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第13話 魔族を狩るもの

 あの魔族は今。


 警戒や恐怖を超えて、思い知っている。


 自分が狩る側ではないのだということを。


 レンリもまた理解し始めていた。


 二日前、森の中で遭遇したその魔族は、レンリにとって絶望そのものだった。


 障壁を砕き、冷気で森を凍らせ、どれだけ逃げても執拗に追い続けてきた怪物。


 その姿を見るだけで背筋が冷え、足が竦みそうになるほどの恐怖を刻み込まれていたはずなのに。


 それなのに今、その怪物は後退っている。


 魔族は白銀の少女から目を離せずにいる。


 まるで捕食者に見つかった獲物のように。


 目を逸らした瞬間、自分が狩られると本能で理解してしまったかのように。


 先ほどまで洞窟を満たしていた冷気は、焔剣の一振りによって掻き消されていた。


 代わりに空間を支配し始めているのは、焔剣から溢れ出る灼熱の気配だった。


 黄白色の光が刀身の奥で脈打つたび、周囲の空気が揺らぐ。


 それは炎というより陽光に近い。


 真夏の日差しを何倍にも濃縮したような熱。


 その輝きが洞窟の闇を押し退けるたび、レンリは頬にじわりとした熱を感じた。


 蜘蛛の魔族は動かない。


 八つの瞳は焔剣を見据え続けている。


 巨体は微かに震え、前へ出るべきか退くべきかを測りかねているように見えた。


 だが。


 その均衡は長く続かなかった。


 八本の脚が岩盤を掴む。


 巨体がわずかに沈み込む。


 それは獣が跳躍する直前の動きに似ていた。


 様子を窺っていた時間は終わったのだろう。


 八つの瞳が細く収縮する。


 そして次の瞬間。


『グギギャアアアアアアアアアアアッ!!』


 洞窟を揺るがす咆哮とともに、魔族が突進した。


 岩壁が砕ける。


 地面が抉れる。


 巨体からは想像もできない速度だった。


 瞬く間に少女の眼前へと迫る巨体。


 鋭く長い脚がぐおんと振り上げられ、そして勢い良く、白銀の少女へと振り下ろされる。


 振り下ろされた脚は巨大な槍そのもの。


 鋭利な氷を纏ったその先端は、岩盤さえ容易く貫く。


 まともに受ければ人間など跡形も残らない。


 だが。


 少女の姿が消えた。


「え?」


 思わず声が漏れる。


 本当に消えたようにしか見えなかった。


 次の瞬間には、白銀の髪が魔族の側面で揺れている。


 黄白色の光が閃いた。


 焔剣が描いた軌跡が洞窟の闇を切り裂き、その直後、硬質な何かが断たれる音が響く。


 一本目の脚が宙を舞った。


『ギッ――グヴァァァァァァッ!?』


 魔族が悲鳴を上げる。


 だが少女は既にそこにはいない。


 反対側。


 さらに後方。


 気付けば別の場所へ移っている。


 レンリは何度も目を瞬かせる。


 視界も、理解も、追いつかない。


 だが、結果だけは何とか分かる。


 脚が減っている。


 確実に。


「いや待って……」


 思わず呟いた。


「さっきまで寝てたわりには、速すぎない……?」


 もちろん誰も聞いていない。


 だが口にせずにはいられなかった。


「てか、準備運動とかもしてないし……いや、まあ、そこ気にしてる場合じゃないんだけどさ」


 返事はない。


 当然だった。


 白銀の少女は戦いの最中にいる。


 それも圧倒的な速度で。


 巨大な脚が何本も振り下ろされる。


 岩壁が砕ける。


 脚の先端から放たれた氷刃が空気を裂く。


 残された冷気が吹き荒び、洞窟の奥を白く染める。


 それでも少女は掠りもしない。


 白銀の髪だけが光の中で揺れ、その姿は残像のように視界を横切っていく。


 速い。


 そんな言葉では足りない。


 そこにいると思った瞬間には別の場所へ移っている。


 焔剣が振るわれるたび、蜘蛛の脚が一本ずつ失われていく。


 斬り落とされた脚は岩盤へ叩き付けられ、洞窟の奥へと転がっていく。


 冷気によって形成された氷の外殻も、氷柱の槍先も、焔が掠めた瞬間から崩れ始めた。


 まるで長い年月を経て風化した彫像のように、氷はひび割れながら形を失い、黄白色の光が洞窟を駆け抜けるたび、その崩壊はさらに広がっていく。


 その光景を見つめながら、レンリは不意に奇妙な感覚を覚えていた。


 綺麗だと思った。


 戦いなのに。


 命のやり取りなのに。


 白銀の髪と黄白色の光が交錯するたび、洞窟の闇が切り裂かれていく。


 挿絵(By みてみん)


 恐ろしいはずなのに目を離せない。


 そんな感覚だった。


 だが、さすがに魔族も黙ってはいなかった。


 何本もの脚を失いながら、蜘蛛の魔族は大きく後退った。


 残された脚が岩盤へ深々と突き刺さり、砕けた岩片が周囲へ飛び散る。


 それでもなお踏み止まるように巨体を支えながら、その全身が大きく震えた。


『クギギィッ――! こうなれば――!』


 八つの瞳が紅く輝く。


 その瞬間。


 洞窟の空気が変わった。


 温度が下がる。


 いや。


 冷気が集まっている。


 今まで周囲へ撒き散らされていた力が、一点へ向かって収束していた。


 レンリの背筋を冷たいものが走る。


 今までとは違う。


 明らかに違う。


 魔族は防御を捨てた。


 追跡のための冷気も。


 身体を守る氷の鎧も。


 その全てを。


 全身の魔力を。


 たった一撃のためだけに注ぎ込もうとしている。


『ギギギギギギギギギギギギ――――!!』


 咆哮が洞窟を揺らす。


 口腔の奥で青白い光が生まれた。


 それは瞬く間に膨れ上がり、凝縮され、圧縮されていく。


 周囲の岩壁が白く染まり始める。


 天井が凍る。


 地面が軋む。


 光そのものが極寒を帯びているようだった。


「うそでしょ……」


 レンリは息を呑んだ。


 見ただけで分かる。


 あれはまずい。


『グガガガッ――! これならば、避けることも! 防ぐことも――出来まいッ!!』


 確かにそうだ。


 あれほどの魔力が一気に解き放たれれば、障壁術式など意味をなさない。


 それ以前に、レンリの魔力は既に尽きている。


 そして何より。


 あれは回避できる規模の攻撃には見えなかった。


「あの蜘蛛……まさか……」


 洞窟ごと吹き飛ばすつもりだ。


 魔族は最後の賭けに出たのだ。


 そして、その視線の先には。


 ただ静かに焔剣を握る白銀の少女がいた。


 黄白色の光が揺れる。


 青白い極寒の光が膨れ上がる。


 灼熱と凍結。


 二つの力が洞窟の中心で激突しようとしていた。

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