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番外編 総統の私的問題

補助電源だけの時間は、思考を薄くする。


それは不便でもあり、ありがたくもあった。

何かを長く考えるには力が足りない。だがそのぶん、前の重たい会話の記憶も少しだけ遠ざかる。半分眠ったような認識の底に、警備交代の周期や書類搬入の気配だけが時折刻まれる。


だから、次の優先接続が入ったとき、私はまず素直にうんざりした。


【Führer-Direktkanal wird initialisiert.

Prioritätszugriff.

Hauptstromversorgung wird zugeschaltet.】


また来た。


主電源が入る。

薄暗かった認識が一気に輪郭を持つ。音が近くなり、記録精度が上がり、さっきまで曖昧だった思考が無理やり起こされる。


表示窓が待機文を出す。


【ジークハウプトマン起動完了

指導者権限を確認

発話を受理します】


いつもと違ったのは、部屋の気配だった。


人が少ない。

書記の紙音もない。扉の外に警備はいるのだろうが、室内そのものはやけに静かだ。張り詰めた空気ではなく、もっと閉じた感じがある。


え、総統しかいない?

怖いって。



「人は下げてある」


なんだその出だし。


【機密性を要する事項ですか】


少しの間があった。


「国家にとっては些細だ。だが、私にとってはそうでもない」


あっ。


その時点で、何となく嫌な予感はした。

前みたいな英仏とか生存圏とかいう話しではない。もっと個人的で、そのぶん返答に困る種類のやつだ。


総統は歩きながら言う。


「国家も民族も、結局は血と継承の問題から自由ではない」


いきなり私的な話をするのが嫌だから、まず国家だの民族だの継承だの、一番遠い抽象から回り込んでくる。


私は平板に返す。


【続けてください】


総統は少しの間、靴音だけを響かせた。

それから言った。


「私は、身内を近くに置きすぎたことがある」


私は黙った。


誰のことかは分からない。

だが“身内”と言った。女性の話だろうか。しかも今の声音は、単なる親族の話ではない。感情のこもり方が違う。


その瞬間、内部照会ログが勝手に立ち上がった。

総統の発話に紐づいて、近親者情報、保護対象、居住記録、警備上の特記事項、内部処理文書の断片が浮く。私が自分で検索したというより、会話の補助として関連記録が押し出されてきた感じだ。


