満点の転校生は、俺に興味がない
担任「藤崎の席は……そうだな、水瀬の隣が空いているな」
担任のその一言に、俺は顔を上げた。
教室の視線が、教壇の前に立つ藤崎澪へと集まっている。
黒板には、担任が書いたばかりの名前。
藤崎澪。
昨日まで存在すら知らなかった女子が、今日から俺のクラスメイトになる。
担任「じゃあ、藤崎。あそこの席に座ってくれ」
澪「わかりました」
藤崎は短く答え、こちらへ歩いてきた。
近くで見ると、やはり整っている。
顔立ちに無駄がない。黒髪は肩のあたりで揃えられ、歩く姿勢も綺麗だった。化粧をしているようには見えないが、肌もきめ細かい。
昨日までの俺なら、こういう女子を見かけたとき、頭の中で勝手に評価をつけて終わりだった。
だが、今回は少し違う。
すでに満点をつけてしまっている。
これ以上、何を評価すればいいのだろう。
「……」
藤崎は俺の横を通り、椅子を引いた。
鞄を机の横に掛け、教科書を取り出す。
それで終わりだった。
こちらを見ることも、話しかけることもない。
教室に入ってきたときに一瞬目が合った。それだけだ。
別に、話しかけてほしいわけではない。
ただ、こういう女子なら、もう少しくらい周囲を気にするものだと思っていた。
クラスメイト「なあ、水瀬」
後ろから声をかけられた。
朔「何?」
クラスメイト「お前、隣が藤崎でよかったな」
朔「何が?」
クラスメイト「いや、だってめちゃくちゃ美人じゃん。席替えしてほしいくらいだわ」
朔「そうだな」
クラスメイト「お前、反応薄くね?」
朔「別に、俺の席だし」
クラスメイト「そういうことじゃねえよ」
男子は呆れたように笑った。
俺だって、藤崎が美人なのは認めている。
というか、満点をつけたのだから、今さら否定する余地もない。
けれど、周囲が騒いでいるほど、本人は何も気にしていないようだった。
窓の外を見るでもなく、スマートフォンを触るでもなく、淡々と教科書を開いている。
その横顔を眺めていると、ふいに藤崎がこちらを向いた。
澪「何?」
朔「……いや」
澪「さっきから見てるけど」
朔「そうだった?」
澪「そうだったけど」
思ったより、はっきりした口調だった。
怒っているというより、単純に疑問を口にしているような顔。
俺は少しだけ考えた。
朔「転校初日だろ。緊張してるのかと思って」
澪「してないけど」
朔「そう」
澪「それだけ?」
朔「それだけ」
藤崎は俺を数秒見つめたあと、再び教科書へ視線を戻した。
澪「変な人」
小さく聞こえたその一言に、俺は思わず眉をひそめた。
……変な人?
俺が?
初対面の女子に、そんなことを言われたのは初めてだった。
*
午前中の授業は、特に何事もなく終わった。
藤崎は授業中、一度も無駄口を叩かなかった。教師に指名されれば簡潔に答え、ノートを取り、必要なところだけ教科書に線を引く。
真面目なのか、要領がいいのか。
少なくとも、授業を受ける姿勢に関しては好印象だった。
もっとも、それで俺の中の評価が上がるわけではない。
容姿の点数と、学力や性格の評価は別物だ。
……いや、そもそも俺は、性格まで点数に含めていたのだったか。
自分の採点基準について考えているうちに、チャイムが鳴った。
澪「水瀬くん」
隣から声がした。
初めて名前を呼ばれた。
俺は顔を向ける。
朔「何?」
澪「次の授業って、数学で合ってる?」
朔「そうだけど」
澪「教室移動は?」
朔「ない」
澪「ありがとう」
それだけ言うと、藤崎は自分の机に向き直った。
……なんだ。
普通に話せるじゃないか。
いや、別に話せないと思っていたわけではないが。
ただ、少し拍子抜けした。
俺は自分から女子に話しかけることが、決して苦手ではない。
むしろ、相手によっては向こうから話しかけてくることも多い。
だからこそ、こちらから話題を探す必要がなかった。
しかし藤崎は違う。
話しかければ答える。必要なら自分から話しかけてくる。
それ以上でも、それ以下でもない。
俺がどういう人間なのか、知りたいとも思っていないようだった。
朔「なあ、藤崎」
澪「何?」
朔「前はどこに住んでたんだ?」
澪「隣の県」
朔「へえ。なんでこっちに?」
澪「家庭の事情」
朔「ああ、そうなんだ」
澪「うん」
会話が終わった。
見事なくらい、終わった。
俺はしばらく彼女の横顔を眺めた。
