第48話 流れの先に
次々と流れ出る水が、部屋を満たそうとしていた。
濁った水は床を覆い、足首から膝へと、少しずつ水位を上げていく。
天井に開いた穴からは絶え間なく水が流れ込み、狭い部屋の中で行き場を失った流れが、壁や床へぶつかって不規則な渦を描いていた。
レンリはリセナの手を握ったまま、もう片方の手を頭上へとかざした。
押し寄せる水の流れを、魔力にて捉える。
「レンリ……?」
リセナが、何をするのかとでも言いたげに声を出す。
「リセナ、息止めには自信ある?」
「え……?」
レンリは魔力を集中させ、荒れ狂う水流へと術式を組み上げていく。
「――奔流操式!」
掲げた手の先で、水面が大きく揺らいだ。
部屋を満たしていた水が、一斉に流れを変える。
床を覆っていた水が、何かに引かれるように一箇所へ集まり始めた。
いくつもの流れが一点へと収束し、互いに絡み合いながら激しく回転する。
やがて、レンリの掲げた手を中心に、大きな渦が生まれた。
レンリはその水流を操りながら、天井の穴へ意識を向けた。
天井の穴からは、今も大量の水が流れ込んでいる。
これだけの水を、この部屋の中で生み出しているとは考えにくい。
ならば、あの水は――あの穴の先にある何処かから流れてきている。
レンリは水の流れをさらに操った。
渦を巻いていた水が、少しずつ形を変えていく。
集めた水を、天井の穴へ向かわせる。
やがて、水流が一本の流れへとまとまっていった。
レンリは、その流れの先を見上げる。
「……これなら」
水流に乗れば、あの穴の向こうへ行ける。
「リセナ、行くよ!」
返事を待つことはしなかった。
レンリは握った手を離さないまま、作り上げた水流へ身を投じる。
「――っ!」
二人の身体が、強い水の流れに押し上げられた。
冷たい水が全身を包み、視界が白く塗り潰されていく。
身体の向きも分からない。
それでも、握った手だけは離さなかった。
指先から伝わる感触が、リセナがそこにいることを教えてくれる。
レンリはその手を強く握りながら、水流に身を任せた。
そして――。
突然、身体が水の外へと放り出された。
「――げほっ!」
冷たい夜気が肺へ流れ込み、レンリは激しく咳き込んだ。
濡れた髪から水滴を落としながら、顔を上げる。
そこに広がっていたのは、先ほどまでの閉ざされた船内ではなかった。
夜の海が、甲板の向こうに広がっている。
濡れた甲板を踏む波の音が、すぐ近くで響いていた。
「リセナ、大丈夫?」
レンリは息を整えながら、隣へ視線を向ける。
「なんとか」
紅い瞳を不快そうに半開きにして、白銀の少女はテンションの低い声を短く返す。
白銀の髪も、纏ったドレスも、すっかりぐっしょりと濡れていた。
「えっと、ホントに大丈夫……?」
「大丈夫。濡れただけ」
リセナは目を瞑る。
繊細な白い肌を雫が伝い、髪の先からポタポタと水滴が垂れる。
ひどく濡れているだけで、とりあえずは大丈夫そうだった。
「確かに……勿体ないけど、そのドレスは魔装にしちゃおうか……動きにくいだろうし」
レンリはさっと魔装術式をかけ、自身とリセナの着ている服を、いつもの衣装へと変化させた。
これでリセナも少しは動きやすくなるだろう。
だが、安堵する暇はなかった。
不意に、男の声がした。
「また、生き延びた――ようですね」
レンリとリセナは声のする方へと視線を向ける。
甲板の向こうに、ヴァグラゲルが立っていた。
その背中からは、白い触手が幾本も伸びている。
関節らしいものはなく、濡れた表面が夜の光を鈍く反射していた。
それらは生き物のようにゆっくりとうねりながら、ヴァグラゲルの背後で蠢いている。
そして、その周囲には――無数の亡霊。
青白い輪郭を揺らしながら、亡霊たちが甲板にたむろしていた。
その光景を前に、レンリの喉が小さく鳴る。
ヴァグラゲルが、こちらを見た。
「せっかく私の組んだ遊戯を、裏技めいたやり方で破壊して――」
口元が、ゆっくりと歪んでいく。
「まったく、不愉快な者どもだ――」
白い歯が覗いた。
ヴァグラゲルは嗤う。
その背後で、白い触手が大きくうねった。
「ですが、最後の遊戯はそうはいかない」
周囲の亡霊たちが、一斉にレンリとリセナへ顔を向ける。
「無数の亡霊に蝕まれ、私の触手に喰い刻まれて――」
声には、これまでとは違う愉悦が滲んでいた。
「無様な終わりを迎えるがいい」




