23、改善が見られるまで
時間を四か月前に戻す。
ラトルの魔力が尽き、剣に貫かれて意識を喪失した直後、氷塊を避けてきたドゥンがファグナの後頭部を鷲掴みにしそのまま地面に叩きつけた。身体強化を含めた全力の攻撃。
ファグナにしてみれば本日二度目の顔面へのダメージであり、鼻骨も頭骨も何もかもに重大な損傷が加えられたわけだが、目的を達成したファグナがそれに反応を返すことはない。
正確に言うなら、先程とは違い瞬時に回復もするわけでもなかったので脳震盪で意識ごと消失、そのせいでただ倒れ伏しただけというのが正しい。もしそうでなかったら悲鳴の一つでも上げていただろう。
別にファグナは自棄になっただけで、廃人になったわけではないのだ。
「おいラトル! 起きろ! おい!!」
そう叫びながらドゥンは血の流れ出る胸元と左腕の傷を氷結系で塞ぐ。ラトルほどの適性はないが、ただ血を止めるだけだったらこの程度でも十分だ。ラトル自身の応急処置を見ていなかったら慌てふためいていたかもしれない。
だが、出血は止められても内蔵の損傷はどうしようもない。体温の低下は流石に感じ取れないが、それでも、なんだか生気が抜けていくような感覚というのが自分の目の前にあるのが酷く気持ち悪い。これが、死ぬということなのか。
ふざけるな、これからだろうお前の逆転劇は。明日からどいつもこいつも露骨に申し訳なさそうな顔を浮かべて、お前にペコペコ頭を下げに来るんだ。俺はそれに困ったようなお前を眺めながらいつもよりも美味く感じる飯を食って――。
「起きろ!! ようやく自由になったんだろうが!! 廊下の端歩かなくていいようになったんだろうが!! このままじゃどいつもこいつも――お前も!! 不幸なままだろうが!! おい!!」
「――どいて!!」
ほとんどドゥンを突き飛ばすようにして割り込んできたのは、言うまでもなく全力で学園に引き返して来たミルだ。突き飛ばすように、というのは比喩表現であり、それをより正しく表すのならば、吹き飛ばすように、だった。
呼び戻しに走ったユークテッドを置き去りにし、全力で走って来たミルの速度はほとんど人間離れしたそれであり、ラトルの傍で急ブレーキを掛けた結果、横たわったラトルすら煽られそうになる始末。
まあ、そんなことにはならないようミルも制御してはいたが、残念ながらその心配りの対象外だったドゥンは見事に吹っ飛ばされた。それでも、呆然よりも安心の方が強かったのは、以前からミルの規格外を知っていたからに他ならない。
ドゥンの氷を当たり前のように瞬時に溶かし、二か所の傷は即座に塞がった。おそらくは体内も同様だろう。治癒系の魔法というのは基本的に自己治癒力の強化だと言われているので、本来そこまで目覚ましい再生というのは見られないはずなのだが。
いっそ気持ち悪いほどの傷の治り方を見ると、少しだけ、なぜミルがこうもラトルに執着するのかがわからないと思ってしまう。今にも泣きそうで、血の気が引いて蒼白になった顔が偽りでは絶対に無いのは確かだろうが、だからこそのアンバランス。
いやまあ、執着とか愛情の深さに、それに相応しいエピソードを求めるのも酷だとは思うのだけれど、贔屓目を抜きにすれば、やはりこの二人は釣り合わないのだ。それは誰もが認めることだからこそ、学園で根も葉もない噂が際限なく増殖したわけで。
ミルがそれを一切理解していないというのも、なんだか変な話だ。人の話を聞かない、見ず知らずの他人に興味が無い。ならばそれは、婚約者であるラトルには何よりも興味があるということの裏返しのはずで、そのラトルが置かれている状況に一切気付かないことなんてあり得るのか。
そんな風に内心で首を傾げても答えなんか出るはずもないが、必死にラトルの身体を揺すっているミルは、なんだか疑うことが申し訳なくなるくらいに悲痛で、つい目を逸らしたくなるほどに現状は悲惨だ。
ラトルが意識を失ってから現在までおよそ二十秒強ほど。校内からこちらを眺めている連中は駆け寄ってくる気配も無い。来られても困るが、教師の一人も出てこないのはどうなってるんだ。解雇が半ば決定しているとはいえ。
そこでようやく一人こちらに走ってくる。ドゥンには名前はわからないが姿は見掛けたことがある女子――デネッセである。校内のあちこちを二人を探して回っていたデネッセがようやく騒ぎに気付いたのだ。
この場で戦闘――殺し合いが発生してから、今までで経過した時間は僅か一分半程度でしかない。デネッセからしたら、探していた人間が気付いたら死にかけていたという胃の痛くなるような状況。
息を切らせながらようやく辿り着いたデネッセは、倒れているラトル、フイオーレ、ファング、地面を濡らす血溜まりと泣きかけのミルを見て、面識のないドゥンに表情だけで助けを求める。
気持ちは最高に理解できるが、求められても既に状況は終わっている。黙って首を振ることしかできない。
「ラトル、ねえラトル。起きて、ねえ、起きて。はやく、起きてよ、ねえ。起きてよ、起きて。聞いて、ラトル、起きて、起きて、起きて。起きてよ、ラトル……」
