30、幸せを願う
「おっそいのよ何もかもが。昔から私がどれだけあの二人に直接的な助言をしてきたか知ってる? 知ってるでしょ? その尽くが無視される私の気持ちがわかる? わからないでしょ? それが何? 結婚させたら全部上手くいったあ? ふざけてんのか! それでいいんだったら五年前とかに強引に結婚させてたわよ! 私の労力を返せ!」
そう叫ぶ幼馴染みの正面に黙って座っているのはなかなかに心苦しい。出来ることなら会話の全てを肯定して慰めたいところだが、それが逆に不興を招きかねないことは今までの経験で知っている。
女子の話にはとりあえず頷いていろと言われたこともあったが、女子の話にただ頷くだけとか正気かとも言われたことがあるので、もう何を言えばいいのかわかったものではない。
難しいというより、もう根本から違う生き物なんだろうなと最近の彼は割り切っている。
それでも、ここまで怒っているのは結構久しぶりだ。
ミルとラトルのことに関してはもう面倒臭いと言って諦めていたから、怒るという段階まで行くことが少なくなっていた。全くの同意見だった。
だから前回は、ああそうだ、婚約の話がなくなった時が最後か。
「……でもまあ、流石に大勢から不釣り合いだとか言われてたって話は知らなかったよ、俺は。ラトルは数少ないそういう言葉を引きずってるのかと思ってた。幼馴染みでも知らないことは多いもんだな」
「……知ってたのよね、私」
「え? 何人もからって?」
「というか、本人から相談受けてたから」
「……なんで俺じゃないの? そこは普通同性の俺を選ぶもんじゃないの?」
「婚約者がいない奴に聞いても意味ないとか思ったんじゃない?」
その厳しい一言に顔を押さえる。
確かにいないけど。
思ったんじゃない、ということはラトルが言っていたわけではなく、目の前の彼女が思っていることということで、気にしていないつもりだったけど面と向かって言われると結構傷付いた。
別に相手が見つからないわけじゃないし、縁談自体は多くはないがある。
家名のお陰だろうが、困っているわけではない。
十六歳ならばそろそろと親に急かされる歳ではある。目の前の彼女は一度破談になっているゆえに、それに対して大した夢を持っていないし、何だったら一生独り身でもいいとか言ってるのを聞いたこともある。
いつからだろう。
ミルと顔を合わせる度に、呆れた顔で見られるようになったのは。
「あ、ごめん。気にしてたの?」
「いや、正論だなあって……」
「そういえばそういう相手っていないの? 学園に一年通ったんだから、誰かしら仲良くなった女子とか」
「……学園の同年代から相手探すのは、さすがにラトルに申し訳なくない?」
「確かに。でもそうなると少し年が離れた相手と結婚することになるんじゃないの?」
「ああ、いや……、どうなんだろ……」
こういうところが駄目なんだろうなと思う。
ここで気力を振り絞って、俺と結婚してくれないかとか言えたらどんなにいいだろう。そんなことが出来るんだったらとっくに言っているのであまりにも無意味な仮定ではあるが。
しかしこうも何の気も無いことを言外に表されると来るものがある。もうちょっと申し訳なさそうというか、心苦しそうに訊いて欲しい。勘違いのしようもない。
ラトルが寝ている間にそういう話をするのを避けているうちに、自分の臆病がどうにも加速したような気がする。というか、拒否された時の恐怖が肥大化した。
やっと目が覚めて、四人で集まろうという前日に会えたから今が好機かと思ったが、こんなに言い出せない感じになるとは思っていなかった。
「昔っから奥手と言うか、臆病よね、あんた。別になんだって言うだけならただでしょうに。殺されたりするわけじゃないんだから、ちょっと気に言ったら声かければいいのよ」
「女子にあるまじき貪欲さだな……、まさかだけど、お前がそんな風にしてるとかじゃないよな?」
「そんなわけないでしょ。……まあ、ミル見てるとね、そんな風に適当に相手決めるのが、なんか情けなくなる時があるのよ。それに、羨ましいなって」
「……気持ちはわかる」
「わかってくれる?」
さて、これは好機なのだろうかと彼は考える。
期待されているわけではないのはわかるが、しかしこうもお膳立てされたかのような状況が再び巡ってくるとも思えない。
情けない。
羨ましい。
そう思っているのは、幼馴染みだけではない。
自分も、本当は。
足を組みなおし、淑女らしからぬ姿勢で紅茶を飲む無防備な幼馴染みは、聞こえた言葉に呆けた直後、わかりやすく動転する。
その時の可愛らしさを知っているのは、この世で彼一人だけだ。
