第11話 焔剣エギラルザス
白銀の少女の掌の上で揺らめく紅蓮の光は、洞窟を満たす冷気に抗うように静かに脈動していた。
蒼い術式で編まれた刀身の中心を、赤い輝きが血管のように走っている。
炎属性の魔装。
レンリが今の状態で作れる限界に近い代物だった。
それだけの魔力を注ぎ込んだせいだろう。視界の端が暗く滲み、腕が震える。燦々とした魔装の輝きがなければ、そのまま気を失っていたかもしれない。
それでも術式は崩さない。
ここで失敗すれば全てが終わる。
魔族の冷気はもう目の前まで迫っていた。
白い霜が岩壁を覆い、吐く息さえ凍りそうなほどの寒気が洞窟を支配している。
『ギギギギ……』
低い唸り声が響いた。
蜘蛛の魔族はまだ飛び込んでこない。
八つの紅い瞳だけが、じっとこちらを見据えている。
いや。
違う。
レンリは気付いた。
あの視線は自分へ向けられているのではない。
白銀の少女を観察している。
まるで何かを確かめるように。
その事実が、余計に不気味だった。
あの魔族は強い。
二日間追われ続けたレンリには分かる。
あれは弱者を警戒する存在ではない。
それなのに今、魔族は距離を測っている。
目の前にいる小柄な少女に対して。
理解できなかった。
何一つ。
「できた……」
レンリは荒い息を吐いた。
刀身が完全な形を取る。
白銀の輝きを帯びた長剣。
その内部では炎属性の術式が静かに巡っている。
高位魔装と呼ぶには届かない。
だが、今のレンリが作れる最高峰だった。
「で……できたよ。魔装――焔剣、エギラルザス」
その名を口にした瞬間、刀身の奥で紅蓮の輝きがわずかに強まった気がした。
少女は静かに視線を落とす。
白く小さな掌の中に浮かぶ剣の柄。
そして何の躊躇いもなく、それを握り締めた。
次の瞬間だった。
洞窟の空気が微かに揺れた。
「――え?」
レンリは思わず目を見開く。
術式が乱れたわけではない。
暴走したわけでもない。
いや、だからこそ、おかしい。
今確かに、焔剣を握った瞬間、空気が僅かに震えた。
肌を撫でるような圧迫感。
だが、それは魔装が持つ魔力の奔流とはどこか違う。
それ以上に異様だったのは、魔装の核があまりにも無反応に過ぎること。
それは、この魔装を形成したレンリだからこそわかる違和感だった。
レンリは魔装を扱えない。
才能がないからではない。むしろ逆だ。
魔装を生み出す技術は持っていても、それを振るうだけの資質がない。
だから知っている。
魔装がどれほど危険な代物なのかを。
身の丈に合わない魔装へ手を伸ばし、自滅した魔術師の話など珍しくもない。
魔装の内部には膨大な魔力が巡っている。
それを扱うには、その力を制御する魔術の技量と、武器そのものを扱う武の心得、その両方が必要だった。
持ち主の技量が魔装の力と釣り合わなければ、制御を失った魔力は持ち主自身へと跳ね返る。
指先を焼き。
神経を裂き。
酷い時には命さえ奪う。
だからこそ、レンリは少女を止めようとした。
炎属性の魔装ならなおさらだ。
扱いを誤れば、自分自身が消し炭になりかねない。
それなのに。
少女は平然としていた。
熱さも。
痛みも。
何一つ感じていないかのように。
「……なに、それ」
思わず呟いていた。
少女は答えない。
紅い瞳が刀身へ向けられている。
その視線は初めて見る物を観察しているようでもあり、どこか確かめているようにも見えた。
だが、表情は変わらない。
痛みに耐えている様子もない。
まるで魔装から流れ込む魔力そのものが、少女には届いていないかのようだった。
レンリには分からない。
分からないが。
胸の奥がざわつく。
理由は分からない。
ただ、本能が警鐘を鳴らしている。
その時だった。
『ギッ――!』
蜘蛛の魔族が動いた。
それまでの沈黙を破るように、巨大な脚が岩盤を砕く。
洞窟全体が震えた。
冷気が爆発する。
白い霧が一気に広がり、視界を覆い尽くす。
二の腕や太ももの表面が、冷気の奔流によって凍てつく。
――来る。
レンリは反射的に悟った。
今まで様子を見ていた魔族が、ついに殺意を決めたのだ。
巨大な影が突進する。
岩壁を砕きながら迫るその姿は、もはや雪崩に等しい。
逃げ場などない。
防ぐ魔力も残っていない。
レンリは思わず歯を食いしばった。
終わった。
そう思った。
だが。
白銀の少女だけは動かなかった。
冷気が吹き荒れる。
轟音が響く。
魔族が迫る。
それでも少女は静かに立っている。
そして。
ただ一歩、前へ出た。
白銀の髪が揺れる。
紅い瞳が魔族を捉える。
そして少女は。
初めてその剣を握った少女は。
まるで何百回もそうしてきたかのような自然さで、静かに刃を構えた。
その切っ先が魔族へ向けられる。
ただ、それだけだった。
それだけのはずだった。
だが、その瞬間。
蜘蛛の魔族が、後退った。
八つの瞳に宿っていたのは警戒ではない。
捕食者が獲物へ向ける視線でもない。
自らの死の片鱗をそこに見た者だけが抱く、恐怖だった。




