第3話:薬草の森で触れた指先と、初めて聞こえた甘い声
次の日、閉店の準備をしていると、レイナード一行が店へやって来た。
「レイナード様、間に合ったようです」
ペトラスの言葉にレイナードはホッと息をついていた。
「ちょうど良かったです。入れ違いにならなくて」
リリィは小脇に抱えていた、薬の入った紙袋をそっと差し出した。
「お代は次で結構です。それじゃあ……」
そう言ってお辞儀をして背を向けようとした時だった。
「!」
レイナードが、強くリリィの腕を掴んだ。
「あの……?」
リリィが目をぱちくりさせていると、彼は懐から手帳を取り出し、流れるように文字を綴った。
『どこかへ行くのですか?』
走り書きとは思えないほど美しい文字に感心しながら、リリィは頷いた。
「はい。森へ薬草を採集しに行きます。この地でしか採れない薬草や、保存の難しい薬草もたくさんあるんですよ」
わくわくしながらそう言うと、レイナードは興味深そうな顔をして紙にペンを走らせた。
『私もご一緒してもよろしいですか? 最近は陽が落ちるのも早くなりましたし、護衛をさせて下さい』
「それは構いませんが。……あまり楽しくないと思いますよ?」
『そんな事はありません。薬草の話を聞いているだけで楽しいです』
レイナードはそう書くと、リリィの顔を伺うように見つめる。散歩前の子犬のようなその表情に、リリィはふっと笑った。
「では、手伝ってもらいますね」
♣︎♣︎♣︎
ゼルビアナの森は他の地域より魔素が強い。そのため、他の地域では採れない薬草がたくさん自生していた。
レイナードとペトラスが魔物の気配を警戒している間に、リリィは黙々と薬草を採集し、次々に採集籠へ薬草を入れていく。
「す、すごい速さですね。……見習い騎士さながらの素早さだ……訓練項目に薬草採集を入れるべきか……?」
鬼気迫る勢いであっという間にいっぱいになっていく籠をみながら、ペトラスが呟く。
レイナードは籠に入った薬草をそっと摘むと、じっと見つめた。
「あ、それハニーレイマロウです。甘い香りがするでしょう?」
薬草を採集し終わったリリィが爽やかな汗をかきながら、満足そうに近づき、ハニーレイマロウを一掴みすると、陽の光にかざした。
「強い聖属性と甘みがあるんです。レイナードさんの飴にも多めに入れたら甘くなると思いますよ。……ふふ、レイナードさんの喉を早く治してあげてね、ハニーちゃん」
優しく語りかけると、陽の光を浴びた葉が応えるように揺れた。
その瞬間、リリィの指先から温かな光がこぼれ落ちた気がした。——けれど彼女自身は、その小さな変化に気づかなかった。
「ふふ。今日も輝くような美しい緑ね」
リリィは微笑み、ハニーレイマロウの葉を、ぱくりと一枚だけ口に含む。
「甘いですよ」
そう言ってもう一枚の葉を差し出すと、レイナードは驚いたような顔をした。
(あ! そうか。普通の令嬢ならこんな事しないよね)
貴人の前での失態に、リリィは赤くなったり、冷や汗をかきながら、レイナードへ視線を向ける。
すると——
ぱく。
「……え?」
リリィが呆気に取られた瞬間、差し出していた彼女の指先へ、レイナードの形の良い唇がそっと触れた。
視線が絡み合ったまま、彼がリリィの手から直接、ハニーレイマロウの葉を食む。
「!!??」
唇が指にかすめた微かな熱と、至近距離から漂う彼の香りに、リリィの心臓が跳ね上がった。
長いまつ毛の奥で、澄んだ水色の瞳が揺れる。沈みかけた夕日の橙がその瞳に溶け込み、まるで宝石のような、神秘的な光を湛えている。
間近で見る彼は、想像を遥かに絶するほど美しい青年だった。
すっと、伏目がちの眼差しが持ちあげられ、リリィをまっすぐにとらえる。
悪戯っぽく微笑むその顔は世の女性達を虜にするには十分すぎるほどの高貴な品の良さと甘い色気を孕んでいた。
(〜〜〜っ!!!)
思わず、パッと手を離して薬草の何本かを取り落としてしまう。
レイナードは不思議そうに首を傾げた。
しかし、次の瞬間、彼はハッと目を見張り、自らの喉元を片手で押さえた。
「……リリィ? ……あ」
かすれてはいるが、それは紛れもなく、初めて聞く彼の甘い声だった。
「え?」
レイナードを見つめながら、リリィは目を丸くする。
(名前……呼ばれた……?)
