第2話
「こんなところにいたのですか、ソフィ様」
私の背後から静かで、しかし凛とした声が響いた。
振り返ると、そこには完璧な一礼を捧げるメイドのルーシーの姿があった。
いつの間に近づいたのか、その足音は完全に消されていた。
「うひゃ!いきなり現れましたわね。あなたは暗殺者か何かなのかしら」
「いいえ、私はヴァンズ公爵家のメイドです。ソフィ様の位置情報の把握も私の仕事なので」
「お嬢様こそ、こんな物陰で何をなさっているのですか?」
「あら、ルーシー。私は本日の殿下成分を補給してるところですわ」
息を吸い込み、まるで崇拝するような恍惚とした表情を浮かべている。
メイドはそんな主人の奇行を見ても、表情をひとつも崩さず、淡々とした口調で告げた。
「そろそろお戻りいただかないと、今夜の建国記念パーティーに遅れてしまいますよ」
「一度屋敷にお戻りになって、夜会のための服を選ばなくてはなりません」
「もうそんな時間!? 殿下のお顔を拝んでいると、本当に時空が歪むわね。ええ、すぐに帰るわ!」
馬車で屋敷へと帰還した私たちは、さっそくドレスルームへと移動した。
部屋の壁一面を占める大きなクローゼットの扉を、ルーシーが左右へと開く。
その瞬間、ふわりと高級な香水の香りと、シルクやレースの柔らかな気配が広がった。
棚の中に並んでいるのは、公爵令嬢である私にふさわしい、一級の職人たちが仕立てた至高のドレスの数々だ。
高価な糸で織られた生地がカラフルに並ぶ。
どれもが見とれるほど美しく、目移りしてしまうような光景だった。
ルーシーは手際よくそれらを広げながら、私の前に立った。
「それで、今夜の夜会の服はどうなさいますか?」
「ドレス? そんなの決まっていますわ! 殿下がパーティーでよく着る服と同じ、サファイアブルーのドレスよ!」
当たり前だろといわんばかりの勢いで、私は得意げに言い放った。
誇らしげな笑みを浮かべ、私はこれ以上ないほど自信満々に胸を張った。
「左様ですか。しかしソフィ様、あなたはすでに殿下の婚約者です」
ルーシーは冷静な正論を突きつけた。
私のドヤ顔を一瞬で無に帰す、冷ややかな眼差しだ。
「今夜の主役である殿下と、全く同じ色のドレスで並び立つと、周囲の貴族たちには、お二人の仲睦まじさをこれでもかと見せつけるようになりますが、よろしいのですか?」
「うっ、それはちょっと、陰からひっそりと見守りつつ、推しからのファンサービスを静かに受けたい一介のファンとしては、解釈違いですわね」
「殿下の婚約者という、あり得ない席にいる自覚はありますけど、周囲に威張るような真似は本意ではありませんわ」
「それでは、こちらの夜空を模したネイビーのドレスはいかがでしょう」
そう言いルーシーは一枚のドレスを紹介した。
「これなら、殿下のサファイアブルーを一番美しく引き立てる夜空になれますよ。婚約者としての品格も保てます」
「それよ!さすが私の好みを分かっているわねルーシー!」
「私が夜空のような背景になれば、殿下という一番星がさらに輝くということね!」
方針が決まれば、そこからはルーシーの独壇場だった。
私は鏡の前に座らされ、手際よく髪をまとめられていく。
その間に、私の頭のなかでは早くもドレスを着た自分と殿下のシチュエーションが、恐ろしいほどの解像度で動き始めていた。
想像してみてほしい。
まばゆいシャンデリアが輝く大広間。
重厚な扉が開かれ、サファイアブルーの正装を完璧に着こなした殿下が進み出てくる。
その隣に、深いネイビーのドレスを纏った私が静かに並び立つ。
夜会の後半、二人でダンスを踊るシーンになったら、殿下の大きな手が私の腰に添えられ、ぐっと引き寄せられるのだ。
殿下のまとう鮮烈なサファイアブルーの衣装が、私の漆黒に近いネイビーのドレスと重なり合う。
(いい!これは永久保存版ね!)
客観的に見れば、深い夜空が一番星のまばゆい青い光に、物理的に包み込まれているという構図ではないですか!
殿下のジャケットの裾が揺れるたび、私の夜空に殿下の青が溶け込んでいくような、極上の色彩美!
公式が最大火力で殴りかかってくるような尊さの暴力!
「ぐへ、ぐへへ…! サファイアブルーに包まれる夜空」
「映像が綺麗すぎて心臓がもたないわ」
「…ソフィ様。妄想のあまり、顔の筋肉が完全に崩壊して怪しい笑みを浮かべております」
「これでは最高級の口紅が台無しですので、きゅっと引き締めてください」
「あっ…。ごめんなさい、あまりの尊さに理性が吹き飛んでいたわ」
「よろしいです。では、ドレスに袖を通しましょう」
「ソフィ様、これでいかがですか?」
鏡の中にいるのは、どこからどう見ても、一国の殿下を支えるにふさわしい、気品に満ちた公爵令嬢の姿だった。
鏡の中の私は、確かに完璧な「夜空」になっていた。
「どうかしら、ルーシー? ちゃんと背景になれているかしら?」
「ええ、完璧です、ソフィ様。殿下という一番星を、これ以上ないほど美しく夜空に浮かび上がらせる、最高の背景になっています」
「ふふ、なら安心したわ。さあ、馬車の準備はできて? 」
「今夜は素晴らしい夜空として、殿下の輝きを特等席で網膜に焼き付けてきますわ!」
そう宣言し、私は胸を張ってドレスルームを後にした。
隣でため息をつくルーシーを従えながら、王宮のパーティー会場へと向かう馬車へと乗り込むのだった。




