第21話 警鐘の夜
カン――。
カン――。
夜の街へ、警鐘が鳴り響く。
さっきまで笑い声に満ちていた通りは、一瞬にして姿を変えていた。
酒場から飛び出してくる男たち。
子どもの手を引き、慌てて家へ駆け込む母親。
荷車を放り出し、北の空を見上げる商人。
ざわめきは瞬く間に広がり、街全体が落ち着きを失っていく。
「……魔族の……気配って、本当に?」
レンリは思わず呟いた。
「ええ……」
リセナは小さく頷く。
魔族の襲来。
それが、あの赤い空の原因。
鳴り続く警鐘が、胸の奥のざわつきをさらに大きくしていく。
「行こう」
二人は部屋へ戻ると、置いていた荷物を手に取り、足早に階段を下りた。
一階へ降りる頃には、宿の中も騒然としていた。
「北の砦だ!」
「魔族だってよ!」
「嘘だろ、あんなところまで!」
旅人たちが口々に叫ぶ。
従業員たちは宿泊客を落ち着かせようと必死だった。
レンリは受付へ駆け寄る。
「あたし、一応これでも魔術師です。今、どんな状況かわかりますか?」
顔見知りになった受付の女性は、青ざめた表情で首を振った。
「北の監視砦から救援の鐘が鳴って……。詳しいことは、まだ……」
その言葉を遮るように、入口の扉が勢いよく開いた。
夜風とともに、一人の兵士が転がり込むように飛び込んでくる。
鎧は土埃にまみれ、肩当ては砕け、腕から血が流れていた。
「道を開けてくれ!」
荒い息を吐きながら兵士が叫ぶ。
宿中の視線が、一斉にその姿へ集まった。
「北方の監視砦が落ちた!」
その一言だけで、空気が凍りつく。
「魔族が、この街へ向かっている!」
誰かが息を呑む。
誰かが悲鳴を上げる。
子どもが泣き出した。
宿の中は、一気に混乱へ飲み込まれていく。
レンリは思わず拳を握った。
監視砦。
そこが落ちたということは、この街まで残された時間は多くない。
「……レンリ」
隣でリセナが静かに呼ぶ。
その視線は兵士ではなく、北の空へ向けられていた。
「近い」
短い一言。
レンリも目を閉じる。
周囲へ意識を広げる。
風の流れ。
大地を伝う揺らぎ。
空気に混じる魔力。
そして――。
「……っ」
背筋が震えた。
確かに感じる。
まだ街までは距離がある。
それでも、闇の向こうから濁った魔力がゆっくりとこちらへ近づいてきていた。
「本当に……来る」
自分でも信じたくなかった言葉が、思わず口から漏れる。
その時、兵士が再び声を張り上げた。
「住民は直ちに避難しろ! 北門には近付くな!」
叫び声が重なる。
人々は荷物を抱え、我先にと宿を飛び出していった。
その流れを見送りながら、レンリは隣のリセナを見る。
「……どうする?」
問いかけるような声だった。
これまで魔族に追われることは何度もあった。
危険だと判断すれば、その場を離れる。それが当たり前だった。
けれど、魔族が街へ迫り、人々が避難する光景を目の当たりにするのは初めてだった。
自分だけ逃げればいい、そんな単純な話ではない。
だからこそ、どう動けばいいのか分からなかった。
「ねえ、あんた……聞いてる?」
何故だか、縋るような声が出た。
「ど、どうしようか……?」
リセナは赤く染まる北の空から目を離さない。
「魔族なら……倒す」
その返答は、初めて出会ったときと変わらない、静かな声だった。
レンリは小さく息を呑む。
倒す、って。
相手のことは、まだ何も分かっていない。
どれほどの力を持つ魔族なのかも知らない。
それでも、その迷いのない言葉を聞いた瞬間、不思議と胸の奥のざわめきが少しだけ静まった。
「……うん。そうだね」
二人は頷き合い、混乱する人波をかき分けて宿を飛び出した。
穏やかだった夜は、確かに終わりを告げようとしていた。




