第40話 暗転の宴
音楽は、まだ途切れずに続いていた。
何曲目を踊ったのか、レンリはもう数えていなかった。
リセナの手を取り、離し、また取る。
その繰り返しの中で、いつの間にか身体の強張りは消えていた。
会場の灯りが、二人の周りを柔らかく照らしている。
周囲では、乗客たちが思い思いに夜を過ごしていた。
笑い合う声、グラスの触れ合う音、楽団の奏でる旋律。
それらが混ざり合い、一つの大きなうねりとなって、大広間を満たしている。
今、隣にいるのは、いつもの白銀の少女。
その手を取って、同じ音楽を聴いている。
不意に、こんな想いが脳裏に浮かぶ。
この時間が、このままずっと続けばいいのに。
レンリはもう一度、会場を見渡した。
高い天井から吊るされた灯りが、幾重にも輝きを散らしている。
着飾った人々が笑い、語らい、音楽に合わせてゆるやかに身体を動かしている。
それは、旅の途中では決して見ることのできなかった光景だった。
だからこそ。
レンリは、ほんの少しだけ、その時間を惜しむように眺めていた。
その光景が――唐突に消えた。
灯りが、一斉に落ちる。
同時に、音楽も途切れた。
音のない闇が、大広間を呑み込んだ。
「……えっ?」
レンリは反射的に足を止めた。
視界が、ほとんど利かない。
何が起きたのか分からない。
ただ、先ほどまでそこにあった光も、音も、すべてが突然途切れてしまったように感じられた。
「何だ……?」
「照明は……?」
「船員はどこだ!」
闇の中で、戸惑いの声が重なる。
誰かが立ち上がる音。
椅子を引く音。
何かを落としたらしい、乾いた音。
それらが次々と重なり、会場は一瞬にして混乱へと変わっていった。
レンリは、その場から動かなかった。
暗闇の中で不用意に動けば、何が起こるか分からない。
それよりも――。
「リ……リセナ……?」
「ここ」
すぐ隣から返事があった。
短い声だった。
けれど、それだけでレンリの胸に張りつめていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。
少なくとも、隣にいる。
それを確かめるように、レンリはそっと手を伸ばした。
指先が、冷たい手に触れる。
リセナの手だった。
そのまま握る。
暗闇の中でも、手のひらに伝わる感触だけは確かだった。
レンリは暗闇の向こうへ目を凝らす。
何も見えない。
けれど――やがて。
会場の中央。
先ほどまで楽団がいたはずの一段高い場所に、ぼんやりとした光が浮かび上がった。
誰かが持ち込んだ灯りではない。
そこに立つ人影の輪郭から、淡い光が滲み出ているようだった。
レンリは息を潜めた。
光の中に、男が立っている。
仕立てのよい服。
整えられた髪。
そして、穏やかな笑み。
見覚えがあった。
「……あれは、さっきの人……」
思わず、レンリは呟いた。
素晴らしいダンスでしたよ――。
そう言って、何事もなかったかのように去っていった男。
姿だけを見れば、人間にしか見えない。
けれど。
何かが、おかしい。
男の周囲だけ、空気の質が違っていた。
目に見えるわけではない。
それでも、そこに何かがいる。
人の姿をしているだけの、別の何かが。
肌の奥を、冷たいものが這う。
魔族と対峙したときに感じたものと似ている。
けれど、それだけではない。
もっと深いところで、生き物としての本能そのものが、その存在を拒絶していた。
レンリは知らず知らずのうちに、リセナの前へ半歩だけ身体を出していた。
守れるかどうかなんて、分からない。
それでも、目の前にいるものから目を逸らしてはいけない。
そんな感覚だけが、はっきりと残っていた。
隣を見る。
リセナは何も言わなかった。
ただ、紅い瞳だけが、光の中に立つ男を鋭く見つめている。
その視線を見て、レンリには分かった。
リセナも、同じものを感じている。
会場を満たしていたざわめきが、少しずつ静まっていく。
誰もが、壇上の男へ視線を向けていた。
男は、そんな乗客たちをゆっくりと見渡した。
その表情には、先ほどまでと変わらない穏やかな笑みが浮かんでいる。
それが、かえって不気味だった。
やがて男が、ゆっくりと口を開く。
「皆様――」
穏やかな声だった。
舞踏会で聞いたものと、何も変わらない。
けれど今は、その声さえもが異質に響いていた。
男は、ほんの少しだけ笑みを深める。
「今宵の宴――もっと愉しんでいただきましょう」




