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断罪された“法の番人”は、辺境で本物の裁きを始めます  作者: 月影すずり


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5/10

第5話 記録こそが盾

 断罪審理を二日後に控えた夜。

 私は、アーレンス公爵邸の書庫にいた。


 亡き父が遺した、おびただしい量の記録。判例集、調書の写し、自筆の覚書。家令のセバスが、ろうそくを手に、私のそばに立っていた。


「お嬢様。──本当に、抗わずに行かれるのですか」


 老いた家令の声は、震えていた。


「抗う、とは?」


「王宮には、まだアーレンス家に恩のある方々がおられます。手を回せば、審理を遅らせることも、あるいは……」


「セバス」私は、彼を見た。「それは、私がやってはいけないことです」


「ですが──」


「考えてみてください。私が裏で手を回し、審理を歪めたら。私は、聖女の心証で人を裁く者たちと、何が違うのですか。──彼らは声で事実を捻じ曲げ、私は人脈で捻じ曲げる。同じです」


 セバスは、唇を噛んだ。


「私が今日まで疎まれてきたのは、『証拠で裁け、声で裁くな』と言い続けてきたからです。その私が、いざ自分のこととなって、声と力で逃げたら──私の言葉は、すべて嘘になる」


「……旦那様も、同じことを仰っていました」


 私は、手を止めた。


「父が?」


 セバスは、古い覚書の束を、そっと私の前に置いた。


「旦那様が、職を追われたときのことです。──旦那様は、ある貴族の不正を、記録に基づいて告発なさいました。動かぬ証拠でした。ですが、その貴族には、後ろ盾があった。大審理院を束ねる、大法官その人です」


「……大法官、マグヌス=フォン=オルデン卿」


 その名は、知っていた。

 今、王都の司法の頂点に立つ人物。「心証主義を司法に取り入れるべき」と、最も熱心に説いている人。


「マグヌス卿は、旦那様の証拠を退け、逆に旦那様を『私情で同僚を陥れた』と告発なさいました。証拠ではなく──『判事としての心証に欠ける』という理由で。旦那様は、職を失われました」


 私は、覚書を開いた。

 父の几帳面な筆跡が、そこにあった。告発した不正の詳細。退けられた経緯。そして、最後の一行。


『記録は残した。私は退くが、記録は退かない。いつか、これを読む者が現れる』


 胸の奥が、熱くなった。


(お父様)


 父は、負けたのではなかった。

 負けたように見えて、ただ──記録を、遺したのだ。

 いつか、読む者のために。


「セバス。この覚書を、すべて写してください。原本は、家の隠し書庫へ。写しは──」


 私は、机の上の一冊に手を伸ばした。

 古い、革表紙の判例集。父が最も大切にしていた一冊だった。


「これと一緒に、私が持っていきます」


「お嬢様。それは……追放先まで、お持ちになると?」


「ええ」


 私は、その判例集を、胸に抱いた。

 ずしりと重い。けれど、不思議と、温かかった。


「剣も、金も、人脈も、私はもう持てません。──ですが、記録は持てます。記録は、奪われても、燃やされても、誰かが覚えていれば、よみがえる」


「……」


「アーレンス家の家訓を、覚えていますか」


 セバスは、目に涙を浮かべて、答えた。


「『記録こそが、弱き者の最後の盾なり』」


「ええ」


 私は、窓の外の夜空を見た。

 星が、いくつか瞬いていた。


「父は、その盾を遺して逝きました。今度は、私が、その盾を持って立ちます。──戦う場所が、王都でなくとも」


 二日後。

 私は、断罪される。


 けれど、もう、恐れはなかった。

 手の中に、盾があるから。


お読みいただきありがとうございます。

父の失脚の裏にいた大法官マグヌス。コルネリアの戦いは、彼女個人のものではなく、父の代から続く「証拠主義と心証主義の戦い」だったのです。

そして、アーレンス家の家訓「記録こそが、弱き者の最後の盾なり」。これが物語全体を貫く言葉になります。

次話、断罪審理の前夜。アデライドが落とした一枚の紙が、後にすべてを覆す鍵になります。

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