別に、家庭の事情を詳しく聞きたいわけではない。初対面の相手に根掘り葉掘り尋ねるほど、無神経なつもりもなかった。
ただ、普通はもう少し会話が続くものではないだろうか。
例えば、前の学校はどんなところだったとか、ここの学校はどうだとか。
そういう話をする余地くらいはある。
けれど藤崎は、質問されたことに答えるだけで、それ以上の話を広げようとしなかった。
……なるほど。
少しだけわかってきた。
こいつ、かなりマイペースだ。
*
昼休み。
俺はいつものように、七海と昼食を取るために教室を出た。
七海は別のクラスだが、昼休みになると廊下で合流するのが習慣になっている。
七海「朔ー!」
廊下の向こうから、七海が手を振っていた。
朔「おう」
七海「今日のお昼、購買?」
朔「いや、コンビニ」
七海「また?」
朔「また」
七海「ちゃんと野菜食べてる?」
朔「サラダチキンに野菜が入ってるやつを食べた」
七海「それ、野菜食べたって言えるの?」
朔「入ってるんだから食べたことになるだろ」
七海「そういう問題じゃないと思うんだけど……」
七海は呆れながらも、俺の隣を歩いた。
いつものやり取り。
いつもの距離感。
気を遣う必要もなければ、話題に困ることもない。
それが七海との関係だった。
七海「そういえば、転校生どうだった?」
七海が尋ねてきた。
朔「どうって?」
七海「朝、言ってたじゃん。転校生が来るって」
朔「ああ、藤崎な」
七海「うん。可愛い?」
朔「可愛い」
七海「即答だ……」
朔「事実だからな」
七海は少しだけ口を尖らせた。
七海「ふーん。そんなに?」
朔「今まで見た中でも、かなり上だと思う」
七海「へえ」
朔「顔も髪型も雰囲気も、全部いい」
七海「……そっか」
七海は前を向いた。
その声が、ほんの少しだけ小さくなった気がした。
けれど、俺は特に気に留めなかった。
朔「でも、性格はよくわからん」
七海「性格?」
朔「話してみたけど、必要なことしか喋らないんだよ。こっちから話しかけても、すぐ会話が終わる」
七海「朔が?」
朔「何だよ」
七海「朔って、女の子と話すの得意じゃん」
朔「別に、普通だろ」
七海「普通の人は、自分から話しかけて会話を続けようとしたりしないよ」
朔「そうか?」
七海「そうだよ」
七海は少し笑った。
七海「でも、朔がそんなに気になるなんて珍しいね」
朔「気になるっていうか……」
俺は言葉を探した。
気になる。
そうなのだろうか。
顔が好みだから、もっと知りたいと思った。
それだけなら、今までにもあったことだ。
けれど、今までの相手は、少し話せば満足していた。
相手の反応がよければ、好印象を持つ。反応が悪ければ、まあ、そういうこともあると考える。
それだけだった。
なのに、藤崎には、もう一度話しかけてみたいと思っている。
なぜだろう。
朔「……まあ、珍しいかもな」
結局、そう答えた。
七海は何も言わず、少しだけ笑った。
*
午後の授業が終わる頃には、藤崎の周囲にも何人かのクラスメイトが集まっていた。
クラスの女子1「藤崎さんって、前の学校でもモテたでしょ?」
クラスの女子2「彼氏とかいたの?」
クラスの女子3「好きなタイプは?」
女子たちが次々に質問を投げかけている。
藤崎は鞄に教科書をしまいながら、淡々と答えていた。
澪「モテたかどうかは知らない」
クラスの女子1「彼氏は?」
澪「いない」
クラスに女子たち「えっ、いないの? こんなに可愛いのに!」
澪「可愛いかどうかと、彼氏がいるかどうかは関係ないでしょ」
その場が一瞬、静かになった。
質問した女子は、困ったように笑った。
クラスの女子1「あ、まあ、そうだけど……」
澪「それに、好きなタイプを聞いてどうするの?」
クラスの女子1「え?」
澪「私の好きなタイプを聞いたところで、あなたたちには関係ないでしょ」
今度こそ、空気が止まった。
藤崎は気にする様子もなく、鞄を肩に掛けた。
澪「じゃあ、お先に」
そう言って、教室を出ていく。
残された女子たちは、顔を見合わせていた。
クラスの女子1「……なんか、すごい子だね」
クラスの女子2「美人だけど、ちょっと怖くない?」
クラスの女子3「わかる。もうちょっと愛想よくしてくれてもいいのに」
そんな声が聞こえてくる。
俺は席に座ったまま、扉の向こうを眺めていた。
なるほど。
そういうタイプか。
