27、見えなくなって
「…………」
「…………」
沈黙。ラトルの部屋に入って来たミルだが、正面に座ったきり口を開かなくなってしまった。気まずさと申し訳なさ、それ以上の気恥ずかしさが二人の間に漂う。
だが、この沈黙はある意味では仕方のない当然の結果でもあった。
そもそも基本的に、この二人の会話はミルが切り出すことから始まり、それにラトルが返すことで成り立っていた。近年はその内容の九割九分九厘が自慢に変わっていたが、それでも本質は変わらない。
ミルが黙ると、ラトルも黙らざるを得ない。それを認識している両者は、お互いにこういうところが駄目だったのかなと既に少なくない後悔をし始めている。まだ挨拶しかしていないのに。
そして同時に思う。何話せばいいんだ、と。
普通の会話の仕方なんて、忘れてしまった。
「……私が悪いね。ごめん」
「え? 俺なんか言った?」
「違うよ。話題が見つからないでしょ? それ、私がずっとラトルの嫌がる話ばっかりしてきたからだなって。……何を話せばラトルが喜んでくれるのか、私全然わかんないや」
「……そう言われると、俺もミルが何好きなのかとか全然知らないけどな」
「え? 私が好きなのはラトルだよ?」
当たり前のように返って来たそんな言葉はラトルに二の句を継げなくするには十分以上の破壊力を持っていた。きょとんとした顔で正面からそう言われてはまともに視線も返せない。
才媛であり、同時に美少女でもあるミルの容姿は、男子の心を鷲掴みにするのにあまりに適し過ぎている。本人にその自覚はあるが、ラトルの靡かなさから最近は少し自信を失っていた。
だが先ほども言ったが、ラトルがこうしてまじまじとミルの顔を見るのは久しぶりだ。会話に嫌気が差すあまり、顔もまともに合わせない時期が長すぎた。
そうでなければ、ラトルのような凡人など、とうの昔に篭絡されている。
そういう武器の活かし方については、ラトルにしか興味のないミルが学んでこなかった分野だ。学んでいたら、ひょっとしたらここまで関係が拗れることはなかったかもしれない。
この二人はそういうことの繰り返しで今に至る。
ほんの少しの違いで、回避できたはずの悲劇を繰り返して。
「……ありがとう。……えっと、今生徒会長やってるんだっけ?」
「うん。ラトルが起きるまで暇だったし、王様に頭下げられちゃったから、まあいいかなって」
「王様にって……、平然と言うな。怖いわ」
「あ、ごめん。……もしかして、これも自慢になっちゃう?」
「そんな曲解するほど俺は捻くれてない。そもそも別に、お前の自慢を聞くこと自体は嫌いじゃなかったし……」
最近の話ではなく、小さい頃の話ではあるが。
ミルが笑いながら近寄ってきて、昨日はこういうことが出来るようになったとか、誰に褒められたとか、そういう微笑ましい自慢話を聞くのが、ラトルは案外好きだった。
まるでラトルに褒めてほしくて報告しに来ているように感じられて、可愛いとすら思っていた。自慢の内容が理解できない範囲に入り始めると、苦笑いを浮かべることしかできなくなってしまったが。
「そうなの? ……えへへ。そうだったんだ……」
「……まあ、魔法系をほとんど使えるのがわかったとか言われた時は、さすがに反応に困ったけどな」
「あ、いやあ……、将来的に何があっても食い扶持に困ることないよっていう、報告のつもりだったんだけど……」
「わかりにくっ。ていうかそれはどこまで考えた場合の報告なんだよ」
今考えればミルからしてもどういう意図の報告だったのか理解し難いが、昔は本気でそれでラトルが喜ぶと思ったのだ。
両家が何かとてつもない不幸に見舞われてお取り潰しになったとしても、決して不幸にはしないという力強い宣言のつもり、だった気がする。
それもまあ、ラトルを自分に依存させるための一手だったのだろうと、自覚のない当時の自分を振り返ると思うが、我ながら愛情表現が回りくどくめんどくさい。
周囲からこの四か月でかなり今までの行動を責められたミルの思想はかなり真っ当なものに戻りつつあり、そうなると過去の自分が最大の敵になる。頭が痛い。
それでも、依存して欲しいというミルの根底に変化はなかったが。
「……そうなったら、ラトルは一生私の傍に居てくれると思ったから」
「……わかった、もういい。俺が悪かった」
わかりやすく顔が赤くなっているということはないと思うが、それでも段々と顔を合わせるのが辛くなってきた。そういえば婚約した直後の会話とかこんな感じだったなと思い出す。
机の上の紅茶を少しだけ飲む。なんとなく喉が熱い気がしたので冷たい方が良かったが、三月中旬の今にアイスティーを用意させるのもなんだかだし、まあ温い紅茶で我慢しよう。
