29、一騎打ちの顛末
敗戦処理、というのが適切だろう。
まさしく負けたのだ。
たった一人の少女に、為す術なく全てを台無しにされた。しかしそれは以前からすでに崩壊していて、その感覚が逆恨みに近いことも理解している。
二人目の息子が急逝して、もう四か月近い。なのに、それを実感として受け止めることが出来ていない。なんだかんだ言っても、子供だった。息子だった。大事だった。
それでも、王家全体への国からの信頼が少しとはいえ揺らいだにもかかわらず、その後の処理を滞りなく、あるいは頓着なく終わらせることが出来たのは、この現実感のない浮遊感のせいだ。
おかげと言うには、少々不快だ。
不意にその辺りから顔を覗かせるんじゃないかと思いながら日々を過ごしている。そんな日がやってこないことは知っているが、それでもなんだか、少しだけ。
現状が悪い夢であることを願っている自分がいる。
学園の教師は、関与していないことが確実とされた三名を除き全員を免職させた。
王族に命じられれば逆らえなかったのは確かだろうが、学内の腐敗に目を瞑り続けてきた件と合わせれば妥当だ。
関与していなかった三人というのも、特殊な立ち位置であり、そこに割って入るのが難しかったことは明白。罰を与える理由も特になかったため、意思確認の後、雇用は続けることにした。
学園に相応しい教師としての人材がそうほいほいいるわけでもないので新規雇用は少人数ずつだが、着実に健全な学園としての機能を取り戻す準備は進んでいる。
その陰には、確実にミル・ベリヤフラムの存在がある。
三か月半の間、生徒会長として尽力してきた彼女のお陰で、学園内の風紀は劇的に良くなったと言っていい。恐怖政治に近いと感じている者もいるが、腐敗よりはましだ。
本人の動機としては、国への貢献とかは一切なく、目覚めた夫が安心して学園に通えるようにという最高純度の私欲だったが、結果が伴っていればどちらでも同じ。
そもそもそこに苦言を呈せるような威厳は、すでに失われていることを国王は自覚している。息子の教育もまともにできなかった不出来な父親に、口を出す権利はない。
長男も次男も、関係なく見てきたつもりだ。どちらが自分の跡を継ぐにせよ、二人がこの国を支えてくれることを疑ったことはなかった。優秀で、自慢の子供たちだった。
だが、ただ会話をするということは少なかったように思う。親子らしい交流に欠けていた。もし、もっと深く次男のことを知っていたら、事前に止められただろうか。
あそこまでの凶行に及んだ理由も、終ぞ聞けずじまいだった。
親子が対面したのは、片方がもうすでに体温を失った後だった。
今更考えても詮のない話だ。結果だけ見れば、簡潔に完結している。
ファグナ・ハスマルストとミル・ベリヤフラムの戦いは、決着した。
恋する男と愛する女の一騎打ちの顛末を知る人間は、少ない。
現副会長は自室で小さく溜め息を吐く。
年度の更新に際して、来年度の生徒会長をやらないかという打診が届いた。国王から。
確かに第二王子に攻撃は受けたが、特に外傷はなかったのでそこまで融通してもらう理由もないはずだ。というか、こんなもの実質的に選択の余地などない。
生徒会長に現在臨時で就いているミルは、来年度も継続する気はないだろう。副会長としての活動に贖罪の気持ちが少なからず混じっている彼にそれがわからないはずもなく。
であるなら、確かに自分がそれを引き継ぐことは適当ではある。
しかし、妥当ではない。
無論当然ですらなく、不似合いもいいところだ。
まあ、権力の濫用さえなければ生徒会長になっていたのは彼だったのは確かだが、それでも奪われたということは負けたということであり、『最悪の一日』を招いた原因の一端は自分にもある。
辞退自体は不可能というわけではない。だがそれに何の意味があるのか。ミルが取り戻した学園の風紀、その価値を心底から理解し、慈しみ、大事にできる者が生徒の中に何人いるか。
あの日の自分の無力さを言い訳にして、決断を先延ばしにしている。
責任を重く感じることは罪ではない。それから逃げ出すことも、人間らしさと言えるだろう。償える気がしないと思うことも、仕方がない。
だが、悔いは残る。
そして、杭も残る。
