまでとは様子が違う。


 魔族は動いていなかった。


 ただじっと少女を見つめている。


 まるで得体の知れない何かを見極めようとするように。


『ギギギイッ……妙だ、な』


 低い声が響く。


 蜘蛛の脚がわずかに動いた。


『何だ、そいつは』


 レンリは眉をひそめた。


 あの魔族が警戒している。


 二日もの間追い回されてきた相手だからこそ分かる。


 先ほどまでの余裕は消え失せて、本能的な警戒だけが残っている。


 少女もまた、蜘蛛の魔族を見た。


 紅い瞳が静かに細められる。


 しばらく沈黙が続く。


 洞窟を満たす冷気だけが、二人の間を流れていく。


「あれは……」


 やがて少女が小さく呟いた。


 鈴の音のような声だった。


「魔族」


 ただ、蜘蛛の魔族を見つめ続けて。


 そして。


「倒さなくては」


 告げるように呟いて。


「――え?」


 思わず聞き返してしまう。


 だが、少女は視線を外さない。


 紅い瞳は蜘蛛の魔族だけを見据えている。


 その様子に冗談の色はなく、むしろ当然のことを口にしたようにしか見えなかった。


 だからこそレンリは慌てる。


「いやいやいや!」


 レンリは反射的に叫んだ。


「待って! ちょっと待って!」


 目の前にいるのは魔族だ。


 二日間も自分を追い回し、あと少しで命を落としかけた相手。


 こんな小柄な少女がどうにかできる存在ではない。


 そう思うのが普通だった。


 だが少女は首を傾げるだけだった。


 まるで何を慌てているのか理解できないと言いたげに。


 そして一歩、前へ出る。


 レンリの前へ。


 庇うように。


「え……」


 言葉が続かなかった。


 目の前にある背中は驚くほど小さい。


 肩幅も細く、体格だけなら自分より幼く見える。


 それなのに、その姿から目を離せなかった。


 洞窟を満たす冷気の中で、白銀の髪だけが静かに揺れている。


 その背中を見つめていると、理由の分からない安心感が胸の奥に生まれていた。


『……』


 蜘蛛の魔族が沈黙する。


 八つの瞳が細められた。


 洞窟を満たしていた冷気が、わずかに揺らぐ。


『貴様――』


 低い唸り声が響く。


『――何者だ』


 少女は答えない。


 ただ静かに魔族を見据えていた。


 紅い瞳だけが、まっすぐにその姿を捉えている。


 張り詰めた空気が洞窟を支配する。


 冷気の流れさえ止まったような錯覚を覚えるほどの静寂。


 その中心で、白銀の少女と蜘蛛の魔族は互いを見据えていた。


 戦いが始まろうとしていた。

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