第35話 その手をつないで
火竜を倒してから、どれだけの時間が経っただろうか。
レンリは魔力の回復を待って、治癒術式で両腕に応急処置を施した。
「ふぅ……」
思わず、疲労の声が漏れる。
魔力を使い果たし、少し回復したそばから治癒術式で消費する。
火傷や怪我は治っても、逆に疲労は積もっていく。
一息ついて、レンリは周囲を見回した。
豪雨は、いつの間にか勢いを失っていた。
焼け落ちた街にはまだ白い蒸気が漂っている。
崩れた建物の隙間から流れ出した雨水が石畳を伝い、砕けた瓦礫の間を細い川のように流れていた。
先ほどまで、そこには火竜の咆哮が響いていた。
けれど今は、雨音だけが残っている。
レンリは、少し離れた場所に立つリセナを見つめた。
白銀の髪は雨に濡れ、白い服も泥と水で汚れている。
その手には、まだ大剣――澪豪剣ラガ・エリオバルクが握られていた。
彼女の背丈を遥かに越える巨大な水の大剣。
しかし、その刀身は先ほどまでとは違っていた。
淡く脈打っていた光が、少しずつ弱くなっている。
やがて刀身を形作っていた水が、細かな粒子へと変わり始めた。
青白い光が雨の中へ溶けていく。
リセナは、それをただ黙って見つめていた。
最後の一片が消えると、握られていた柄もまた淡い光となって消えていった。
残ったのは、細く白い少女の両手だけだった。
「……また、消えた」
レンリが呟く。
豪雨そのものと呼べるほどの雨を纏わせた強力な魔装。
それが、たった数分の内に魔力を喪い消えていく。
以前の戦いの時と同じ。
それは――、ありえないことだった。
けれど、今はそんなことを考えている場合ではなかった。
レンリは考えるのをやめ、改めて周囲を見渡した。
街はひどい有様だった。
建物の多くは崩れ、石畳には大きな亀裂が走っている。
焼け焦げた木材や瓦礫が散乱し、雨に濡れた街並みは、まるで廃墟のようだった。
人の姿はない。
戦いが始まる前に、街の人々は避難している。
少なくとも、この場所で誰かが傷ついている様子はなかった。
それを確認して、レンリはようやく肩の力を抜いた。
「街がこんなんじゃ、守れた……とは、とても言えないけど……」
小さく息を吐く。
「街の人が避難するくらいの時間は稼げた……かな」
レンリは凝り固まった身体を伸ばすように、ゆっくりと背筋を伸ばした。
それから、濡れた髪を手で払いながら立ち上がる。
「避難した街の人たちを、呼びに行こうか」
そう言って、歩き出した。
数歩進んだところで、ふと足を止める。
振り返ると、リセナがその場に立ったままだった。
白銀の髪から、雨の雫が静かに落ちている。
「……ん、どうしたの……?」
レンリは首を傾げた。
「行くよ」
リセナは動かない。
その姿を見て、レンリは小さく息を吐いた。
そして、今度は自分からリセナのところへ駆け寄った。
「大丈夫? どこか怪我とかしてるの?」
「それは……大丈夫」
少しだけ間を置いて、リセナが答える。
レンリは、その顔を覗き込んだ。
いつもと変わらない無表情。
けれど、ほんの少しだけ疲れているようにも見えた。
「レンリこそ、腕は……?」
「おかげで少しは治癒できたよ。大丈夫」
それを気にしていたのだろうか。
それ以上は聞かなかった。
レンリはリセナの隣に並び、崩れた街の向こうへ目を向ける。
雨は、もうほとんど止んでいた。
雲の切れ間から、淡い光が滲み始めている。
長い夜が、終わろうとしていた。
「んじゃ、行こうか」
レンリは歩き出した。
そして、少しだけ振り返って笑った。
「なにせ、あたしの牙になってくれるんでしょ?」
「……っ」
リセナの足が、ほんの僅かに止まった。
無表情だった顔に、わずかな戸惑いの色が浮かぶ。
「そんなこと……言った?」
「言ったよ」
レンリは苦笑した。
それから、リセナの白く小さな手を取る。
冷たい手だった。
けれど、ちゃんとそこにいる。
「ほら。行こうってば」
「……ええ」
二人は並んで歩き始めた。
焼けた街の向こう。
雨上がりの空が、少しずつ白んでいく。
夜明けは、もうすぐそこまで来ていた。
第2章 完