まるで縛り付けられたかのように重苦しい楔が、いつまでも付き纏うことになるだろう。打ち付けられたそれは自然に抜けることはなく、ふとした瞬間に暗い影を想起させる。
だから、選択肢などないのだ。
俯くな。顔を上げて前を見ろ。
もう二度と、不都合から逃げ出したりしない。
前任者の功績を絶やさせたりはしない。
それが昔、ミルとラトルの関係を歪だと言ってしまったことへの償いに、僅かでもなると信じて。
不愉快不痛快極まりないというのが、初めてラトルを見た時の感想だった。
別に特別周囲より劣っているということはないが、優れているところもない凡庸な人間が、何故ああも邪険に扱われているのかが本当に理解できなかった。
貴族らしさと言えば幼い頃から婚約者がいることくらいで、それ以外の礼儀作法なんかは面倒なものとしてしか認識していなかった彼にとって、逆にそれは新鮮な驚きとしてすら映ったものだ。
嫌々入学した学園で、誰かと関わり合いになろうなど考えてもいなかった。双方が不快になって終わるだけだし、そもそもそこまでする気概などあるはずがない。
平民として生きるはずだった身としては、窮屈な場所という印象以上をどうしてもここに持てない。
それでも受け入れてくれた婚約者には感謝しているが、それとこれとは話が別だった。
だから、もう慣れたとでも言わんばかりに一人で歩いているラトルに声を掛けたのは、本当にただの気まぐれだった。興味本位とも言えるが、自分勝手なのに変わりはない。
だがそれでも、会話自体に問題はなかった。性格に問題があるのかと思ったがそういうわけではなく、本人に話を聞けば婚約者があのミル・ベリヤフラムだというのだから驚いた。
入学して一月も経たないうちから次期生徒会長として名が上がるほどの才媛。同級生とほとんど関わりがない彼の耳にも入ってくるほどの逸材。
まあ、驚きと納得は両立しなかったわけだが。
貴族という衆愚への嫌悪はより増した。
なんだそりゃ、そんなもんただの嫉妬じゃねえか。お前に問題があるわけじゃないんだからもっと堂々としてりゃいいんだよ。その婚約者さんに一言でも文句言ったっていいくらいだ。
そんな言葉に曖昧に苦笑するだけだったラトルが、結局は一番どうしようもない目に遭った。第二王子のあれは自業自得だが、ラトルは巻き込まれ続けた結果でしかない。
流されるままでいたと言えば責任がないとは言えないが、その激流に抗える人間など一体どこにいると言うのか。
よくわからない後悔を背負い込んでいるラトルにそこまで言うことはなかったが、それでもそれから、一緒に行動する頻度は多くなった。
元々友人がいたわけでもないので悪評に巻き込まれても問題はないし、家に話が届いても文句を言われる筋合いもない。そもそも自分はこんな所に通いたいなど一言も言っていない。
あんな家族とも呼べない連中のどこに気を遣えと言うのか。
学園で初対面の人間の中で、ラトルの友人だと言えるのは彼だけであり、だからこそ四か月前のあの日は痛快だった。
その後の絶望が、全てを流し去っていった。
一月ほどしてから、ミルが直々にお礼に来たのは本当に驚いた。しかも生徒会長の代理として活動すると聞いた時は唖然とした。
私じゃ小さい歪みには気付けない。だから、何かあったら遠慮なく教えてほしいの。もうこれ以上、実体のない空気にラトルを傷つけさせないために。
新しい被害者を生み出さないためとかじゃない、あまりにも正直すぎる欲望に思わず笑った。ぽかんとしているミルに、任せろと言う口は、人生で一番軽かっただろう。
軽快だった。
虐げる対象を失って悪意の行き先が暴走しそうだった連中を片っ端からミルに報告した。悪意は目には見えないが、それでも肌で感じることは出来る。
結果として、何の因果か来年度の生徒会への誘いが来たわけだが、丁重に、あるいは軽率にお断りした。自分が協力してきたのはラトルであり、ミルであり、生徒会ではない。
惜しいことをしたと思う気持ちが無いわけではないが、後悔は一欠片だってない。
四か月ぶりの眠りから覚めた友人が、助言を聞かなかったことに対して必死に頭を下げている姿を見ると、特にそう思う。
貴族になった時に捨てたはずの友情への望みは、まだ絶たれていなかった。
とりあえず、結婚相手の機嫌の取り方でも、教えるとするか。




