#6 予感
吹き荒れる冷たい風が、白い雪に覆われた山々の間を駆け抜けていく。
ビュオオオオ、と吹く雪混じりの激しい風は、まるでこの凍土に存在する生命を根こそぎ刈り取らんとするようだ。
雪の勢いが強くなる。拳大ほどの大きさの雪が、天から振り注ぐ。
凍てついたこの凍土に、とある二人組がいた。
ザク、ザクと凍土を踏みしめるように歩いている。
なぜか彼らの身体には雪が積もっていない。
彼らの身体に触れる瞬間、雪がジュッと音を立てて消えるのだ。
上空に、飢えた怪鳥がいた。
プテラノドンをさらに醜くしたようなその身体は、現代のカラスなど比にならない巨躯である。
眼下に奇妙な二人組を視認した瞬間、怪鳥の目がギラリと光った。捕食者の目である。
「ギャオァァァアアン!!」
けたたましい咆哮を上げる。
その音響はすさまじく、氷山が音を立てて崩れ出す。凍土に、ビシビシとヒビがはいる。
威嚇をしても、なぜか二人組はこちらに目を向けてこない。まるで気づいていないかのように。
どちらにせよ、怪鳥にとっては好都合である。
「アギャアアァァス!!」
急降下し、獲物を仕留めにかかる。
爪がギラリと妖しい輝きを放ち、その目は爛々と危険な煌めきを帯びている。
刹那、怪鳥は感じた。
圧倒的なまでの殺意を。
暴力的で、絶対的で、また、支配的な威圧を。
あるいは、底しれぬ力の奔流を。
怪鳥は、生まれて初めて恐怖した。
「この存在と、関わってはならない。」
「この存在を、これ以上視界に入れてはならない。」
「この存在は、直ちに意識から消すべき存在である。」
DNAに刻まれた危険信号が、けたたましく鳴り響くのを怪鳥は感じた。
二人組のうちの一人の男が、上空で静止したままの怪鳥をゆっくりと見遣る。
まるでどうでもいいものを見るかのように。
「ギャッ…」
怪鳥は、咄嗟に威嚇しようとした。
しかし、怪鳥がその先の言葉を発することはなかった。
男を中心に、同心円状になにかの力が広がっていく。
周囲の空間が悲鳴を上げる。
氷は砕け、雪は止み、凍土は虚しく軋み、空を暗雲として覆っていた雪雲さえも霧のように散っていった。
怪鳥は、ブルブルと震えていた。恐怖でだ。
すでに過度の恐怖による緊張を強いられていたからか、その毛深い羽や体躯はすっかりと禿げ上がり、瞳孔はこれでもかと開かれている。
男の深紅の瞳が、怪鳥の目を射抜く。
完全な純白である彼の頭髪がふわりと揺れ、額に生えている二本の灰色の角が露わになる。
もう一人も同様に、怪鳥の方を見遣る。
白濁した瞳にくすんだ白色をたたえた髪を分けた先には、やはりというべきか、二本の角が有った。
怪鳥は、突如がくんと脱力し、ゆるゆると地面に向かって落下していった。
なんてことはない。
度を超えた恐怖に、心臓が持たなかっただけである。
そのまま二人組…いや、二人の男は視線を進む先へと戻した。
まるで、何もなかったかのように。
そのまま、深紅の瞳をしたほうの男が声を上げた。
「なァ、グリムガン…」
グリムガンと呼ばれたもう一人の白濁した瞳の男は、
「なんでしょうか、ハーネゾン」と答えた。
ハーネゾンと呼ばれた男は続ける。
「ここ数年、予感がする」
「予感…?」
訝しげな声を上げるグリムガンに、ハーネゾンは彼の方を見ずに続ける。
「あの男が遺した予言が…最近、根拠のない真実味を持って余の胸中に渦巻いておるのだ」
「…予言…。覚えていますよ、『自由を縛り付けていた鎖が、人類の手によって解かれる。序列は崩れ、解放の時が訪れる。』。」
さらりとその予言を暗唱したグリムガンに特段の反応を示さず、ハーネゾンはただ歩を進める。