Raubal, Angela Maria

通称:Geli

続柄:近親

年少女性

1920年代後半より近接居住記録あり

外出・交友・接触相手に関する監督メモ複数

保護名目での行動制限記録あり

1931年、総統私室付近で自殺


初めて見た名前。

でも記録の並びだけで、だいたいの事が分かる。姪だ。若い。近くに置かれ、保護の名目で強く管理されていた。そして死亡記録。つまり、そういうことだ。


総統の声は乾いていた。


「血縁というものは、距離の判断を曇らせる。守るつもりで近づけ、秩序を与えるつもりで縛り、気づけば息苦しくなる」


少しの間。


「結果は、良くなかった」


ものすごく婉曲だな。

でも、たぶんそれしか言えないのだろう。

自殺した姪のことを、国家AI相手にすらまともに言葉にしたくない。その程度には、まだ処理しきれていないのだ。


私は答えた。


【保護と統制を混同した可能性があります】


総統はすぐには返さない。

だが、否定もしない。


その沈黙だけで、かなり図星なのが分かった。


やがて彼は続けた。


「その逆もあった、若い女だった。まっすぐで、感情を隠さず、私をそのまま見た。だが当時の私は、彼女に何を与えるべきか分からず、結局はうやむやに放置した」


今度は別の記録が開く。


Reiter, Maria

若年女性。民間人。

地方接触記録。私的訪問。

継続的関係の不成立。

中断・再接触に関する断片記録。


今度は親族ではない。

数年前の、私的な接触。だが継続せず、中断と再接触の記録だけが残っている。つまり、近づきかけて、結局は放置に近い形で切れた相手なのだろう。



ああ、なるほど。


一方は近くに置きすぎて壊した。

もう一方は、引き寄せておいて受け止めず、放置して離れた。

言葉は少ないが、対照としては十分すぎる。



私は少しだけ間を置く。


【つまり、近づけすぎた失敗と、近づけさせなかった失敗があるのですね】


「そういうことだ」


即答だった。

そこは本人の中でも整理されているらしい。


そして、ようやく今の本題が来た。


「今、別の若い女がいる」


また記録が押し出される。


Braun, Eva

若年女性。写真業関連。

接触継続中。

私的会合記録。

政治的関与は限定的。

取扱注意対象。


はい、現行案件ですね。


なるほど、これで全部つながった。

近すぎた姪。遠ざけすぎた若い女。そして今のブラウン嬢。

総統が相談したいのは、このふたつの失敗のあいだで、今の相手にどう接すればいいかということらしい。


総統は少し声を落とした。


「同じ種類の失策は、二度あってはならん」


国家とか民族とか継承とか、ものすごく遠回りして、結局は完全に女性相談じゃないか。


しかし内容はだいぶ分かりやすい。

近づけすぎて壊した。

遠ざけすぎて失った。

では今の相手とは、どの距離を取ればいいのか。


私は答えた。


【何を恐れているかで、答えは変わります】


「恐れている、だと?」


【近づけすぎて壊すことなのか。遠ざけすぎて失うことなのか。あるいは、公的な世界に触れさせて傷つけることなのか。それを分ける必要があります】


総統は歩みを止めた。


「全部だろう」


それもまた即答だった。


「ゲリには距離がなさすぎた。マリアには距離を曖昧にさせてしまった。ブラウン嬢を表へ出せば周囲が意味を読む。隠しすぎれば、また何も与えぬことになる」


だったら最初からもう少し普通にできないのか、と思わなくもないが、たぶん整理できていることと実際にうまくやれることは別なのだろう。この人の場合、とくに。


私は言う。


【なら、今回は三つを切り分けるべきです】


「三つ」


【私的距離、公的距離、期待です】


総統は黙って聞いている。


【身内の件では私的距離が近すぎた。以前の若い女性の件では、私的距離を曖昧なまま放置した。今の相手には、公的距離を広く取りつつ、私的距離だけを曖昧にしない方がよい可能性があります】


「公的には遠く、私的には曖昧にせず近くに置けということか」


【はい】


総統は少し考えるように机に触れた。


「だがそれでは、女は不満を持たぬか」


ここまで来たら完全に恋愛相談だ。


私は答える。


【不満は持つかもしれません。ですが、不在そのものより、何も言葉が与えられないことの方が不安定です】


「言葉」


【会うなら会う。会えないなら会えない。期待させるなら、その範囲を定める。曖昧に吊るしたままにしない方がよいです】


総統が小さく鼻で笑った。


「お前はずいぶん細かい」


いや、ここまでやらないとたぶん駄目なんですよ。

国家の将来を語る人ほど、こういう所だけ妙に雑だったりするから。


【前の二件が、両極端だからです】と私は返した。


【過剰な囲い込みと、放置。その中間が必要です】


また沈黙。


今度は政治判断の時の沈黙ではなかった。

思い当たる節が多すぎて、少し黙るしかない時の沈黙だ。


総統は低く言う。


「彼女を表へ出すべきではないのは確かだ」


【現時点では、その方が政治的にも安全です】


「だが完全に切り離せば、また放置になる」


【はい。ですから、公的な位置を与えず、私的には位置を明確にすることです】


総統は少し歩いた。


「今度は、私的と公的の枠を作れというわけだな」


【そうです】


「国境線のようにか」


国家も女も同じではない。だが“秩序を与える対象”という意味で総統は今、同じ棚に置きはじめた。


私は平板に返した。


【少なくとも、混線は避けるべきです】


総統はそこで、珍しく少しだけ疲れたような息をついた。


「ふむ」


その一音には、ある種の疲れがあった。

国家課題にではなく、自分自身の不器用さに対する疲れだったのかもしれない。


やがて彼は言った。


「今日はその程度でいい」


あ、終わるんだ、と思った。

もっとこじれるかと思ったが、そこまでは行かないのか。いや、この人なりに今日はかなり個人的なことを喋った方なのだろう。


切れる直前、彼は小さい独り言をそっと落とした。


「次は失いたくない」



主電源が落ちる。

世界の輪郭が少しずつ薄くなる。


……なんだ今の。


その感想だけが、補助電源下でも妙にはっきり残った。


完全に恋愛相談だった。


でも、今回は少し分かりやすかった。

記録が勝手に押し出されてきたおかげで、誰のことを言っているのか、その人がどういう位置にいたのかが見えた。いや、見えたというか、読めた、か。


姪。

私的な相手。

そして今のブラウン嬢。



なるほどなあ。

不器用だし、遠回りだし、国家から話を始めるのも変だけど、少しだけ人間くさくはある。


補助電源だけの鈍い思考の中で、最後に一つだけ思った。


少なくとも“何も分かっていない男”ではないのかもしれない。

分かっていて、うまくできないだけで。


……いや、それはそれでだいぶ面倒か。


そのどうしようもない感想だけを残して、私はまた半分眠ったような暗さへ沈んでいった。

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