壊れた人形のように同じ言葉を繰り返すミルの目に光はない。傷が治ったはずのラトルが一向に目を覚まさないからだ。治癒の速さから見て死ぬことはないだろうと傍の二人は思っているが、それでも身じろぎ一つしない様子は危機感を覚えるには十分すぎた。
結局その後、城から派遣された兵士たちがやってこようが、意識のないまま三人が丁重に病院へと運ばれようが、ラトルが目を覚ますことはなかった。ミルの声に返事をすることはなかった。
デネッセはミルがただ憔悴していく姿を見ていることしかできず、ラトルの傍から離れようとしない親友に慰めの言葉一つ掛けることもできなかった。
フイオーレはそれから数時間後には目覚めた。出血を伴うような怪我もなく、容赦なく凍らされた足が少しだけ冷えているようではあったけれど、即日退院出来るほどには身体は元気だった。
精神は別だ。勇んで出てきた割にラトルを助けられず、普段の快活さを失ってしまったミルを見た時の落ち込みっぷりは、役立たず的な文句の一つでも言ってやろうと思っていたデネッセの口を閉ざした。
「我ながら、恥晒しも良いところです。会長の座を逃したばかりにラトルくんに苦難を強要し、挙句、直に介入してもこのざま。自信過剰だったつもりはありませんが、無自覚のうちに驕っていたのでしょうね。僕は、会長になれなかった時点で負けていたのかもしれません」
そう言って帰っていったフイオーレに掛ける言葉をデネッセは持っていなかった。というより、その言葉に首を絞められたのはどちらかと言えばデネッセの方だ。苦難を強要した、自分が。
入学当初、あの時にラトルに一時の我慢を強いなかったら、こうはならなかった。ここまでにはならなかった。それだけは間違いなくて。
自分が恐れるべきはミルではなく、ラトルを追い詰める環境の方だった。第二王子がここまで諦めが悪いと知っていれば、さっさとミルを首輪から解き放っていたのかもしれない。
次の日も、その次の日も、ミルはラトルの傍に居続けた。服が変わっているし髪も整っているので毎日帰ってはいるのだろうが、一体何時の間に行き来しているのか――と思っているということは、デネッセも毎日病院に来ているということで。
しかしその目的は、どちらかと言えばラトルには無かった。
ラトルの眠っている病室から大分離れた場所にある特別個室、そこに眠っているファグナを、偶然でも意図的でも、ミルと会わせないためだ。見舞いではなく監視が主目的だった。
もしこの状況で二人が顔を合わせようものなら、それこそ病院が倒壊する段階まで過熱した殺意でもって、ミルがファグナを殺すに違いなかったからだ。
まだ『第二王子』であるファグナを害せば、当然ミルは軽くない罪に問われることになる。それだけは避けなくてはならないと考え、毎日病室の前の廊下に椅子を置いて座り続けていた。
事情を説明すれば看護師さんも納得してくれたので、周りの目も気にせず遠慮なく居座り続けた。この周りの目を気にしない精神性も、ミルの傍に居たから身に付いたものだ。
それが良いことなのか悪いことなのかを暇つぶしに本を読みながらつらつらと考えてみたが、結局答えは出なかった。わかったのは人生で何が役に立つかはわからないということくらいだ。
さらにその二日後、要するに現在休校中の学園で『最悪の一日』と後に呼称される日から四日後、ファグナが目を覚ました。病院内が慌ただしくなったのを離れた場所にいるデネッセでも何となく感じとれるほどだった。
この段階で既に城ではファグナに対して、王位継承権への廃嫡、加えて、精神性の改善が見られるまでの無期限の再教育という処断が下されていて、それを伝えるために病室には城の関係者が常在していた。
だが、その伝達がなされることはなかった。
意識を取り戻したファグナは、意識を取り戻しただけだった。外部からの刺激に一切の反応を示さない様子はまさに呆然自失。廃人になっていた。
目を開いていても、声を出すことも、眼球を動かすことも、立って歩くこともできない様子は、見る者全員に死んでいるのと何が違うのかと思わせるほどの惨憺たる有り様。
医師の診察によれば、外傷によるものではなく、精神的な疾患によるものとのことだったが、食事すら摂れない、自発的な生命活動を放棄している状態がそう長く続くはずもなく。
ファグナ・ハスマルスト第二王子は、それから五日後の深夜二時四十三分にこの世を去った。延命措置の何もかもが僅かすら意味を成さないその死は、消極的な自殺以外の何物でもないが、それを咎めることの無意味さを理解できない者はどこにもいなかった。
こうして、五月から六か月に渡り続いたミル・ベリヤフラムとファグナ・ハスマルストの因縁は、両者が何も関与しない、あまりにもどうしようもない形で、どちらもお互いの近況を知らないままに終わった。
罪を償うことなく死んだ罪人を思い出し、ミルが何かを悼む日は、おそらく一生訪れないだろう。




