#7 王都脱走
警吏はいなかった。
自らのもつスキルがユニークスキルではないと知った不破は、すでに王都からの脱走を決め込んでいた。
なぜ、追放を待たずして彼は姿を消そうとしているのか。その答えは明瞭なものではなく、細かな人間心理に拠るところであった。
不破は怒っていた。
理不尽極まりない、この世界にではない。
チャンスを与えられた上で、努力する姿勢すら見せなかった自分に怒っていた。
(僕は、何度チャンスを与えられた!?本来よそ者だったら即追放なところを、転移者だからってテストまで受けさせてもらえた!それで合格すれば、こんなことにはなってなかった!ジュリエットのアドバイスにも耳を貸さなかった!僕は!)
城からはすでに抜け出している。あとは王都の門に向かって走るだけだ。
その先に何があるかは、不破は知らない。
人類領土は全域をアンドルド王国を統括しているため、王都から離れればアンドルド家から己を遠ざけることができるわけではない。
しかし、今はとにかく逃げたかった。
そして、逃げを決め込む不破自身もまた、不破を限りなく嫌う人間である。
(何度も頑張る機会があった!剣さえ持てれば、合格していた!ずっとだ!もう、ずっと!)
心のなかで悔恨をぶちまけながら、王都の外へとむかう。
不破は、元の世界にいるときから、努力のできない性格であった。
やる気はあった。
しかしできなかった。
やろうやろうと思っている間に全てが終わっている、そんな経験を山ほどした。
そして、その度に「次は頑張ろう」と思っていた。
しかし、結局変わらなかった。
不破はそれを、環境のせいにしてきた。
環境さえ変われば、自分だって生まれ変われると。
(変わったじゃん!めっちゃ!なのに、なんで!)
環境を言い訳にしてきたくせに、いざ環境が変わったら何ができるかといって、何もできずに。
そのくせ、次に使える言い訳を無意識に探している自分に、不破は酷く落胆した。
そんなに、自分は情けない人間だったのかと。
理由があっても頑張れず、常に言い訳、保身のことしか考えてない人間だったのかと。
理想と現実の乖離に、ただ打ちのめされるのみであった。
考え事をしていたせいで、知らない路地に迷い込んでしまった。
外に出ること自体が、あの王卓会議のあとのバラクとの決闘が初めてだったので、まだこの王都の地図すら理解できていなかったのだ。
それまではチラホラと人がいたものだが、この路地はいやに静かだった。
「ッ…!」
イライラとした気持ちがオーバーヒートし、不破は壁をべしっと蹴り踵を返した。
そのときだった。
「あん?にいちゃん、ちょい止まれや」
どすの利いた低い声が後ろから響く。
振り返ると、そこにはガラの悪い男が2人いた。
一人は素手だが、もう一人は小さいナイフを持っている。
「こんな夜にこの路地に来るってこたぁ、にいちゃん分かってんだよな?」
げっへっへ、と下品な笑い声を響かせながら、素手の男の方が手をワキワキとさせる。
その下卑た表情は、よだれを垂らすかのようだ。
(ま、まさかこいつら…)
不破の頭の中で、最悪の思考がよぎった。
意識が言葉をストップする前に、口に出してしまう。
「ゲイ…なのか…?」
「おぉーっしにいちゃん。とりま、身ぐるみ全部剥いどこか」
ナイフの男が近寄ってくる。恐らくあのナイフで、服を切り裂くつもりなのだろう。
切り裂いてどうするのかは、考えないほうが精神衛生上よい気がする。
まあ恐らく、気持ちのいいものではないだろう。
「く、来んなよ!来ないで!やめてくれ!」
手をブンブンと振り、やめてくれるよう懇願する。
頭の中に、酷く冷静な不破がいた。
(あぁ…僕、なさけねぇ…)
すごく泣きたい気分だった。
(そもそも何でこんなことに…あの日、航空祭に来なければ…いや、蜂見さんの近くにいなければ…)
いなければ、どうだったのだろうか。
きっと今も、元の世界でのうのうと暮らしていたのかもしれない。
(僕はここで何をした?実技テストで0点とって?剣すら持てなくて?そしてスキルまで大したことなくて?何ができたんだよ。)
仕方がなかった、という言葉が脳裏にちらつく。
仕方がなかったじゃないか、自分の意識で異世界に来たわけじゃないんだし。
仕方がなかったじゃないか、スキルなんて努力で決まるものじゃないし。
また、言い訳である。
(嫌だ…こんなの、嫌だ…また、また僕は情けない不破赳太郎のままでいるつもりか?絶対、嫌だ…でも、もう…いや、僕は…)
才能に恵まれなかった人間には、努力以外の道はない。
そして努力すら怠った不破。
不破は、変わりたかった。
せめて、この世界で何かをしたい。
この世界で、語り継がれる何かをしたい。
自分の存在を認めさせたい。
これ以上、人に誇れぬ己でありたくない。
(あぁ、でも…)
欲望に塗れた手が不破に近づく。
決意に満ちた誓いだろうが、いまこの状況をどうにかするには余りにも頼りない。
諦め、目を固く瞑る。
その時、あいつが空から降ってきた。
「『剣聖』。三番。『地獄・火車独路』」
妖しく輝く、炎のようなものを纏った日本刀。
それを握るのは、「王国最強の三人」と称される、
【対魔三翼】のうちの一角。
「やれやれ。怪我はないか?不破」
