32 迷子のネコ
ここの所、家の屋根のペンキ塗りをしています。暑いです。何もこんな季節にしなくてもと思われると思います。でも、冬は寒くてやる気がでませんでした。春は気持ちよくてやる気がでませんでした。梅雨に入り、雨漏りがしてきて、今この時にやっています。
おばあちゃんとお喋りおばさんが話をしています。
「佐藤さんとこのネコが逃げたそうよ」
「佐藤さんのネコは、虎子ちゃんだった?」
「虎子は田中さんのネコ。佐藤さんのネコは、トラ吉?いや、トラ次郎?まあトラ何某よ」
「そのトラ何某は、何所でいなくなったのさ?」
おばあちゃんたちの話を聞くとこうである。
2日前の朝、佐藤さんが朝刊を取りに玄関を開けたその時、飛び出して、帰ってこなくなった。キジトラ、2才のオス、性格は残忍で狂暴、狡猾だそうです。
佐藤さんは、迷子ネコの張り紙を作って、各所へ貼り出しているそうです。
「それでね、その張り紙を見たのだけど、その人相と言うか、ネコ相と言うか、全然可愛くないのよ。あれじゃあ指名手配のポスターだね」
「へー、それは是非見てみたいね。その賞金首の額はいくらだい?」
「あはは、それはいくら何でも酷いよ。その張り紙は公民館に行けば見れるよ。多分、捕まえたら謝礼も出るだろうよ」
佐藤さんは、とても心配していると思う。それなのに、このおばあちゃんたちは酷い。
「マルちゃん、少し寄り道しようか」
おばあちゃんは、そのネコを捕まえて、謝礼をせしめるつもりだ。
でも、結果的には佐藤さんの役に立つ事だから反対はしない。
「キャンキャン」
いいよ。そのトラ何某、・・トラ君を探してあげよう」
私たちは、いつもの散歩コースを外れ、公民館に行きました。公民館の掲示板には、お喋りおばさんの言った通り、迷子ネコの張り紙が貼られていました。
名前は、トラ蔵。顔は聞いた通りです。凶悪犯人です。これは交番の掲示板に貼られているほうが納得できます。賞金額も1千万円を超えているに違いありません。
「ほう、良い面構えだね。これなら直ぐに見つかるだろう」
おばあちゃんはやる気満々です。
「よし、それじゃまず。依頼主に合いに行こう」
最近、おばあちゃんはおじいちゃんと一緒にアニメを見ています。異世界ファンタジーの冒険物です。言葉の端々に、自分が冒険者にでもなったような事を感じさせられます。
今回の迷子ネコの捜索は、冒険者ギルドから請け負った仕事のつもりです。ランクとしては最低のFでしょう。
佐藤さんの家は、白山さんの家から少し坂を上った山の中腹にあります。
坂を登るにつれ、蝉の鳴き声が大きくなります。山が近いからでしょう。
「はあ、はあ、はあ、この坂、結構キツイね。迷子のネコもこの坂を登るのがいやで帰るのを諦めたに違いない」
「キャン・・」
そんな事は無いと言いかけたが、もしかしたら、おばあちゃんの言う通りかもしれない。掲示板に貼られていた写真は、控えめに言っても、肥満だった。
「キャンキャン」
おばあちゃんの言う通りかもしれない。ここらあたりを探してみようよ。
「はあ、はあ、もうだめだ。ここいらで休憩しよう」
76歳、駆け出しのFランク冒険者であるおばあちゃんは、音を上げた。
直ぐ近くに大きな楠木が有り、その下にベンチが一つ置いてある。木漏れ日から小さな祠も見える。休憩するには丁度いい。
ヨレヨレのおばあちゃんはベンチに腰を下ろした。肩に掛けた鞄から水筒を取り出し、お茶をゴクゴク。
「ふー、迷子ネコの捜査は大変だね」
まだ、捜査は始まってもいない。つっこみを入れたいが、冗談をいえる雰囲気でない。
私たちが、楠木の下で休んでいると、祠の影からこちらを伺う視線を感じた。
「キャンキャン」
おばあちゃん、祠の影に何かいるよ。
「どうしたのさ、何かいるのかい」
おばあちゃんは立ち上がり、私の横に並びます。
「おや、あれはトラ子じゃないかい」
「キャンキャン」
トラ子じゃないよ。トラ蔵だよ。それに彼は雄だよ。
「トラ子もここで休憩していたのかい。お腹も空いただろう。良い物を上げるから少し待っていな」
名前を言い直す気はないらしい。年を取ると頑固になる。困ったものだと思うが、私はもう慣れている。
おばあちゃんは、鞄の中をゴソゴソしていたかと思ったら、中からワンチュールを一本取り出した。
あっ!それは、私のワンチュールだ。若奥さんが、散歩が終わったら食べさせてくださいとおばあちゃんに預けた物だ。
「キャンキャン」
それは、私の報酬だよ。どうする気?
