満点の転校生と、俺の知らないこと
藤崎澪が転校してきてから、三日が経った。
結論から言うと、俺は未だに彼女のことをよく知らない。
朝の挨拶をすれば、返事は返ってくる。
授業でわからないところを尋ねれば、必要な範囲で答えてくれる。
ただ、それだけだ。
会話を広げようとはしないし、自分から話しかけてくることもほとんどない。
こちらが冗談を言っても、笑うどころか反応すら薄い。
別に、嫌われているわけではないと思う。
単純に、俺に興味がないのだろう。
……まあ、別にいいけど。
澪「水瀬くん」
隣から声がした。
澪「これ、黒板の最後のとこ、何て書いてある?」
藤崎がノートをこちらに向けていた。
朔「ここ? 先生が言ってたのは、たぶんこの公式」
澪「そう」
彼女は俺のノートを一度見て、自分のノートに書き写した。
澪「ありがとう」
朔「おう」
会話終了。
……いや、早いだろ。
せめて、もう一言くらいあってもいいんじゃないか。
例えば、助かったとか、わかりやすかったとか。
いや、礼は言われた。
それ以上を求めるのは、さすがに図々しいか。
俺は自分のノートに視線を戻した。
それにしても。
藤崎澪。
顔立ち、100点。
髪型、100点。
雰囲気、100点。
総合評価、100点。
俺がこれまでつけてきた点数の中で、初めての満点。
それだけに、もう少しくらい話してみたいと思うのは自然なことだろう。
……いや、違うな。
話してみたいというより、知りたいのだ。
どうして、俺にまったく興味がないのか。
*
昼休み。
弁当を食べ終えた俺は、机に頬杖をついていた。
視線の先では、藤崎が一人で本を読んでいる。
周囲では何人かの女子が楽しそうに話していたが、彼女はその輪に加わる様子もない。
かといって、孤立しているわけでもなさそうだった。
朝、クラスの女子に話しかけられていたときも、普通に受け答えはしていた。
ただ、自分から必要以上に話そうとはしない。
誰に対しても、あの調子なのだろう。
クラスメイト「……何見てんの?」
前の席に座っていた友人が、怪訝そうにこちらを見た。
朔「別に」
クラスメイト「藤崎?」
朔「違う」
クラスメイト「いや、そっち見てたじゃん」
朔「視界に入っただけだ」
クラスメイト「便利な言葉だな、それ」
友人は呆れたように笑った。
クラスメイト「そんなに気になるなら話しかければいいだろ」
朔「話しかけてるよ」
クラスメイト「え、マジで?」
朔「授業でわからないところ聞かれたりするし」
クラスメイト「それ、向こうからしたらただのクラスメイトじゃね?」
朔「……わかってるよ」
言われなくても、そのくらいはわかっている。
俺と藤崎の関係なんて、今はただのクラスメイトだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
なのに、どうにも引っかかる。
今まで、俺に対してあそこまで反応の薄い女子は珍しかった。
俺の顔を見て騒ぐような女子ばかりだったわけではないが、少なくとも、最初くらいは何かしらの反応をされることが多かった。
それが普通だと思っていた。
……自分で言うのもなんだが、俺は自分の顔に結構自信がある。
鏡を見て、悪くないと思う。
髪型や服装にも気を遣っているし、周りから容姿を褒められることも少なくない。
だから、女子から好意を向けられた経験だって、それなりにある。
もちろん、全員が俺を好きになるわけじゃない。
そんなことはわかっている。
ただ、藤崎のように、俺の存在そのものが視界に入っていないような態度を取られると、少しだけ調子が狂う。
朔「……まあ、いいか」
俺は小さくつぶやき、視線をそらした。
今はまだ、そこまで気にすることでもない。
そう思うことにした。
*
放課後。
今日は特に予定もなかった。
七海からは『今日は先に帰るね』とメッセージが届いていたので、俺も適当に帰ろうと思っていた。
教室を出て、昇降口へ向かう。
その途中、廊下の先に見覚えのある後ろ姿を見つけた。
黒髪。
すらりと伸びた背筋。
藤崎澪だった。
彼女は昇降口とは反対方向へ歩いている。
そちらにあるのは、図書室だ。
……本でも借りるのだろうか。
別に、追いかける理由はない。
ないのだが。
俺は少し迷ったあと、彼女とは反対方向へ歩き出しかけて、足を止めた。
……いや、何をしているんだ、俺は。
藤崎がどこへ行こうと、俺には関係ない。
そう思い直し、昇降口へ向かおうとした。
そのとき、ふと気になった。
あいつは、どんな本を読むのだろう。
普段からあまり表情を変えないし、何を考えているのかもわからない。
だからこそ、教室では見られない一面があるのかもしれない。
……暇つぶしだ。
そう自分に言い聞かせて、俺は図書室へ向かった。
*
図書室に入ると、藤崎は奥の棚の前にいた。
文庫本が並んだ棚だ。
彼女は背表紙を一冊ずつ確認しながら、目当ての本を探しているようだった。