レイナード自身も自らの声に驚いたように、小さく息を呑む。
「声が……出た……?」
途切れ途切れの言葉を、彼は信じられないという顔で、確かめるように紡いだ。
「レイナード様……!」
ペトラスが歓喜の声を漏らした。
その様子を見ながら、リリィは目をぱちくりさせて、足元に落ちたハニーレイマロウの葉を拾い上げた。
(すごい……驚くべき効果だわ。でもなぜかしら? きちんと分析しないと……)
先ほどまでの心臓のバクバクも忘れ、しゃがみ込んで薬草を凝視するリリィ。その必死な横顔に、ふと影が落ちる。
「リリィ」
自分の名を呼ぶ穏やかな声にハッとして顔を上げると、いつの間にか同じ目線にしゃがみ込んだレイナードが、すぐ近くで彼女を覗き込んでいた。まだ少し掠れた、けれど酷く耳に心地いい声で囁く。
「もう……時間、遅い。帰ろう?」
差し出された大きな手に、リリィは再び顔がカッと熱くなるのを感じた。
「……そうですね。もう陽が落ちますし」
リリィは動揺を隠すように視線を逸らしながら彼の手を取り立ち上がると、すかさずレイナードが「それは、私が」と、リリィが背負おうとした重い採集籠をひょいと肩に担ぎ直す。
リリィは赤くなった手を隠しながら、三人で茜色に染まる森の出口を目指した。
♣︎♣︎♣︎
森へ行った翌日の昼下がり。リリィは休憩室でバゲットサンドを頬張ろうとしていた。
かぶりつくその寸前、カランカランと軽快なカウベルが店内に鳴り響く。
「お客様だわ!」
慌ててフードをかぶりながら立ち上がり、店先へと続くドアを開くと、そこにはレイナードが立っていた。
「お待たせしました!」
リリィと目が合うと、彼は一瞬、目を見開いて驚いたような顔をした。しかしすぐに朗らかに微笑み、リリィに向けてちょいちょいと指をさした。
「ん?」
その視線を辿ると、リリィの片手にはたった今、かぶりつこうとしてたバゲットサンドを持ったままだった。
「あはは……お昼を食べようとしてまして……あ、食べます?」
勢いでそう言った瞬間、リリィは深く後悔した。
(ああぁ! またやってしまったわ! 明らかに貴族のレイナードさんに何を言ってるの私……!)
冷や汗をかきながら、誤魔化す言葉を探していると、レイナードがくすりと笑った。
「一緒、いい?」
予想外の返答に驚きながら、リリィは姿勢を正して休憩室の扉を開けた。
「も、もちろんです! どうぞこちらへ!」
カチコチになりながら、レイナードを案内すると、テーブルにバゲットサンドを並べた。
「今日はペトラスさんはご一緒じゃないんですね」
「ん、来客」
短く言いながら、珍しそうにバゲットサンドを見つめる。
「リリィ、作った?」
「はい。バゲットサンドです。こうやって持って食べます。手が汚れないし、栄養も手早くとれるからよく作るんです」
レイナードは嬉しそうな笑みを浮かべ、しばらくバゲットサンドを眺めてから、ぱくりとかぶりついた。
「サクッ」と、バゲットの端が小気味よい音を立てる。
(なぜ、レイナードさんはかぶりつく姿までが上品なのかしら……?)
不思議に思いつつ、どきどきしながらその横顔を見つめる。
「お味はどうですか?」
恐る恐る尋ねると、レイナードは満面の笑みを浮かべた。
「……美味しい」
「よ、良かったぁ〜。人に食べてもらうのは初めてだから心配してたんです」
リリィは胸を撫で下ろした。
「私が、初めて?」
レイナードの言葉に、一瞬、部屋から一切の音が消えたような錯覚に陥った。
水色の瞳を揺らしながら、リリィをじっと見つめている。その瞳が、窓からの光を反射してきらりと輝いた。
「ええ。料理は最近覚えたばかりなんです。薬草の調合に少し似ていて、面白いんですよ」
令嬢として暮らしていた時には料理などする機会がなかったが、今では料理はこの辺境の地に来て始めたリリィのささやかな趣味になっていた。
楽しそうに弾んだ声で料理を語るリリィを、レイナードは静かに微笑みながら見つめていた。
窓からやわらかな風が昼下がりの休憩室にそっと吹き抜ける。遮光カーテンを透過した木漏れ日の形を揺らしながら、カーテンが優しく揺れた。
リリィは、誰かと談笑しながらゆっくり食事をするのは本当に久しぶりだと思った。
レイナードの笑みを見ながら、心がじんわり温かくなるのを感じる。
「リリィ……」
レイナードが何かを言おうと、口を開きかけたその時だった。
「ごほっ! ごほっ!」
静かな部屋に喉を抑えながら、レイナードが激しく咳込む音が響く。
「レイナードさん! 大丈夫ですか!?」
リリィが慌てて彼の背をさすると、少しずつ咳はおさまった。衣服越しに触れた彼の背中に、どこか平熱より高い熱が籠もっているような気がして、リリィは小さく眉をひそめる。
「まだあまり無理をして喋ろうとしないでください。ね?」
しばらくして落ち着くと、レイナードはリリィを安心させるように笑みを浮かべる。しかしリリィには顔色の悪さは誤魔化せなかった。
「……そうだ。のど飴も改良したんですよ」
リリィは試作したばかりのレイナード用のど飴を棚から出した。
「どうぞ」と差し出した指先の上で、琥珀色の飴が午後の光を浴びて宝石のようにきらめいた。
レイナードはそれを見つめ、あーんとばかりに形の良い唇を開けた。
「ふぇ!?」
上目遣いに水色の瞳がリリィを映し出す。
(こ、これは医療行為よ……!)
意を決して彼の唇に飴を入れる。
触れた指先から唇の柔らかさと熱が伝わり、リリィの心臓が警鐘のように跳ね上がった。
「甘い」
リリィの動揺を知ってか知らずか、レイナードはにっこりと満足そうに微笑んだ。
「それはよかった! 改良成功ですね!」
(甘いのは貴方の声と行動です……っ!)
顔に集まる熱をごまかすように声を張るリリィ。
レイナードに翻弄されながら、戸惑いと少しの楽しさに揺れた昼休みは過ぎていき——いつもの薬を渡すと、彼は手をあげて去って行った。
彼が去った休憩室は、心なしかさっきより少しひんやりとして寂しく感じられた。
♣︎♣︎♣︎