おばあちゃんは、メモ帳を一枚破り取ると、ワンチュールを絞り出し、ネコの前に差し出した。
「さあ、お食べ」
やはり、こうなるよな。私は諦め、想像した通りの展開を見守る事にしました。
でも、ネコが、ワンチュールを食べるのだろうか?ネコはニャンチュールを食べるものだ。私は僅かな希望を抱く。
しかし、私の心配?希望?をよそに、トラ蔵は、ノソノソと祠の影から出てきて、何の躊躇いもなくワンチュールを食べだした。
そして、私のワンチュールは、トラ蔵の大きなお腹へ消えた。3秒ほどだった。
トラ蔵は、食べ終わるとおばあちゃんの足にすり寄ってきた。まだ足りないらしい。
「残りは、家に帰ってからだ。ついておいで」
私たちは、おばあちゃんを先頭に、また坂を登りだした。トラ蔵も後に続きます。
少し歩いたところで私は振り向きました。トラ蔵との距離が開いています。
「キャンキャン」
おばあちゃん、トラ蔵が遅れているよ。
「もう少しだ。トラ子頑張れ」
おばあちゃんが声を掛けたが、トラ蔵は座り込んで動かなくなりました。
「ああ、仕方がないね」
おばあちゃんはトラ蔵を抱き上げます。トラ蔵は抵抗せずに抱かれています。
「よいしょ、よいしょ」
おばあちゃんは、一歩一歩踏みしめて坂を登ります。ここまで登って来た時より気合が入っています。報酬が目の前まで来ていると実感しているのでしょう。
私も応援します。
「キャンキャン」
頑張って、おばあちゃん。
やがて、佐藤さんの家にたどり着きました。
ピンポーン
玄関のチャイムを鳴らします。
「はーい」
奥から、女性の声が聞こえます。トラ蔵は抱かれたままです。
ガラガラと玄関の戸が開き、50歳過ぎの女性が出てきました。
「迷子になっていたお宅のネコを捕まえて来たよ」
「ありがとうございます」
佐藤さんがお礼を言った瞬間、トラ蔵は身をよじっておばあちゃんの腕から抜け出しました。そして、振り返り間もせずに家の奥に行ってしまう。
その身軽な行動に少し驚きました。先ほどまで、坂を登れずうずくまっていたネコとは思えません。もしかして、あれは演技だったのかもしれないと思い始めた時。
「あっ、ごめんなさい。少し待っていてください」
佐藤さんもネコが入って行った奥に消えます。
暫くして、佐藤さんは大きなスイカを袋に入れて戻ってきました。
「こんな物で、よろしければ、差し上げます。トラ蔵の事、ありがとうございました」
スーパーで買えば5千円はしそうです。
「このような立派なスイカ。ありがたく貰うよ」
おばあちゃんは喜んで受け取りました。
「うっ、重い」
5kgはありそうです。
それでも、おばあちゃんはとても嬉しそうです。
「よいしょ、よいしょ」
おばあちゃんは、掛け声をかけながら、帰ります。楽しそうです。
おばあちゃんはご機嫌でも、私は違います。私は家に帰っても、ワンチュールを貰えない。不満です。
私のワンチュールを食べたトラ蔵に良い印象を持てるはずもない。
それに、あのトラ蔵の行動を思い出すと、腑に落ちない事があります。あれは演技だ。自分で坂を登りたくなかったのでおばあちゃんにダッコされたに違いない。
そこまで考えてやっと、私は、お喋りおばさんの話を思い出した。
確かトラ蔵の性格は、残忍、狂暴、それに狡猾と言っていた。見かけが残忍で狂暴すぎるから、狡猾の言葉を忘れていたのだ。
「キャンキャン」
おばあちゃんは騙されているよ。トラ蔵は狡猾なネコだ。
「マルちゃんも今日は頑張ったね。家に帰ったらワンチュールを2個上げよう」
「キャンキャン」
ヤッター!トラ蔵君もお家に帰れて良かったね。
優しさとは、自分が満たされた後に発生するものです。自分が満たされない時でも、人に優しくできるように、成りたいものです。でも、蚊に刺された、その不快さだけで、優しさは無くなる事と思い知らされます。蚊は皆殺しです。