昨日この机に所狭しと並べられていた紅茶は、昨日の夜、必死に一人で全部飲んだ。後半になるにつれ白湯に近付いていくので、なかなかの苦行だったが。
なんでこいつはこんな当たり前みたいに明け透けなんだ。昔から。
「で、その、あれだ。俺が寝てる間に籍入れたらしいけど……」
「あ、うん、ごめんなさい。デネッセから、逃がすなって言われて……」
「逃がすなか……、なるほど。あいつが言いそうだ。それで父さんとカラヴァダさんを説得できるのがお前の凄いところだよな」
「え? 私すごい? すごい?」
どうやら今のラトルの発言はただ純粋な褒め言葉として返還されたらしい。皮肉的な意味合いは持っていなかったが、にしたってこうも目を輝かせられるとそこはかとなく気まずい。
かと言ってここで、いや今の凄いってのは褒め言葉じゃなくて――などと言えば怒られた犬のように落ち込むのは間違いなく、そうなると罪悪感を抱えることになるのはラトルの方だ。
曖昧な微笑で肯定したことにした。
「……俺は、何もできない。お前みたいに頭がいいとか、身体が動くとか、魔法が万能とか、人に好かれるとか、お世辞が上手いとか、そういうのがない。だから、起きてまずすぐに、お前との婚約を解消しようとした」
「……らしいね」
「昔からずっと、釣り合わないのはわかってた。何人にそう言われたのかも覚えてない。もっと、良い奴がいるんだろうと思いながら、それでも解消しようとしなかったのは、俺のエゴだ。俺が悪い」
「……懸け橋、だっけ。聞いたよ」
眼を見開くが、すぐに逸らす。父親が話したんだろう、ということは覚えていたのだろうか。あんな何気ない会話を。
友人同士の軽口でしかない、あんな雑談を。
もう結婚してしまっているから一周回って落ち着いているラトルだが、今までの自分の行動が間違っているとは思わない。
もしミルを冷たく突き放していれば、それこそ再び両家の仲が冷え込むことは十分にあり得た。別に、そんなことをする気も動機も理由もなかったが。
だから言い訳にした。凡庸な自分が非凡なミルと婚約している理由を他に求めた。仕方ないことだから許してほしいと、免罪符として自分自身に振りかざした。
「結局、俺ははお前を手放せなかっただけだ。俺以外の方がお前は幸せになれるとか思っておきながら、思ってるだけで口にも出さないで、昔のどうでもいい言葉を言い訳にしてなあなあにし続けた」
「どうでもいい言葉って……、懸け橋が?」
「……重要なことの、一つだとは思った。でもまあ、さすが数年経てばわかる。あの時のカラヴァダさんの言葉はそこまで真面目な話じゃなくて、子供が仲良くなってくれてよかった以上の意味なんて、俺のただの深読みだった」
「……じゃあ、なんで?」
「お前が嫌がってるんだろうなって思っても、言い訳にできた」
「私が? いや、そういうわけじゃ、あれはなんていうか……」
慌てるミルは本当に狼狽えている。こんな姿を見たのはいつぶりだろう。どこかの時期を過ぎたあたりから、ミルの話の内容はどれもこれもラトルには実現不可能な話ばかりになった。
嫌味な感じはなく、だからただ、これは自分たちがどれほど釣り合っていないのかを迂遠に伝えてきているのではないかと思った。
それが、感謝を促すためなのか、あるいは解消を促すためのものなのかは判別がつかなかったが、そう思いつつそれを切り出せなかった。
いつの間にか少女から女性になった婚約者の心は、すっかり見えなくなってしまっていた。
「……え? でもそれって……」
ラトルの唇も口内もすっかり乾いている。雑談の話題が思いつかないからって、さっきからぺらぺらと今まで隠してきたことを喋ってしまっている自分がなんとも滑稽だ。
違う。目覚めた時、確信したのだ。だから何よりも早く婚約を解消しなければならないと思った。もう顔を合わせることが無いように、もう言葉を交わすことが無いように。
自分はもう、なにも隠しておけないと思ってしまった。
何もかもを吐露してしまうことが、わかってしまったから。
「……俺は、お前から離れられなかったんだ。自分の意思じゃ、もうどうにもならなかった。誰かのせいにしないと、本当にもう、どうにもならなくて。……好きだったから」
「…………へ?」
「お前の話が好きだった。お前が、尻尾振ってる犬みたいに嬉しそうに自慢してくるのが好きで、ずっと褒めてたよな。それもどっからか厳しくなったけど、それでも、俺なんかに懐いてくれるお前が好きだった」
「あ、っとぉ、えっと……」
「これを一生言わないようにしようとも思えなかった時点で、俺の決意は中途半端だったんだろうな。第二王子の話されて、気にしないようにしてたけど限界で、無様な顔見られたくなくてお前を置いて帰った」
「……まさかだけど、嫉妬ってこと?」
「……まあ、そうだな。……ミル、好きだ。昔から、好きだった」