美人であることを自覚しているのかどうかはわからない。
ただ、自分をよく見せようとする気がないのは確かだった。
相手が誰であろうと、言いたいことを言う。
嫌われるかもしれないとか、空気が悪くなるかもしれないとか、そういうことを考えていないように見える。
いや、考えたうえで、気にしていないのかもしれない。
俺には、どちらなのか判断できなかった。
クラスメイト「水瀬、帰らねえの?」
友人に声をかけられ、我に返る。
朔「ああ、帰る」
鞄を持ち、教室を出た。
廊下を歩きながら、俺はふと思った。
藤崎澪は、満点の女子だ。
それは間違いない。
けれど、俺が知っている美人とは、何かが違う。
周囲に好かれることを望んでいないように見える。
自分がどう評価されているのかにも、興味がなさそうだった。
そんな人間が、本当にいるのだろうか。
少なくとも、俺の周りにはいなかった。
*
翌朝。
教室に入ると、藤崎はすでに席に座っていた。
机の上には、一冊の文庫本が置かれている。
表紙を見ても、タイトルはよくわからなかった。
俺が席に着くと、藤崎は本から顔を上げた。
澪「おはよう」
朔「……おはよう」
予想外だった。
向こうから挨拶してくるとは思っていなかった。
いや、挨拶くらい普通にするだろう。
俺は何を驚いているのだろうか。
澪「昨日の数学、先生が言ってた宿題って、ここの問題で合ってる?」
藤崎がノートをこちらに向けた。
朔「ああ、そこ。次のページまで」
澪「ありがとう」
彼女はノートを閉じた。
会話はそれで終わり。
けれど、昨日よりは自然に話せた気がした。
俺は鞄から教科書を取り出しながら、何気なく尋ねた。
朔「その本、面白いの?」
藤崎の手が止まった。
彼女は本の表紙を見て、それから俺に視線を向ける。
澪「面白いよ」
朔「どんな話?」
澪「読めばわかる」
朔「……いや、そうだけど」
澪「ネタバレしてほしいの?」
朔「そういう意味じゃない」
澪「じゃあ、読めばいいじゃん」
藤崎は本を机の中にしまった。
そして、何事もなかったかのように教科書を開く。
俺はしばらく、その横顔を見つめていた。
……本当に、可愛げがない。
顔は満点。
髪型も満点。
雰囲気も満点。
なのに、話していると調子が狂う。
普通なら、もう少し相手に合わせるものではないだろうか。
俺が今まで関わってきた女子は、もっと愛想がよかった。
こちらが話しかければ笑ってくれるし、話題を振れば興味を示してくれる。
もちろん、全員がそうだったわけではない。
ただ、少なくとも俺に対して、あからさまに興味がなさそうな女子は珍しかった。
藤崎は違う。
俺がどんな顔をしていようと、どんな話し方をしようと、彼女の態度は変わらない。
俺が水瀬朔だから、という理由で何かが変わることはないのだろう。
それが、少しだけ面白くなかった。
そして同時に。
もう少し、この女のことを知りたいと思った。
どうして、こんなにも周囲の評価を気にしないのか。
何を考えているのか。
どんなものが好きで、どんなものが嫌いなのか。
俺のことを、どう思っているのか。
そこまで考えて、俺は小さく息を吐いた。
……何を考えているんだ、俺は。
相手はただの転校生だ。
顔が好みだからといって、そこまで気にする必要はない。
そもそも、俺はまだ藤崎のことを何も知らない。
知っているのは、名前と、顔が綺麗なことと、少し口が悪いことくらいだ。
それだけで、人間を判断するのは早すぎる。
いつも他人を採点している俺が、そんなことを考えるなんて。
我ながら、おかしな話だった。
澪「……水瀬くん」
朔「ん?」
藤崎がこちらを向いた。
澪「さっきから、何か言いたそうだけど」
朔「いや、別に」
澪「そう」
彼女は一度だけ俺を見て、また前を向いた。
澪「変なの」
昨日と同じ言葉だった。
俺は思わず笑ってしまった。
朔「お前、俺のこと変なやつだと思ってるだろ」
澪「ええ」
朔「即答かよ」
澪「だって、変だし」
朔「どこが?」
澪「それ、自分で考えたら?」
藤崎はそう言って、窓の外へ視線を向けた。
俺は彼女の横顔を見た。
そして、心の中で、もう一度だけ採点する。
顔立ち、百点。
髪型、百点。
雰囲気、百点。
総合評価、百点。
……ただし。
性格については、今のところ採点保留。
そう結論づけたところで、始業のチャイムが鳴った。




