↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/50

第4話 静かに揺らめく鼓動

 淡い蒼色の光が、巨大な棺の表面を静かに駆け巡っていた。


「なんなの、これ……」


 レンリは思わず息を呑む。


 先ほどまで沈黙を守っていた術式が、今は僅かに揺らめき、レンリの魔力に応えるような反応を見せている。棺へと添えた指先からは、膨大な魔力の奔流が伝わってきた。


 それは決して荒々しいものではない。


 大河のように悠久の時を流れ続ける、穏やかで、どこか懐かしさすら感じさせる魔力だった。


「これだけの魔力を、何百年も維持してたってこと……?」


 あり得ない。


 封印術式は、永遠ではない。どれほど優れた術者が施したものであっても、時と共に綻び、やがては失われていくものだ。


 だからこそ、封印を維持するためには定期的な魔力の補充や、術式の修復が必要になる。


 だが、この棺にはそれが見当たらない。


 まるで、自らが魔力を循環させ、生き続けているかのようだった。


「いやしかし、これ本当に人間が作ったの?」


 思わず呟く。


 術式の構築はあまりにも美しい。


 一切の無駄がなく、それでいて幾つもの術式が互いを補完し合い、一つの完成された存在としてそこに在る。


 レンリが知る多くの大魔術師の術式より、これは遥かに洗練されていた。


「こんなものを作った人、絶対変人だよ……」


 呆れたように苦笑を浮かべる。


 恐ろしいと思う。


 触れてはいけないものだということも分かる。


 それでも、魔術師である以上、この未知を前にして目を逸らすことなどできなかった。


「それに、どうせ外に出たところで蜘蛛が待ってるんだし」


 このまま逃げたところで、結末は変わらない。


 ならば最後まで足掻くだけだ。


「解析術式展開(ヴォル・ククリアラ)」


 幾重もの蒼い魔法陣が、レンリの周囲へと展開される。


 棺を傷つけぬよう、細い糸を紡ぐように少しずつ術式を読み解いていく。


「第一階層は封印術式……その下に魔力循環の補助術式。それに何か別の術式まで混じってる?」


 解析を進めるほどに、レンリの表情は真剣なものへと変わっていく。


「何これ……維持術式? でも何を維持してるの?」


 少なくとも、ただの魔術道具ではない。


 膨大な魔力を循環させ続け、それを維持し続ける理由がある。


「何だこれ――生き物――?」


 ふと、棺の奥底から微かな温もりが伝わってくる。


 それは錯覚かと思うほど小さなものだった。


 だが、確かに感じた。


 静かに眠る誰かの寝息のような、穏やかな温もりを。


「まさか、本当に何か生きてるの?」


 その時だった。


『グギギキィ――』


 低く濁った声が、洞窟の中へと響く。


「っ!」


 レンリが振り返る。


 いつの間にか、蜘蛛の魔族は洞窟の入口から数歩だけ足を踏み入れていた。


 八つの紅い瞳が、レンリと巨大な棺とを静かに見据えている。


「ちょっ――もう来たのっ!?」


『貴様の幻術――なかなかに厄介であったぞ。黒髪(ノワール)と思い、少々侮っていたわ』


「そりゃ、そんだけ目ん玉あったら幻術の類はよく効くでしょう?」


『グキャギャッ――! 言っていろ』


 蜘蛛の魔族は低く嗤う。


 その声音には、獲物を追い詰めた捕食者の余裕があった。


 レンリなど、いつでも喰らうことができる。


 そう言わんばかりの態度だった。


 だが、その視線だけは、僅かに棺へと向けられている。


『……何だ、その妙なものは』


「妙なもの?」


『この洞窟を満たすほどの魔力を留めていながら、その気配は我ら魔族とも違う』


 蜘蛛の魔族は、静かに目を細める。


『かといって、人間の魔術とも異なる。何とも形容し難いもの』


「魔族でも分からないんだ?」


『知らぬ』


 短く言い切る。


『だが、これほどの封印を施さねばならぬ存在であるならば、尋常のものではあるまい』


 それは恐怖というよりも、本能が抱く違和感なのだろうか。


 不用意に触れてはならないもの。


 ただ漠然と、そう感じているに過ぎない。


 しかし――。


『もっとも、それは我には関係のないこと』


 八つの瞳が、再びレンリへと向けられる。


『貴様を喰らうことに変わりはない』


「うわぁ、ぶれないね」


『グギイイイイッ――! 我はいま、空腹だ』


 蜘蛛の魔族の全身から、冷気が溢れ出す。


 洞窟の床が白く凍りつき始めていた。


『それに、貴様も――なかなか興味深い』


「はい?」


『そう、貴様こそ何者だ――? 黒髪(ノワール)でありながら、その身に膨大な魔力を宿す存在』


 紅い瞳が、獲物を吟味するように細められる。


『その芳醇な魔力の香り……たまらぬな』


 蜘蛛の魔族は、歓喜するように咆哮を上げた。


『ギギイイイイイッ! 我は、もはやこの飢餓を抑えられぬ――!』


「最初から抑える気なんて無いくせに」


『そう! 貴様を喰らえば、我はさらなる高みへと至るだろう』


「あんたはよくても、あたしはよくないの!」


『安心するがよい。苦しむのは最初だけだ』


「全然安心できない!」


 しかし、不思議なことに蜘蛛の魔族は飛びかかってこようとはしない。ただ、獲物を追い詰めるように、じりじりと距離を詰めてくるだけだった。


 棺を警戒しているのだろうか。


 だが、それ以上にレンリを格下の存在と見ているのは明らかだった。


 封印が何であれ、それが目覚める前に始末してしまえばいい。


 そんな余裕が、その姿からはありありと伝わってくる。


「くっそ……本当に最悪だ」


 レンリは顔を引き攣らせる。


 外に逃げても駄目。


 中にいても駄目。


 本当に八方塞がりだった。


 それでも、不思議と棺へと添えた手を離そうとは思わない。


 膨大な魔力の流れが、自らの魔力に呼応するように穏やかに揺らめいている。


「……あたしの魔力に反応してる?」


 封印へと触れた瞬間から、その流れは少しずつ変化しているように感じられた。


 失われた何かを補うように。


 あるいは、長い眠りから目覚めようとしているかのように。


「本当に、生きてるみたいだ」


 そう呟いた、その時だった。


 ――トクン。


「え?」


 指先から、小さな鼓動が伝わってくる。


 それはほんの一瞬の出来事だった。


 だが、確かに感じた。


 心臓が脈打つような、小さな温もり。


「今の……」


 錯覚ではない。


 この棺の中で、何かが鼓動した。


 永い眠りの中で、静かに目覚めの時を待っていたかのように。


 レンリは息を呑み、棺を見つめる。


 その蒼い光は、まるで彼女の魔力に呼応するように、静かに揺らめいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。