第九章 襲撃
シモンがクリスティアーナに会いに来たのは、それから一ヶ月以上も後のことだった。
「久しぶりだな」
平日の昼下がりにやってきたシモンは恐れていたよりも穏やかな口調で話しかけてきたが、彼の顔を見ることはクリスティアーナには出来なかった。
「シモン様……コーデリアなら、今の時間は学園におります。そちらに行かれては?」
「何故? 僕は君に会いに来たのだが」
シモンの声に苛立ちが混ざる。怖くなったが、クリスティアーナは懸命に言葉を紡いだ。
「私には、シモン様にお会いするようなご用事はございません」
「用事がなければ来てはいけないのか。君は僕の婚約者だ」
以前なら、そんな言葉に嬉しくなっていただろう。だが、今のクリスティアーナは心底怖い。気まぐれなシモンも、敵意をぶつけてくるコーデリアも、自分をお荷物としか思っていない両親も。
「コーデリアは、学園におります。どうぞ、そちらへ」
突然、シモンが客間のテーブルを強く叩いた。
「何度も言わせるな! こちらは君に用事があるのだ!」
そして彼は、クリスティアーナの手首をぐいっとつかんだ。
「シモン様……」
思わず見上げると、シモンと目が合った。彼の目は、怒りと疑念でぎらぎらと輝いている。
「__母が倒れたあの日、ティーポットに残っていた茶から毒が検出された」
クリスティアーナは息を呑んだ。
「毒……?」
「そう、毒だ。魔法でも何でもない、魔法無しでも調達できる飲み薬だ」
クリスティアーナはシモンの言葉を咀嚼し、愕然とした。
「それは、まさか……私が毒を入れたとお思いですか!?」
「違うのか?」
「どうして私が、そのような……!」
否定を重ねようとした時、喉元の火傷が激しく痛んだ。喉を締めつけ、言葉を奪うほどに。
黙り込むクリスティアーナの顔を覗き込み、シモンは囁いた。
「母が無事で良かったな。もしあれで亡くなっていたら、僕の手で君を殺していた。……何とか言ったらどうだ?」
クリスティアーナは喉を押さえ、咳き込みながら、
「コーデリアが、私が犯人だと言ったのでしょうね」
と言い返した。
「コーデリア? 何故あの子の名前を出す」
「__いえ。いかにも、あの子がやりそうなことだと思いまして」
「黙れ! コーデリアを侮辱する気か?」
「ごめんなさい。あなたの愛しい想い人でしたわね。私みたいなお飾りの婚約者ではなく、本当の恋人。何しろあの子はあなたと同じ魔法使いですものね」
今までないほどするすると言葉が出てくることに、クリスティアーナ自身が驚いた。__我慢していたけど、本当はずっとそう言ってやりたかったのだと思った。
「あの子が何を言っても、盲目的に信じるのでしょう。でしたらもう、あの子とご結婚なさって下さいな。どうせあなたは長男ではないのだから、我が子爵家に婿入りなされば良いでしょう」
「何を__」
「ええ、そうですわ。お義母様に毒を飲ませたのは私です! そう信じていればいいわ。あなたみたいなぼんやりした方は、大切な人を失うまで、本当に邪悪な人間に気づかないのだわ」
クリスティアーナは笑った。笑い声を聞きつけて、召し使いたちが様子を見にやってきた。シモンを客間に残し、クリスティアーナは自分の部屋に帰って行った。鍵を内側からしっかりとかけ、そのままベッドに倒れ込んで眠った。
目を覚ました時、時刻は夕方となっていた。屋敷内は不気味なほど静かだ。シモンは帰ってしまったらしい。
今度こそ、婚約者に嫌われただろう。クリスティアーナは、計画通りと微笑もうとした。婚約破棄を向こうから申し出てくれたら、皆が幸せになる。コーデリアを愛するシモンも、コーデリアも、賠償金を払いたくない両親も。それでいいのだ。
だけど__本当は、いや、元々は。自分は、シモンと幸せになりたかったのに。
胸と喉の痛みに気づかないふりをして、クリスティアーナは日課の散歩に出かけた。コーデリアと廊下ですれ違ったが、何も言われなかった。妹も、この結果にご満悦なのだろうと思った。
季節が移り、夕刻ともなると肌寒いこの頃、いつもの散歩道は人通りが少ない。足音を響かせ、マエストロから貰った貝殻を手の中で転がしながらクリスティアーナは歩いた。せっかくもらったお守りだけど、使いどころが分からずにいる。助けてくれるとは言うが、マエストロは何の魔法も使えない魔法無しなのだ。クリスティアーナと同じように。
不意につむじ風が起こり、クリスティアーナを斬りつけた。
「きゃっ……!」
腕に痛みが走る。思わず立ち止まった彼女は、いつの間にか周囲を囲まれていることに気がついた。薄暗い景色に溶け込む黒っぽい服装に、顔を隠すマスク。
クリスティアーナが何か言う前に、頭に重い衝撃が走り、そのまま何も分からなくなった。
ぱちりと目が覚めた時、クリスティアーナは手足を縛られ、地面に転がされていた。
視界は真っ暗だ。ただ、何人もの人間が周囲を立ち歩いているのが音と気配で分かった。叫ぶと、その中の一人がしゃがみこんだ。
「大声を出しても、無駄だぜ。お嬢ちゃん。結界を張ったからな」
知らない男の声だ。がさがさした太い指で顔を撫でられ、背筋がぞっとした。
「お嬢ちゃんには悪いけどさ、さる方々からのご命令だからな。これからちょっとばかり楽しませてもらうぜ」
男たちはクリスティアーナのそばに寄り、彼女の衣服を無造作につかんだ。
「殺しさえしなければ、何やってもいいんだってよ。あんた、その歳で、どんな恨まれることしたんだ?」
たくさんの手に体をべたべたと触られ、クリスティアーナは悲鳴を上げた。
「助けて……!」
男たちが嘲笑う。貝殻を潰そうとして、しかし不自由な手の中が空っぽであることに気がつき、クリスティアーナは絶望した。
「助けて、マエストロ……!」
その時、男たちの中の一人が忌々しげにつぶやいた。
「こんな時に、他の男を呼ぶか」
クリスティアーナは視線を周囲に走らせた。貝殻は奪われてしまったのか、それとも落としたのか?
神は最後の瞬間になって、ようやく少しくらいはクリスティアーナに味方してやろうという気になったらしい。懸命に探した末、さほど離れていない地面に、ころんと小石のような貝殻が落ちているのを彼女は見つけた。
「その貝殻……!」
「あ?」
訝しげな男たちに向かって、クリスティアーナは叫んだ。
「その貝殻を……“潰さないで”!!」
その瞬間、先ほどクリスティアーナを呟くように非難した一人の男が、足を上げ、地面の小さな貝を踏み砕いた。




