第10話 辺境に、最初の裁き
辺境ヴェルデの町に着いた翌朝、私は、騒ぎに出くわした。
町の広場に、人だかりができていた。その中心で、一人の少女が、後ろ手に縛られ、地面に座らされていた。十二、三歳だろうか。痩せた、目つきの鋭い少女だった。
「こいつが、パン屋の銭箱から、銀貨を盗んだんだ!」
恰幅のいい男が、唾を飛ばして叫んでいた。パン屋の主人らしい。
「現に、店の裏で、こいつを見た者がいる! なあ!」
「あ、ああ。見たぜ。こいつが、裏口をうろついてた」
別の男が、調子を合わせる。
集まった人々は、少女を冷たい目で見ていた。中には、石を拾う者もいた。
「盗人には、罰を!」
「手を切り落とせ! それが、ここの掟だ!」
私は、思わず、人混みをかき分けた。
「お待ちください」
視線が、一斉に私に集まった。
見知らぬ、王都風の身なりの女。人々は、訝しげに私を見た。
「なんだ、あんた」
「通りすがりの者です。──ですが、一つ、お尋ねします。その子が盗んだという、証拠はありますか」
「証拠?」パン屋の主人が、鼻で笑った。「裏口で見たって証言があるんだよ! それで十分だろうが!」
「証言は、証拠ではありません」私は、静かに言った。「では、確かめさせてください。盗まれたのは、いつですか」
「け、今朝だ。店を開ける前、銭箱を見たら、銀貨が三枚、消えてた」
「店を開ける前。──では、その時刻、この子はどこに?」
「裏口をうろついてたって、言ってるだろうが!」
「うろついていた、と、盗んだ、は、違います」
私は、縛られた少女に歩み寄り、しゃがんで、目を合わせた。
「あなた、名前は」
少女は、警戒した目で、私を睨んだ。
けれど、私が殴る素振りも見せないことに気づくと、低く答えた。
「……リーゼ」
「リーゼ。今朝、パン屋の裏口にいたのは、本当?」
「……いた。でも、盗ってない。あたしは、捨てられたパンの耳を、拾いに行っただけだ」
私は、頷いた。
そして、立ち上がり、パン屋の主人に向き直った。
「消えた銀貨は、三枚。──ご主人、その銀貨は、どこに保管していましたか」
「銭箱の、底だ」
「銭箱は、鍵がかかっていましたか」
「あ、ああ。俺しか、鍵は持ってねえ」
「鍵がかかった銭箱の、底の銀貨を、この子が盗った。──では、銭箱は、こじ開けられた跡がありますか。鍵は、壊されていましたか」
パン屋の主人が、口ごもった。
「い、いや……鍵は、無事だった。だが──」
「鍵が無事なら、鍵を持つあなた以外、銭箱を開けられません。この子は、鍵を持っていない。こじ開けた跡もない。──では、どうやって、銀貨を取り出したのですか」
広場が、静まり返った。
「そ、それは……合鍵を、作ったのかも……」
「合鍵を作るには、元の鍵が要ります。元の鍵は、あなたしか持っていない。──いつ、この子に、鍵を渡したのですか」
「渡してなんか、いねえ!」
「では、合鍵は作れません」
私は、ゆっくりと、人々を見渡した。
「整理します。銭箱の鍵は壊されていない。こじ開けた跡もない。鍵を持つのは、ご主人だけ。──ならば、銀貨を取り出せたのは、鍵を持つご主人自身か、あるいは、最初から、銀貨は『消えていなかった』かの、どちらかです」
「な……!」
「ご主人。もう一度、銭箱の底を、よくお確かめください。──三枚の銀貨は、本当に、消えていますか」
パン屋の主人の顔が、青ざめた。
彼は、しばらく動かなかったが、やがて、よろよろと店へ走り、銭箱を抱えて戻ってきた。
震える手で、底をまさぐる。
そして──底板の隙間から、銀貨が、三枚、転がり落ちた。
広場が、どよめいた。
「底板の、隙間に挟まっていたのですね」私は、静かに言った。「盗まれたのではなく、見落とされていただけです。──この子は、何も、盗んでいません」
パン屋の主人は、真っ赤になり、それから、真っ青になった。
「す、すまねえ……俺は、てっきり……」
縛られていたリーゼの縄が、解かれた。
彼女は、呆然と、私を見上げていた。
「な、なんで……あんた、なんで、あたしを……」
「事実が、あなたを無実だと示したからです」私は、彼女の手の縄の痕に、そっと触れた。「私は、あなたを助けたのではありません。──事実が、助けたのです」
人々は、ばつが悪そうに、散っていった。
石を拾っていた者は、その石を、そっと地面に戻した。
私は、広場の中央に立ち、町の人々に向かって、告げた。
「皆さん。今日のことを、よく覚えておいてください。もし今日、私がここを通りかからなければ、この子は、無実のまま、手を切り落とされていた。──力で裁けば、間違いは、取り返しがつきません」
人々は、黙って、私を見ていた。
「ここには、裁きがない。声と力で、人が罰される。それは──裁きではありません」
私は、一度、息を吸った。
そして、自分でも、半ば驚くような言葉を、口にしていた。
「なら、私が作ります。事実だけで、人を裁く場所を。──証拠を持ち寄れば、誰でも、正しく裁かれる場所を」
誰も、笑わなかった。
誰も、信じてはいなかったかもしれない。
けれど、その中で、一人の老人が、群衆の後ろから、私をじっと見ていた。
飄々とした、皮肉そうな目をした、老人だった。
彼は、小さく、呟いた。
「……証拠で裁く、か。──懐かしいねえ、その言葉は」
私は、まだ、その老人の名を知らなかった。
お読みいただきありがとうございます。
ついに第一の山場──コルネリアが、証拠の論理だけで、私刑寸前の少女リーゼを救いました。「私が助けたのではない、事実が助けた」。彼女の信念が、辺境で初めて形になった回です。
そして群衆の後ろで彼女を見ていた、飄々とした老人。「懐かしい」と呟いた彼は何者なのか──次話から、辺境裁定所の物語が本格的に始まります。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。ブックマーク・評価が、続きを書く何よりの力になります。




