第10話 紅蓮の魔装形成
洞窟の奥から響く咆哮が、岩壁を震わせた。
砕けた障壁術式の残滓が蒼い粒子となって消えていく。その向こうでは、蜘蛛の魔族が凍りついた地面を踏み砕きながら迫っていた。白い冷気は生き物のように洞窟を這い、足元の霜を広げ続けている。
出口は見えている。
あと少しだ。
本当にあと少しだった。
それなのに、レンリの身体はもう立ち上がることさえ辛かった。
魔力が尽きている。
二日間の逃亡。
度重なる防御術式。
封印の解析と解除。
どれもが限界を超えた無茶だった。
ここまで走れていたこと自体が奇跡に近い。
だが、そんなレンリの焦りとは対照的に、白銀の少女は静かだった。
紅い瞳は、ただ魔族だけを見据えている。
恐怖も。
焦燥も。
迷いもない。
まるで目の前の怪物が脅威ではないかのように。
「魔装術――あなたは、出来るはず」
再び少女が言った。
淡々と。
事実を確認するような口調だった。
レンリは思わず額を押さえる。
「出来るけど……」
息を吐く。
視界が少し揺れた。
「出来るけど、それを使えるかどうかは別問題なんだってば……」
説明している時間など本来ない。
だが、このまま黙って魔装を渡す方がよほど危険だった。
レンリは迫る魔族を横目で見ながら言葉を続ける。
「魔装っていうのは、ただの武器じゃない。魔力を核にして形を維持してる術式そのもの」
少女は答えない。
ただ魔族を見据えたまま聞いている。
その横顔は相変わらず無表情だった。
「だから扱うには技術がいる。強力な魔装になればなるほどね」
冷気が吹き抜ける。
洞窟の温度がさらに下がった気がした。
魔族は確実に近付いている。
それでもレンリは言わずにはいられなかった。
「魔装の魔力を制御するために、魔術師だって訓練するものなんだ。魔装の持つ魔力を暴走させないために」
そこまで言って、レンリは思わず少女の手を見る。
先ほど握った感触が蘇る。
ひやりとした掌。
そして、その奥にある異様な空白。
「でも、あんたは――」
声が自然と低くなった。
「あんたからは、魔力をほとんど感じられない」
その事実は今でも信じられなかった。
棺を満たしていた膨大な魔力。
洞窟全体を震わせていた白銀の輝き。
あれほどの封印の中心にいた少女が、なぜこんなにも空っぽなのか。
考えれば考えるほど分からなくなる。
「そんな状態で、強力な魔装なんて制御できるわけない」
レンリは言った。
「魔装に、その魔力に焼かれて終わりだ」
脅しではない。
事実だった。
未熟な魔術師が高位魔装を扱って自滅する事故など珍しくもない。
まして魔力を持たない人間ならなおさらだ。
だが。
少女は小さく瞬きをしただけだった。
「そんなの……関係ない」
あまりにもあっさりした返答だった。
レンリは思わず頭を抱えそうになる。
「関係なくない!」
声が裏返る。
「火傷とか怪我とか、そういう話じゃないんだから!」
少女は相変わらず魔族を見ていた。
その横顔には焦り一つない。
「死ぬかもしれないんだよ!?」
ようやく少女が口を開く。
「たぶん……大丈夫」
その声には妙な確信があった。
根拠はない。
説明もない。
けれど、自分に言い聞かせているような響きでもなかった。
ただ事実を述べているような声音だった。
「何が大丈夫なのさ……」
レンリは力なく呟いた。
分からないことだらけだ。
記憶もない。
魔力もない。
自分が何者なのかすら知らない。
それなのに、この少女だけは妙に落ち着いている。
『ギギギイイイッ――!』
咆哮が響いた。
距離が近い。
もう迷っている時間はない。
レンリは深く息を吐いた。
そして観念したように手を差し出す。
「……本当に知らないからね」
少女は黙ってその手を見た。
「あとで痛いとか言っても途中で止められないから!」
返事はなかった。
ただ、差し出された手を静かに重ねる。
ひやりとした感触が掌へ伝わる。
冷たい。
けれど柔らかい。
思わず鼓動が跳ねそうになり、レンリは慌てて意識を切り替えた。
集中しろ。
今は術式だ。
少女の掌へ意識を向ける。
残された魔力を絞り出しながら、魔装の核を形成していく。
蒼い光が集まり、小さな結晶となって脈動を始めた。
魔装の核。
術式の心臓。
ここが崩れれば全てが瓦解する。
だからこそ慎重に。
一本ずつ糸を紡ぐように魔力を編み込んでいく。
結晶の周囲へ術式が重なり始める。
輪郭を形成する。
「で、どんな武器をご希望で?」
息を切らしながら尋ねる。
少女は少しだけ考えるような間を置いた。
「剣……のようなもの」
その答えにレンリは僅かに安堵する。
最も基本的な魔装だ。
形だけなら問題ない。
指先から迸る魔力を調節する。
柄が伸びる。
刃の骨格が形成されていく。
視界は霞み始めていた。
頭痛も酷い。
それでも止められない。
「なら、次は属性を――」
そこまで言った時だった。
「あれは……蟲の形質を持ち、その属性は氷」
少女の視線は魔族から離れない。
まるで獲物を観察しているようだった。
「えっ……?」
レンリは眉をひそめる。
「だから」
少女は静かに続けた。
「炎」
一瞬、思考が止まった。
炎属性。
しかも氷属性への対抗を前提とした高出力型。
未熟な魔術師ですら扱いを誤れば自滅しかねない代物だ。
「ちょっ、ちょっと待って――!」
思わず術式を止めかける。
だが、その瞬間。
少女の手が動いた。
細い指が、レンリの手をそっと握り返す。
強い力ではない。
けれど、不思議と振り払えなかった。
「あんた――本当に火傷じゃすまないよ! 下手すりゃ消し炭だ!」
レンリは叫ぶ。
少女は魔族を見据えたまま、小さく呟く。
「たぶん……大丈夫」
また同じ言葉だった。
だが今度は、不思議と冗談には聞こえなかった。
「も、もう!」
レンリは半ばやけくそになりながら術式を再開する。
「本当に知らないかんね!」
最後の魔力を注ぎ込む。
核が脈動する。
術式が重なり合う。
そして刃の中心へ、炎属性の刻印を打ち込んだ瞬間――。
掌の上で、紅蓮の光が静かに揺らめいた。
洞窟を満たす冷気に抗うように。
まるで、永い眠りから目覚める炎のように。




