知ったつもり
翌日の昼休み。
俺は、普段なら絶対に行かない場所にいた。
図書室。
静かで、眠くなって、何より本を読む以外にすることがない。俺にとっては、わざわざ足を運ぶ理由のない場所だった。
……昨日までは。
昨日、澪が読んでいた本。
タイトルを聞いたのはいいものの、どんな内容なのかは知らない。そもそも、あの本を選んだ理由だってわからない。
ただ、気になった。
俺が今まで付き合ってきた女の子たちは、俺の顔を褒めてくれた。
かっこいいとか、目が好きだとか、笑った顔がいいとか。
最初のうちは、そういう言葉を素直に嬉しいと思っていた。
けれど、澪は違った。
俺が話しかけても、特別な反応をしない。
俺の顔を見て頬を赤くすることもなければ、少しでも長く話そうとする様子もない。
だからこそ、知りたくなったのかもしれない。
俺の知らないところで、彼女が何を考えているのか。
図書室に入ると、カウンターの近くにいた司書の先生がこちらを見た。
「64点」
いつも通りの採点。
俺は軽く会釈をして、昨日澪が座っていた窓際の席へ
向かった。
……いた。
藤崎澪。
窓から差し込む光の下で、昨日と同じように本を読んでいる。
黒い髪が肩にかかり、ページをめくる指先は静かだった。
相変わらず、絵になる。
顔だけなら、やっぱり満点だ。
俺は心の中でそう採点してから、彼女の向かい側に座った。
澪は一瞬だけ顔を上げた。
そして、すぐに本へ視線を戻した。
……終わり?
普通、何かあるだろ。
昨日も話しかけた相手が、今日もわざわざ向かいに座ったんだぞ。
少しくらい不思議に思ってもよさそうなものなのに。
朔「藤崎さん」
澪「何?」
朔「昨日の本、面白かった?」
澪「まだ読んでる途中」
朔「そっか」
会話終了。
あまりにも早い。
俺は別に、面白い話をしようとしたわけじゃない。
ただ、話のきっかけが欲しかっただけだ。
しかし、彼女にはそのきっかけを広げる気がないらしい。
澪は再び本に目を落とした。
僕は少しだけ迷ってから、もう一度口を開いた。
朔「その本、俺も読んでみようかな」
澪「そう」
朔「……おすすめとか、ある?」
澪「私に聞くの?」
朔「うん。藤崎さんが読んでる本、気になったから」
澪はようやく顔を上げた。
その目は、昨日と同じく冷静だった。
澪「私が好きな本を読んで、何がわかるの?」
朔「え?」
澪「本を読んだら、私のことがわかると思ってる?」
思っていたわけではない。
……いや。
少しは、そうなのかもしれない。
彼女が何を面白いと感じるのか。どんな言葉に心を動かされるのか。そういうものを知れば、彼女のことも少しくらいわかるんじゃないか。
そんなことを考えていた。
澪「別に、読んでほしくないわけじゃないよ。でも、私のことを知るために読むなら、やめたほうがいいと思う」
朔「……どうして?」
澪「本を好きになる理由なんて、人それぞれだから」
それだけ言うと、澪は再びページをめくった。
会話は、そこで終わった。
俺は何も言えず、彼女の向かいに座ったまま、机の上に置かれた本を見つめた。
……なるほど。
やっぱり、簡単にはいかないらしい。
今までの俺なら、ここで諦めていたと思う。
自分に興味のない相手を、わざわざ追いかける必要なんてない。
そう考えて、別のことに時間を使っていただろう。
けれど、不思議なことに。
僕俺はまだ、席を立つ気になれなかった。
*
放課後。
教室で帰り支度をしていると、七海が僕の机に近づいてきた。
七海「朔、今日のお昼どこにいたの?」
朔「図書室」
七海「……図書室?」
七海は、何かとんでもないものを聞いたような顔をした。
朔「何、その反応」
七海「いや、だって朔が図書室って。明日、雪でも降るのかなって」
朔「失礼すぎない?」
七海「だって、最後に朔が本を読んでるところ見たの、いつだっけ……」
朔「失礼すぎるだろ、二回目」
七海はくすくす笑った。
幼い頃から、七海はこういうところがある。
俺が何を言っても、遠慮なく突っ込んでくる。
俺の顔を褒めることはあっても、それだけで僕を特別扱いするようなことはなかった。
だから、七海といると楽だった。
余計なことを考えなくていい。
七海「で、何しに行ったの?」
朔「本を見に」
七海「どんな本?」
朔「……藤崎さんが読んでたやつ」
七海の笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
七海「澪ちゃんの?」
朔「うん」
七海「ふーん」
その声が、少しだけ低くなった気がした。
けれど、俺は特に気に留めなかった。
朔「別に、深い意味はないよ。何を読むのか気になっただけ」
七海「そっか」
七海は笑った。
いつもの笑顔だった。
七海「でも、朔って本当にわかりやすいよね」
朔「何が?」
七海「気になったら、すぐ行動するところ」
朔「そうかな」
七海「うん。昔からそうだよ」
そう言って、七海は鞄を肩にかけた。
七海「帰ろう。途中でコンビニ寄りたい」
朔「はいはい」
俺も鞄を持ち、七海の隣に並んだ。
いつも通りの帰り道。
いつも通りの会話。
それなのに、頭の片隅には、昼休みの澪の言葉が残っていた。
――私のことを知るために読むなら、やめたほうがいいと思う。
別に、彼女を理解したいとまで思っているわけじゃない。
そもそも、俺はまだ彼女のことをほとんど知らないのだ。
名前と、顔と、声。
好きな本を読んでいること。
そして、僕にまったく興味がないこと。
今のところ、知っているのはそれくらい。
それなのに。
僕は、彼女が次にどんな本を読むのか、少し気になっていた。
七海「朔?」
朔「ん?」
七海「聞いてる?」
朔「聞いてるよ」
七海「絶対聞いてない」
朔「聞いてるって」
七海「じゃあ、今なんて言った?」
朔「……コンビニで何買うか、でしょ?」
七海「それ、さっきの話!」
七海が呆れたようにため息をついた。
俺は笑ってごまかした。
顔だけで、誰かに興味を持たれることには慣れている。
でも、自分から誰かを知ろうとするのは、案外慣れていないのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は前を歩く七海を見た。
七海は何も言わず、少しだけ歩く速度を落としてくれた。
その理由を、俺は知らない。
そして、たぶん。
俺はまだ、知らないことばかりなのだ。




