第6話 落ちた一枚
断罪審理の、前日。
大審理院では、明日の審理に向けた準備が進められていた。私は被告でありながら、補佐人としての立場をまだ正式には解かれておらず、皮肉なことに、準備の場に立ち会うことを許されていた。
検事ロデリク=ファルケが、証拠書類を確認している。聖女の心証で結論はほぼ決まっているはずなのに、彼は形式を整えることに余念がなかった。出世のためには、手続きの体裁も必要なのだろう。
その傍らに、アデライド=フォン=ベルガーがいた。
明日の「証言」の打ち合わせだろう。彼女は、ロデリクと小声で何かを話していた。
「……ですから、明日も、同じように泣けばよろしいのね?」
「ああ。聖女様が心証を述べた後、君が念を押せばいい。それで決まる」
私は、少し離れた席で、調書を読むふりをしながら、その様子を見ていた。
アデライドの手には、一枚の紙があった。
彼女は、それを何度も確認している。明日の「証言」の筋書きを書いたものだろう。
準備が終わり、人々が退室し始めた。
アデライドも、ロデリクに一礼して、立ち上がる。
そのとき。
彼女の手から、ひらりと、一枚の紙が滑り落ちた。
彼女は気づかなかった。扇を広げ、優雅に歩き去っていく。
ロデリクも、書類を抱えて、別の扉から出ていった。
審理室に、私一人が残された。
床に落ちた、一枚の紙。
私は、それを見た。拾うべきか、迷った。
他人の落とし物を勝手に検めるのは、褒められたことではない。
けれど──明日、私を断罪する「証言」の筋書きが、そこにあるとしたら。
私は、ゆっくりと歩み寄り、その紙を拾った。
書かれていたのは、明日の段取りだった。
いつ泣くか。どの言葉を言うか。──そして、その余白に、別の筆跡で、走り書きがあった。
『M卿より。アーレンスを確実に。報酬は約束どおり』
M卿。
マグヌス=フォン=オルデン。
私の指が、わずかに震えた。
これは、ただの令嬢の嫉妬による陥れではない。
大法官マグヌスが、報酬と引き換えに、アデライドを使って私を陥れている。──父を退けたのと、同じ手で。
証拠だった。
動かぬ、決定的な証拠。
けれど、私はすぐに気づいた。
今、これを審理に提出しても、無駄だ。
聖女の心証で証拠が退けられる場では、この紙もまた、「後から書き換えられたもの」とされる。アデライドはまた泣くだろう。ロデリクは検分を拒むだろう。──そして、私がこれを「盗み見た」ことだけが、新たな罪に加えられる。
今は、まだ、そのときではない。
私は、その紙を、丁寧に折りたたんだ。
そして、父の判例集の、表紙の裏に、そっと挟み込んだ。
(いつか)
心は書き換えられても、記録は残る。
この一枚は、今は何の力も持たない。けれど、いつか──証拠が証拠として扱われる日が来たなら。
この紙が、すべてを覆す。
「お嬢様」
声に振り返ると、家令のセバスが、迎えに来ていた。
「明日の、お支度を……」
「ええ」私は、判例集を抱え直した。「行きましょう」
審理室を出るとき、私は一度だけ、振り返った。
明日、私はこの部屋で、罪人にされる。
けれど。
私の手の中には、もう、二つの記録がある。
父の遺した盾と──落ちた一枚の、矢じり。
恐れは、なかった。
お読みいただきありがとうございます。
アデライドが落とした一枚の紙。そこに記された「M卿」の文字──コルネリアを陥れた黒幕が、大法官マグヌスであることが、読者の皆さまだけに明かされました。
ですが、コルネリアは今これを使いません。「証拠が証拠として扱われる日」まで、彼女はこれを隠し持ちます。この一枚が再び姿を現すのは、ずっと先のことです。
次話はいよいよ公開断罪。コルネリアの気高い退場をお届けします。
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