「いやあ、はっはっは。今回のことは非常に申し訳ないと思ってはいるんだよ。ただねえ、ラトルくんは曖昧に微笑んで問題を煙に巻くのが上手すぎるね。お前からラトルくんが自室で泣き叫んだという話を聞いた時は、何の冗談かと思ったくらいだ」
「あまりその意見に同意はしたくないが、せざるを得ないところはあるな。最近はどうなんだと聞いても、それっぽく誤魔化されてしまっていた身としては。しかも誤魔化されてるとも気付いていなかったとは、我ながらなかなかに醜態だ」
「まあ、上手くやっている、という言葉に偽りはなかったんだろうがね。ミルは嫉妬させたくて自賛を繰り返し、ラトルくんはそれを仕方のないことだと諦めた。見事に凹凸が噛み合っている。利害の不本意な一致は、偶然にも情報の漏洩を防いでいたわけだ」
「うちの執事とお前の所のメイド長は事情をかなり知っていたようだがな。それもことが終わってから知ったというのだから、まったく、信用を得られていない家主というのは辛いものだ。お互いにな」
「信用、ねえ。確かにね。関係が歪んでいることを知られれば、婚約を解消されると思ったとは、なんとも愉快な勘違いをされたものだ。まあそれだけ、あの二人から見ても歪んだ関係になっていたということなんだろうが」
「俺も、お前ならやりかねないと思うが? お前がミルちゃんの幸せを何より願っていることなど誰でも知っている。ならば、そういう道だってあったんじゃないのか?」
「娘の責任をそんな簡単な逃げ方でなかったことにするほど、僕は卑怯な人間ではないつもりだよ? 確かにミルには幸せになってほしいけど、それ以上にミルには人を幸せに出来る人間になってほしいからね」
「……そもそも、何故お前はラトルとの婚約を良しとしたんだ? 八歳児の考えなどいつ変わってもおかしくない。今回もかなり最悪に近い形になったが、最終的には丸い。だが、そうはいかない可能性の方が高かっただろう」
「あの子が天才だからかい?」
「それもあるが、お前の『懸け橋』という言葉。今思い返すとなかなかに違和感があるな。まるで、あれ以上俺の意見を受け付ける気はないとでも言いたげな取ってつけたような理由だった」
「そうかな?」
「お前は、自分の子供に無駄な重荷を背負わせるような奴じゃない。それは俺が一番よく知ってる。惜しむらくは、その時にその言葉を追求しなかった点だ。お前はあの時、何を考えてた?」
「……まあ、苦労するだろうなとは思ってた。だからあれはある意味、僕自身への言い訳に近かった。負担の全てを親友の息子に押し付けるということへの、免罪符のようなものだ。一応言っておくけど、本人に聞かれることは完全に想定外だった」
「だろうな。もしそこまで計算ずくだったら、俺たちの揺るぎない友情とやらは再び瓦解していた」
「恐ろしいことを言うね。だからというわけではないけど、僕はどちらかと言えばラトルくんの味方だよ。ミルの今までの振る舞いは簡単に水に流していい物じゃないし、ああまで追いつめられても、ミルに暴言の一つも吐かないというのは尊敬すべき人間性だ」
「あれは単に我慢強いだけだ。昔からミルちゃんと比較され続けてきたのは知っている。俺が何を言おうと、その劣等感は結局あいつを苛んでいた。無意味な努力は時として、人の精神を曲げる」
「僕がミルをどうにかしようとして、君との友情を絶ったように、かい?」
「かもな。あの時のお前はけっこうあれだったし、そう考えれば、確かにお前らは親子だよ」
「え、ラトルくんの話じゃなかったっけ?」
「ミルちゃんだって同じだよ。ラトルを振り向かせるための努力が実を結ばなかった結果があれだ。だからまああいつらは凹凸というよりは、凹凹って感じだな。角度さえ変えればいつだって噛み合ってたはずだったのにって感じだ」
「……なるほど、示す形はバツ印か」
「足し算とか掛け算かもしれないだろ。悪い方にばかり考えるの、いい加減にやめたらどうだ? 学生の頃からそれで損し続けてきてるってのに」
「そういう思考は当主にとって大事だろう?」
「じゃあもういらないだろうが。ミルちゃんが後を継ぐんだから」
「……不安だけど、確かにね。でもまだだよ。あの二人が立派になるまで、僕はまだ下りない。そっちだってそうだろうに。まだフォートくんのことが心配だと言っていたじゃないか」
「……そうだ心配なんだよ。忙しいんだ。だから、ラトルのこと、頼むぞ。前も言ったよな? 俺は、捨てられるあいつなんか見たくない」
「わかってるよ、わかってる。生まれて初めての息子だ、しっかりするよ」
息子と娘の幸せを願う父親の夜は、こうして更けていく。