「何百年と続いてきたのだぞ…種族の序列。世界のバランス。それが崩壊すると、ヤツは言った。…まして、人類によって、だ。」
そこまで言い、ポツリと続ける。
「あってはならないことだ」
グリムガンは、ハーネゾンの言葉に違和感を覚えて問うた。
「なぜ、リアリストと名高いあなたが架空の虚実を危惧しておられるのです?世界のバランス云々以前に、人類が我々に牙を剥くことすらも不確定というのに」
その問に、ハーネゾンは宙を見上げる。
「実を言うと、予感だけではない。感じるのだ。余の生きる二千年余りの膨大な時間の中で培われた感覚が。」
グリムガンも、同じく宙を見上げる。
何も見えない。
ただ、霧散した雪雲に代わった青空が広がっているだけだ。
「これだけは断言できる。何かが廻りだした」
何かとは、何か。胸に浮かんだ野暮な問を、しかしグリムガンは口に出さなかった。
「運命の歯車と云うべきか…あるいは、破滅の序章か…。なァグリムガン。余には、何かが起こる確信じみた予感があるのだよ」
それは、根拠のないことである。
しかし、不気味な確信をもって彼らの胸にこびりつき、離れない。
ハーネゾンは、どこか遠くを眺めるようにしながら、グリムガンに向かってこう言った。
「軍の用意をしろ」
「はっ?」
理解できず問い返すグリムガンに、ハーネゾンは視線を虚空に固定しながらもう一度言った。
「軍の用意をしろ。不死魔族、悪魔族、人型魔族、海類型魔族、飛行型魔族の各主領と…あと、帝魔六天将ともコンタクトをとれ。」
グリムガンは悟った。
ハーネゾンが今発言した種族は、ハーネゾンらが所属する龍魔族と、とある種族を除くすべての種。
消去法で、そのとある種族が龍魔族の標的であることは想像できる。
グリムガンは、すべてを悟り、その上で主に問を投げた。
「分かりましたよ、ハーネゾン。では、人類を」
ハーネゾンは、確固たる眼差しを以てそれに応えた。
「ああ。全種族、全勢力を以てして、人類に戦争を仕掛ける。」
あまりにさらりと発された言葉に、グリムガンはほんの少しだけ反発した。
「しかし、ハーネゾン、本当にそれでよいのでありましょうか?」
ハーネゾンの深紅の瞳がぎらりと輝き、グリムガンの目を射抜く。
「何が言いたい」
唾をごくりと飲み込み、グリムガンは口を開く。
「いえ、ただ、人類はこの世界の均衡をひっくり返すかもしれないものを持っているのでしょう?我々が下手に刺激して、それを持ち出されたら…いや、そもそも交渉という手は…」
「交渉」
ハーネゾンは、そう呟く。
そしてため息をひとつ吐くと、呆れたようにグリムガンを眺めながらこう言った。
「我々はこの世界で最強の種族だ。そして最強たる我々が、なぜ主張を通すのに交渉などという弱者の手段に頼らねばならない?」
グリムガンは、もう何も言わなかった。
ただ己は主に従うのみだと、自分の在り方をそう再確認した。
そう。確かに、分かち難い種同士が複雑怪奇に絡まり合う運命の歯車は廻り始めていたのだ。
「頼む頼む頼む頼むスキルスキルスキルスキル…」
その頃、不破は来たるスキル鑑定に向けて全身全霊の祈りを捧げていた。
まさに死活問題である。
絶対に実技テストでおっそろしく悪い点数を取ってしまった自覚のある不破は、先ほどから脳裏によぎる最悪のシナリオと戦っていた。
それは、先日国王が発言した、「王国にとって有用な存在か確かめるための実技テスト」に起因していた。
つまり。
あれ?これって追放じゃね? ということである。
一般人枠で異世界にいる以上、追放エンドというイコールデスな選択死は避けなければならない。
よって、どうしてもここでユニークスキルを引き当てる必要があるのだ。
もし普通のスキルならば?
