倉敷の同級生
五月五日の夜に、東京へと戻った。
ゴールデンウィークの肉体的、精神的疲労をひきずったまま、六日の朝には出勤だ……。
南千住駅から日比谷線に乗り、二十分ほどで茅場町駅に着く。そこから蛎殻町のオフィスまで歩き東京支社が入るビルに到着した。一階から五階まで続くエスカレーターに乗り、オフィス棟に続くゲートで社員証をタッチして中へと進み、ホールで十五階より上にあがるエレベーターを待つ。
「田中、おはよう」
上司の井上課長が声をかけてきたので、「おはようございます」と返すと、彼は俺の隣で同じくエレベーターを待った。そして、俺が手に持つ土産袋を見て、口を開く。
「お? どこかに行ったのか?」
「ええ、ちょっと地元に。課の皆にお土産です」
「へぇ? 地元って広島だっけ?」
「はい、広島の福山です」
「福山? 聞いたことある、あ、おはよう」
同じ課にいる女性社員の狭山さんが俺たちに挨拶をして、俺と課長の後ろに立った。
「鋼管町に、製鉄所があるから聞いたことあるんじゃないですか?」
「ああ、そうだ、そうそう。あれ、福山だったな?」
エレベーターが到着し、俺が先に入りボタンの前に立つ。皆が乗り切るまで『開』のボタンを押し続け、一杯になったのを確認して『閉』を押した。
ボックス内では、無言。
俺の会社では、これがルールなのだ。
十七階で、井上課長と狭山さんを先に降ろし、最後に出た。そして、オフィスへと歩きながら会話が再開される。
「田中、マメなんだな? ゴールデンウィークにも地元に帰るってのは」
「ちょっと用事がありまして。実は来月もまた」
「そうなのか? もしかして、親御さんがご病気とかじゃないだろうな?」
「いえいえ、いたって元気です」
狭山さんがセキュリティ端末に社員証をタッチして、ドアロックを解除してくれた。
井上課長、俺、狭山さんと中に入り、そのまま調達部のフロアへと進んだ。
「ちょっと、地元の同級生たちとイベントを企画してまして、それでです」
俺の説明に、井上課長が意外だという表情で自分のデスクにバッグを置いた。
「お前が? へぇ? 知らなかった。ま、でもお前はなんでもコツコツやるから、そういう時に重宝されるかもな」
「そうです……かね? 仕事には支障をきたさないので安心してください」
「それは心配してないから、楽しめよ」
井上課長に笑みを見せられ、うしろめたさを覚えながら自分のデスクに座る。そして、手提げの紙袋から、もみじ饅頭二十個入りの箱を取り出すと、隣の狭山さんが手をパチパチと叩いた。
「あー! おいしいんですよね、これ! 生もみじ!」
「知ってます?」
「知ってるも何も、年始に田中さん、お土産で配ってくれたじゃないですか」
……芸がないと言われているようだけど、喜んでくれているようでよかった。
課の皆に配り、自分もひとつ、頂いた。
地元にいる時にもらっても、嬉しくもなんともないお菓子だったんだけど……。
メールチェックをして、返信をし、急ぎのものは電話連絡をいれて、会議の日程調整、仕入れ先とのアポイント調整などをしていたら、あっという間にお昼になっていた。
続々とランチに出かける同僚たちを横目に、俺は一人、オフィスに残った。
仕事の合間に、何度か振動していたが内容を確認していなかったので、アプリを開いてメッセージを読む。
ユウからで、チヒロと連絡をとったが彼女は今、倉敷に住んでいるという内容だった。
『チヒロちゃん、不審がっていたけど、わたしと一緒なら会ってもいいって』
『だけど、倉敷に行かないとダメ』
少し悩んだが、会える人には会おうと決める。
『お願いしていいかな? 交通費は俺に出させて』
『日時も土日でお願いできますか?』
『時間はあわせます』
送信して、しばらく待つと返信があった。
『五月十七日のお昼』
『十二時にこのお店で待ち合わせになった』
ユウからは、待ち合せ場所のお店のサイトURLが送られてきていた。
『わたしは車で行っちゃうけど、駅で合流する?』
助かる!
