採点基準
顔がいいのと、好きになるのは別。
七海は簡単に言ってくれたが、そんなことは俺だってわかっている。
……いや、正確には、わかっているつもりだった。
自分の顔には、結構自信がある。
鏡を見れば、自分でも悪くないと思う。
髪型にも服装にも気を遣っているし、周りから容姿を褒められることも少なくない。
女子から好意を向けられた経験だってある。
だから、見た目に関しては恵まれている方だと思っていた。
実際、過去に何人かの女子と付き合ったことがある。
最初に話しかけてきたのは向こう。
連絡先を聞いてきたのも向こう。
何度か一緒に帰ったり、遊びに行ったりして、気づけば付き合うことになっていた。
理由を聞けば、だいたい似たような答えが返ってきた。
『前からかっこいいと思ってたんだよね』
わかりやすい。
そして、悪い気はしなかった。
自分の見た目が誰かの好みに合う。
それは素直に嬉しいことだったし、わざわざ否定する理由もない。
問題は、その先だった。
付き合い始めは、どの子ともそれなりにうまくいく。
メッセージを送り合って、一緒に帰って、休日に出かける。
相手が喜びそうなことを考えたり、誕生日にプレゼントを用意したりもした。
けれど、しばらくすると、少しずつ歯車が噛み合わなくなる。
俺が思っていたより、相手は頻繁に会いたがった。
俺が普通だと思っていた返事の仕方を、相手は冷たいと感じた。
何気なく言った言葉で機嫌を損ねたり、逆に、どうしてそこで怒るのかわからなかったり。
もちろん、俺にも悪いところはあった。
相手が何を考えているのか、ちゃんと聞こうとしなかった。
自分がどうしたいかばかり考えて、相手に合わせることを面倒に感じることもあった。
それでも当時の俺は、恋愛なんてそんなものだと思っていた。
そして、何度目かの別れ話で、また同じような言葉を聞いた。
『ごめんね。なんか、思ってたのと違うんだよね』
責めるような口調ではなかった。
むしろ、相手は申し訳なさそうにしていた。
だから、俺も深く追及しなかった。
『そっか。わかった』
それで終わりだった。
別れた直後は、多少落ち込んだ。
けれど、何日か経てば普段どおりに戻った。
そして、いつの間にか次の恋愛が始まる。
相手が俺の顔を気に入ってくれることは、何度かあった。
でも、俺自身をどれくらい見てくれていたのかは、今となってはよくわからない。
……いや。
相手だけの問題じゃない。
俺だって、相手のことをちゃんと知ろうとしていたのか。
そう聞かれると、胸を張って答えられる自信はなかった。
結局、俺も相手を見た目や雰囲気で判断していたのだから。
付き合う前に、かわいいと思った。
話しやすいと思った。
一緒にいて楽しそうだと思った。
それだけで、相手のことをわかったような気になっていた。
だから、別れた理由だって、今でもはっきりとは説明できない。
ただ、ひとつだけ思うことがある。
顔がいいから好きになることはある。
けれど、顔がいいだけで、ずっと好きでいられるわけじゃない。
そんな当たり前のことを、俺は何度か恋愛を経験して、ようやく理解し始めたところだった。
……それなのに。
藤崎澪のことになると、どうにも調子が狂う。
彼女は、俺の顔にほとんど反応しない。
少なくとも、今のところは。
俺が話しかけても、特別嬉しそうにはしない。
隣に座っていても、意識している様子はない。
俺の顔を褒めることもなければ、必要以上に近づいてくることもない。
別に、それが不満というわけじゃない。
ただ、気になるのだ。
藤崎澪は、俺のことをどう思っているのだろう。
かっこいいとも思っていないのか。
それとも、そもそも俺に興味がないのか。
……いや、待て。
なぜ俺は、そんなことを気にしているんだ?
今までだって、俺に興味がない女子はいた。
それで困ったことなんて、一度もなかったはずだ。
なのに、藤崎が俺に興味を示さないことだけが、妙に引っかかる。
理由を考えてみても、答えは出なかった。
ひとまず俺は、その疑問を頭の隅に追いやることにした。
考えたところで、わかるわけがない。
本人に聞くのも、なんだか負けた気がする。
……何に負けるのかは、自分でもわからないけれど。
*
教室に着くと、藤崎はすでに席に座っていた。
机の上には、昨日の文庫本が置かれている。
俺が席に着くと、彼女は一度だけこちらを見た。
朔「おはよう」
澪「……おはよう」
挨拶は返ってきた。
それだけだった。
藤崎はすぐに視線を戻し、本を鞄にしまった。
俺は少し迷ったあと、口を開いた。
朔「なあ、藤崎」
澪「何?」
朔「昨日、読んでた本って何ていうタイトル?」
澪「どうして?」
朔「いや、ちょっと気になって」
澪「……そう」
藤崎は一拍置いてから、タイトルを教えてくれた。
澪「それだけ?」
朔「え?」
澪「聞きたいこと」
朔「ああ、うん」
澪「じゃあ、もういい?」
朔「……どうぞ」
藤崎は何事もなかったかのように、教科書を取り出した。
俺はしばらく、その横顔を眺めていた。
……本当に、俺に興味がないんだな。
ここまでくると、逆に清々しい。
普通なら、少しくらい相手に気を遣ったり、話を合わせたりするものじゃないのだろうか。
いや、別に、それが正しいというわけでもない。
藤崎はただ、自分の思ったとおりに行動しているだけなのだ。
他人にどう思われるかを気にして、無理に愛想を振りまくこともない。
そういうところは、少しだけ羨ましい気もした。
俺はいつだって、人からどう見られるかを気にしている。
顔がいいと思われたい。
かっこいいと思われたい。
少なくとも、悪い印象は持たれたくない。
それなのに、藤崎はそんなことを気にしていないように見える。
……いや。
実際のところは、まだわからない。
俺はまだ、藤崎澪という人間をほとんど知らないのだから。
彼女のことを、顔がいいという理由だけで満点にした。
けれど、それ以外のことは、何ひとつ知らない。
好きなもの。
嫌いなもの。
どんなことに笑って、どんなことに腹を立てるのか。
何を大切にしているのか。
そういうことは、点数をつけただけではわからない。
……まあ、だからといって、わざわざ知ろうとする必要もないのだけれど。
俺はそう考え、黒板に視線を向けた。
そのとき、隣からページをめくる音がした。
何気なく目をやると、藤崎が昨日の文庫本を開いていた。
彼女の表情は、いつもどおりだった。
静かで、淡々としていて、何を考えているのかわからない。
ただ、その本を読む手つきだけは、どこか慣れているように見えた。
俺はすぐに視線を戻した。
……今度、暇なときに読んでみるか。
そんなことを考えた自分に、少しだけ違和感を覚えた。
別に、本が読みたいわけじゃない。
藤崎と仲良くなりたいわけでもない。
ただ、少しだけ気になる。
それだけだ。
今は、まだ。
俺は自分にそう言い聞かせ、授業が始まるのを待った。