蔵馬夜政が、燃える刀の切っ先を男たちに向けながら、夜の薄暗い路地を煌々と照らす。
呆然とした様子で、不破は問う。
「く、蔵馬…?どうして、なんで、ここに…?」
5分ほど遡る。
「不破がいなくなったぁ!?」
夕食を不破の部屋に運んでいったはずのジュリエットから、「不破が失踪していた」との報告を受け、蔵馬は頓狂な声を上げた。
「ああ。寝具は暖かかったから、そう遠くまでは行ってないと思う。探しに行く?」
行く、といえば恐らくジュリエットはついてくるだろう。
だが、蔵馬は断った。
「いや、いい。どうせあいつのことだ、くだらねぇことでうじうじ悩んで消えたんだろうさ。面倒事に巻き込まれる前に、とっ捕まえて帰ってくる」
そう言うや否や、窓をがらりと開け放す。
夜風が身体に心地よいが、それは蔵馬の不安感を晴らすには乏しい。
窓枠に飛び乗り、王都を見渡す。
静かだ。
(このどこかに…不破がいる)
目を瞑る。
風が顔に吹き付ける。
ふわりと、黒いコートの裾が持ち上がる。
手を握り、大きく息を吸う。
「ふーー…」
ピリッ。
身体の中から、痛みに似た感覚が走る。
髪が逆立つ感触が感じられ、体中の血液が全部エナジードリンクに変換されたような、そんな奇妙な高揚感に包まれる。
スキル、『身体機能上昇』。
この世界で、最もこのスキルは保持する人間が多いとされている。また、スキルを二つもつ人間の多くは、もう片方のスキルはブーストである。
その能力は、脳に作用する。
脳から強制的にドーパミンを大量に捻出する能力。
痛みは和らぎ、短時間ならば無茶な動きや運動も可能にする。
そして、ブーストには段階がある。
ドーパミンを起点とした、主とした3段階が。
「『身体機能上昇』、Ⅱ番。『筋縮』」
筋縮。それは、全身の筋肉を1点に強化するものだ。
脚部へ全身の筋肉を集中させることで、足に増加する筋肉量と比例して、脚部に含まれる空気量も増加する。
そこで一気に筋肉を緩め、生まれた筋肉同士の隙間から溜め込んだ空気を思い切り放出する技。
それは、空中を移動することも可能とする。
通常、筋肉をそんなに動かしたらまず激痛で人はのたうち回るが、ブーストによる過剰なドーパミンによってその痛みは相殺される。
そのまま窓枠を飛び蹴り、夜の街に飛び出した。
プシュウウウウ、と空気の噴出される音が響き、蔵馬の体は屋根から屋根へと、まるで八艘飛びのように軽々と飛び移っていく。
「…いた」
裏路地も裏路地、静まり返った暗い場所に、不破はいた。
どういうわけか、この辺りで有名な不良二人組もいる。
どうやら絡まれていたようだ。
蔵馬は空中高く跳び上がり、そのまま直立の姿勢で自由落下する道を選んだ。
冷静に、空中から落下しながら刀を抜く。
抜き身の刀身が、月光を浴びてきらりと輝く。
「『剣聖』。三番。『地獄・火車独路』」
スキル、『剣聖』。
生まれながらに剣の才能を持っていた者のみが与えられる、ユニークスキル。
そのスキルを解放したら、発動者は異常なほど卓越された剣技や技を使用することができる。
剣神の加護だとされているその技量は、魔族にも充分に通用する。
刀身が蒼く燃え上がり、地獄の業火が舞い踊る。
そして。
「やれやれ。怪我はないか?不破」
男二人は、一瞬怯えたような表情をのぞかせたが、すぐにそれをしまい込み、一人の男はナイフを持ち直した。
「上等だ…てめぇも殺したる!」
ダンッと勢いよく踏み込み、躊躇いなく頸動脈を狙っていく。
慣れた男の攻撃だった。
しゅぱ。
蔵馬の刃が、最小限の動きで動く。
蒼い炎のようなものも、それに連動してびゅおっと逆巻く。
「…あ?」
男の、ナイフを掴んでいたはずの右手首は、すでに宙を舞っていた。
「うぎゃあああっ!いてぇ、いてえよぉ!」
失った右手首の断面を抱えながらのたうち回る。
その光景を、蔵馬は酷く冷めた目で見下していた。
「ま、そういうわけだ。さっさと帰るぞ、不破」
(どういうわけなんだ…?)
というか。
「僕はどうせ、帰っても追放されるだけだ!今僕をわざわざ城に戻して、何の意味がある!」
蔵馬は、興味なさそうに視線をあちこちに彷徨わせた後、気づいたように刀を鞘に納めた。
チン、と小気味よい音が鳴る。
「どうもこうも。まさかもう一度こいつらに襲われたいのか?もしそうなら置いて帰るが」
…い、いや、それはよくないだろう。
「す、すまん。王城に帰る…帰ります」
王城へと帰ってくると、ジュリエットが不破の部屋で待っていた。
部屋に入ってきた不破を見ると、ジュリエットの目がきらりと光った。
「ッ…!」
ジュリエットの拳が飛んでくる。
(あっやばいやつや)
ところがその拳は、不破の額すれすれで停止した。
そのまま、ぼそっと一言。
「おかえり」
おかえり。その、何気ない言葉。
しかし、不破の心には寒さにしみるスープのように、じんわりと響いた。
まだここにいていいと、認められた気がした。
(少なくとも、今日だけは、か)
ジュリエットも蔵馬も出払った部屋で、一人天井を見上げる。
(もう…結果がどうなろうと、僕は逃げない。逃げるような僕には、もう戻りたくない)
不安気に揺れる決意を胸に、不破は明日の沙汰に備えるべく目を閉じた。