『倉敷駅でお願いします』
グループLINEなので、他のメンバーもこのやり取りは見ることができる。
『わたしも参加でお願い』
ミノリが加わった。
……新幹線代、おそろしい。
これから、何度往復することになるのか……一人暮らしで、贅沢をしているわけでもなく、すぐに資金が尽きることはないけど、先が思いやられる。
スマートフォンをデスクに置き、溜め息をついた時、自然とパソコンのディスプレイを見た。
仕入先からの納品書のPDFが、開かれたままだ。
俺は画面を消して、昼飯を買いに行こうと席を立った。
五月十七日
土曜日の朝に東京駅から新幹線に乗った俺は、品川で合流したミノリに窓側を譲った。
二人分のチケットを、俺が購入して事前に渡しておいたのだ。
彼女は席につき、トールサイズのコーヒーを背面テーブルに置いて口を開く。
「……今日のランチ代、イチ君もちだから」
だと思ってる!
大丈夫。
皆さんの分を、支払うつもりだから大丈夫です……。
俺に付き合ってもらっているので、これはもう仕方ない出費だ。
「実家には泊まって帰るの?」
ミノリの問いに、俺はお茶のペットボトルを開けながら答える。
「いや、俺は日帰りの予定にしているから」
「ふぅん……じゃ、わたしも帰ろうかな」
「チケット、ミノリの希望どおり明日の戻りで取ったのを渡したぞ」
「大丈夫、変えられるから」
知らなかった……。
彼女はポッキーの袋をやぶり、食べながら車窓を眺める。
「ミノリは、チヒロって子、覚えてる?」
「当たり前でしょ」
「どんな子? 俺、もう本当に申し訳ないんだけど記憶力なくて」
「まぁ、仲良くしてたわけじゃないなら無理もないと思うけどね」
彼女がポッキーを差し出してきたので、一本だけ頂いた。
たまに食べると、美味しく感じる。
「チヒロちゃんは、カホちゃんやユウちゃんと仲良かったよ。カホちゃんとあんた、ミニバス一緒だったんじゃないの? 覚えてない?」
「……ミニバス、けっこうサボり組だったからな、俺は……それに、カホと友達だったとしても、男子は男子で遊びまわっていたから、よくわからない」
「それはそうか……」
「ちなみに、チヒロは俺を嫌う派? それほどでもない派?」
「どちらかというと、あのこととはあまり関わりたくないと思う子だったと思う。話題にするの、嫌がる派」
俺は、お茶を飲み、ポッキーを食べるミノリに尋ねる。
「どうして、会ってもらえることになったんだろう? どう思う?」
「さぁ? でも、想像するに、改めてユウから話をされて、あの夜のことね? それで、チヒロなりに思うことがあったんじゃない? ユウも一緒ならいいか、と思ったんだと思うけど?」
「……そっか、うん」
「なに? その曖昧な感じは?」
「いや、話をしたくないと思っていたところに、無理やりに押しかけていくんだなと」
「……それを、最初にわたしへは思わなかった?」
耳が痛い。
「ごめん、巻き込んで」
「……でも、わたしも実は、今やっていること、やめたくない」
ミノリはそう言うと、車窓のほうを向いて外を眺める。
「そろそろ、富士山」
彼女はそう言って、窓を向いたまま言う。
「わたしも、後悔してた。イチ君をかばってあげなかったことを」
彼女は、見え始めた富士山から視線を逸らさない。だけど、俺に話しかける。
「キノ君みたいに、共犯扱いされるのが怖くて、わたしは逃げたんだよ」
彼女の言葉に、俺は首を左右に振った。それは、窓に移って彼女に見えたと思う。
足元のバッグからヘッドフォンを取り出し、スマートフォンを操作しながら口を開いた。
「ミノリは悪くない。悪くないから、大丈夫」
俺はそう言って、ヘッドフォンで耳を塞いだ。
プレイリストを再生しながら、目を閉じる。
彼女はまだ、車窓を眺めているだろうと思った。
岡山駅で、こだまに乗り換えて新倉敷駅で新幹線を降りる。そして、山陽本線に乗り換えて倉敷駅に到着したが、移動疲れで俺もミノリもヘロヘロだった。
時計を見ると、午前十一時過ぎ。
遅れているのでLINEでユウに詫びて、彼女が待つ南改札へと急いだ。
「あ! こっち!」