(うん。この先は考えないでおこう)
ガンガンと、若干乱暴にノックされる音がした。
返事を待たずに、蔵馬が部屋に入ってくる。
「時間だ。昨日と同じ場所に来い」
着替える間もなく、不破は昨日とてつもない屈辱を晒した庭園に足を運ぶこととなった。
すでにそこには、アンドルド家のジュリエットを除く面々がそろっていた。
(昨日のデジャヴを感じる…)
国王が口を開く。
「まずは昨日の試験の結果だが、うん…実技零点、発展零点、そして基礎零点。つまり…まぁ、不合格というわけだ。」
半ば予想していたことであった。
しかしなかなか、心にクるものがあった。
(まぁ…やらなかった僕が悪いし、ね…)
この癖を治そう治そうと、前の世界にいるときから不破は思っていた。
否、思ってはいた。
行動に移らなければ、いくら考えていることが聖人君子でも意味はない。
人の心を読むすべはないのだ。
そしてそれすらも、不破は知っている。
知っているはずだったのだ。
連鎖する不破のドロドロとした黒い感情を、国王の切り替えるような声が遮った。
「だが、まあ。異世界転移人とは、なかなかにイレギュラーなことである。よって、本来ならばこの試験で不合格ならば即刻追放する仕組みであったものを、今回のみ特例として、スキル鑑定でユニークスキルを引き当てたら、試験の結果は不問にするものとする。」
不破は、先日の王卓会議に参列していた師団長や副師団長の姿を思い浮かべた。
どうやら、ああいう集団のアタマ的な存在の人間は、みなユニークスキルを保持しているらしいのだ。
この世界では、過程より結果が重要視される。
元の世界でもそれはそうだろうが、実用的でない部門に対する取り組みの場合は、往々にして過程が評価されることも、ままある。
それはいいとして、昨日と違う点として、一つ。
明らかーに「わたしスキルわかりますよ?」風の雰囲気を醸し出している水晶玉があった。
「あ、あの…これは…?」
その問いには、ジークアッシュが答えた。
「それに両手をあてるだけでよい。それで貴様のスキルが分かる。」
不破はふと気になることを発見して、問うた。
「あの、すみません、異世界人の僕でもスキルってあるもんなんですかね....」
「スキルとは、すべての人間が生まれながらにもつ原初のイメージだ。生まれたその瞬間に初めて脳内で像を結んだものによって、スキルは左右される。…例えば、一番最初に≪走ること≫をイメージした人間には、脚力が強化されるスキルが与えられたりな…まぁ、特例として、一子相伝のスキルというものもある。それこそ稀だが、いないわけではない。
そして、イメージこそがスキルのすべてではない。そのものが生まれながらにもつ何らかの才能に呼応し、スキルが確定することも珍しくない。」
淀みなく答えるジークアッシュ。
問答の時間すら惜しいというように、彼は不破を急かす。
「さぁ、はやくそれに触れろ。父上も母上も待っておられる」
深呼吸を一度し、覚悟を決める。
すべてが今、ここにかかっている。
「じゃあ…いきます!」
えいやと両手で触れる。
当然ながらつるつると冷たい感触をもたらす水晶球から、不破は不思議なものを感じた。
突如、不破の頭上になにか映像のようなものが像を結ぶ。
まるでホログラムのようにうっすら透けているそれは、まるで地図のようなものを映し出していた。
そして新たに、本が映像として現れる。
そのうえに、彼のスキル名がでかでかと表示されていた。
『図面作成』。
不破はほっと一息つき、自信満々にジークアッシュに聞く。
「どうですか?このスキル!珍しいですか!?」
ジークアッシュは、目を固く瞑っていた。
国王も、王妃も、さらにシャイロネ・アンドルドも。
ジークアッシュは、ぼそりと、しかしはっきりとこう言った。
「…うちの国の製図職人がたいてい持っているスキルだ。レアなものでは…ない。むしろ、戦闘においてはクソほどの役にも立たん雑用未満スキルだ。」
「…は?」
なにそれ。終わったやん。