俺は少し離れた場所で、適当な本を手に取った。
もちろん、藤崎を見に来たわけではない。
……いや、見に来たのかもしれない。
自分でもよくわからなかった。
しばらくすると、藤崎は一冊の本を棚から抜き取った。
表紙を確認し、ページを数枚めくる。
それから、ほんの少しだけ表情を緩めた。
教室では見たことのない顔だった。
笑った、というほどではない。
ただ、気に入ったものを見つけたときの、自然な反応。
俺は思わず、その様子を見ていた。
澪「……何か用?」
突然声をかけられた。
振り返ると、藤崎がこちらを見ていた。
朔「いや、別に」
澪「じゃあ、何でこっち見てるの?」
朔「見てない」
澪「見てたけど」
朔「……本を探してただけだよ」
澪「そう」
藤崎は興味を失ったように視線を外した。
そして、手に持った本を開いた。
会話は終わりらしい。
俺は少しだけ気まずさを感じながら、手元の本に視線を落とした。
……なんなんだ、こいつ。
愛想が悪いというより、俺に興味がない。
たぶん、それだけだ。
それでも、せっかく図書室まで来たのだから、もう少しだけ話してみようと思った。
朔「藤崎って、よく本読むの?」
澪「読むけど」
朔「どんな本が好きなんだ?」
澪「いろいろ」
朔「……例えば?」
藤崎は本から目を離さずに答えた。
澪「今、読んでる本とか」
朔「いや、そうじゃなくて」
澪「じゃあ、何?」
こちらを見た彼女の目は、思った以上に冷静だった。
澪「私が好きな本を知って、どうするの?」
朔「……いや、単純に気になっただけだよ」
澪「そう」
それきり、彼女はまた本に視線を戻した。
これ以上話しかけるな、ということだろう。
俺は手に持っていた本を棚へ戻した。
……なるほど。
こいつは、こういう人間なのだ。
誰にでも愛想よく接するわけではない。
相手が誰であろうと、必要以上に気を遣わない。
そして、俺がどれだけ話しかけようと、興味がなければそれ以上は付き合わない。
ある意味、わかりやすい。
ただ。
気に入った本を見つけたとき、彼女はほんの少しだけ表情を変えた。
あの顔が、なぜか頭から離れなかった。
普段の無表情との違いが気になったのか。
それとも、好きなものを見つけたときの反応が意外だったのか。
理由はよくわからない。
ただ、教室で見ているだけではわからないことがある。
それだけは、確かな気がした。
俺は図書室を出ることにした。
結局、本は一冊も借りなかった。
*
翌朝。
いつものように七海と合流し、学校へ向かっていた。
七海「ねえ、朔」
朔「ん?」
七海「最近、何かあった?」
朔「何で?」
七海「いや、なんとなく」
七海は俺の顔をのぞき込んだ。
七海「ちょっと考え事が多い気がする」
朔「そうか?」
七海「うん。昨日も帰るの遅かったでしょ?」
朔「ああ。図書室に寄ってた」
七海「図書室?」
七海は意外そうに目を丸くした。
七海「珍しいね。朔、本なんて読むんだ」
朔「たまには読むだろ」
七海「最後に朔が本を読んでるところ見たの、いつだっけ」
朔「……うるさいな」
七海は楽しそうに笑った。
七海「で、何読んでたの?」
朔「いや、結局読んでない」
七海「は?」
朔「本を探してただけ」
七海「ますます意味わかんないんだけど」
俺は返事に困った。
まさか、藤崎がどんな本を読むのか気になって図書室に行った、などと言えるわけがない。
いや、別にやましいことは何もないのだが。
朔「……そういう日もあるだろ」
七海「ないよ」
七海は即答した。
それから、少し考えるように視線を落とした。
七海「……もしかして、藤崎さん?」
朔「え?」
七海「最近、よく見てるじゃん」
朔「見てない」
七海「昨日、図書室にいたんでしょ?」
朔「それは……」
七海「一緒にいたの?」
朔「いや、少し話しただけ」
七海「ふうん」
七海は前を向いた。
七海「朔って、藤崎さんのこと気になってるの?」
朔「いや、別に」
七海「本当に?」
朔「顔が好みなだけだよ」
俺は正直に答えた。
七海は少しだけ黙った。
それから、いつもの調子で言った。
七海「そっか」
朔「何だよ」
七海「ううん。朔らしいなって思っただけ」
朔「どういう意味だよ」
七海「そのまんま」
七海は笑っていた。
けれど、すぐに少し真面目な顔になった。
七海「でもさ、朔」
朔「ん?」
七海「顔がいいのと、好きになるのって、別じゃない?」
俺は返事をしなかった。
七海はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、いつものように隣を歩いていた。
俺はその横顔を見つめた。
何年も一緒に過ごしてきた幼馴染。
好きな食べ物も、苦手なものも、機嫌がいいときの顔も、落ち込んでいるときの癖も知っている。
七海のことなら、だいたいわかっているつもりだった。
けれど、今の七海が何を考えているのかは、よくわからなかった。