改札の外で、手を振っていたユウを見つける。
「ごめん、遅れて」
「ごめーん」
俺とミノリが謝ると、彼女は笑顔で頭を振って、後ろに立っていた女性を俺たちに紹介した。
「チヒロちゃん。廣田千尋ちゃん」
チヒロが、ミノリに照れくさそうに笑みを向けた。
「ひさしぶりぃ、元気?」
「元気、元気。あ、こいつがイチ君」
俺を雑に扱うことで、俺を助けてくれているのは理解できる。こういう時、ミノリに任せておこうと良い意味で諦めている俺は、チヒロの反応を待った。
彼女は俺に頷くと、ミノリとユウに言う。
「なんか、想像と全然ちがう」
「だよね?」
ユウが相槌をうつ。
「本人で間違いないんだよ」
ミノリが、からかうような言い方をした。
ユウが、二人でここにいた理由を話してくれた。
「車、停めるところがなくてコインパーに入れちゃったのよ。それなら、歩いて行ったほうが楽だから」
彼女に、チヒロが続く。
「そう、大原美術館のところだから。でも、ちょっと歩くけど」
「どれくらい?」
ミノリの問いに、チヒロが少し考えてから答える。
「だいたい十分くらい?」
「あ、全然近いよ」
たしかに、全然近い。
「え? 近くはないよ」
「そう、離れてるよ」
俺とミノリは、近いと感じる。一方で、ユウとチヒロは近くはないと感じる。
おそらく、この違いは電車社会と車社会の違いだろうなとわかる。俺も実家にいる時は、五分の徒歩の距離も車を借りるからだ。
ユウがチヒロが先を歩き、俺とミノリが続く。
チヒロが、ちらちらと後ろの俺を見ながら口を開いた。
「ユウから連絡もらった時、びっくりしたよ。今更、なんでなん? て思うたから」
「ごめん。そりゃそうだよね。たしかに」
「あの時、田中君は悪戯をしたのがばれて、それで居づらくなったけぇ、転校になったと思うとった」
チヒロの感想が、おそらくあの時の大多数の感想だっただろうと理解していいだろう。
「でも、それは間違ってはなかったと思う。金子先生が、俺の親と話して引越しが決まったみたいだ。たぶん、俺が居づらくなるとわかってた先生が、話してくれたんだと思うよ」
チヒロはそこで、少し真面目な顔となる。
「たぶん、そうなんだろうけどちょっと違うと今のわたしは思うかな……田中君が悪戯をしたと広まったから、田中君のご両親も難しくなっちゃったと思うよ」
チヒロの言葉は、俺の胸を抉るようだった。
お前のせいで、親も住めなくなったんだと言われた俺は、歩きながら反論できない自分が情けない。
そこで、チヒロの腕をユウが肘でつつく。
「ちょっと」
「あ、ごめん」
「いや、うすうすわかっていたことだから」
そうだ。
言われなくとも、それは予想できたことだ。
当初の待ち合せ場所だった洋食屋に入り、ユウが名前を告げると二階の個室に通された。そこでランチコースを四人分たのみ、ノンアルコールのドリンクを注文する。
サラダが届き、ユウが取り皿にわけながら口を開く。
「チヒロと連絡とって、会った時に話そうと思ったことあるんよ」
「何?」
俺が問うと、彼女は俺にサラダの盛られた皿を差し出しながら続ける。
「わたしが前、神社の前でヒカル君と山田先生を見たって言うたでしょ?」
「うん」
「チヒロは、山田先生とヒカル君のお母さんが一緒にいるところ、見てたん」
ん?
俺は皿を受け取り、手元に置きながらチヒロを見た。
ミノリが、ユウから皿を受け取りながらチヒロに尋ねる。
「お母さんと? 山田先生が?」
チヒロは、少し深刻な顔をして口を開く。
「あんまり、こういうことって言わないほうがいいと子供ながらに思ってて、だから誰にも言わなかったんよね。ありがと」
チヒロがユウからサラダを受け取り、手元に置く。
彼女はフォークでサラダをつつきながら、言葉を選ぶように続けた。
「いつだったかははっきりとわからん。でも、夏だったと思う、あと夜だった」
「それ、わたしたちがヒカル君と山田先生を一緒に見てた時期と一緒」
ミノリが言い、ユウも頷いた。
「場所は、どこ?」
俺の問いに、チヒロが少し悩む。
「それがねぇ……もう子供の頃のことだし、よく覚えてないんよね。見ちゃいけんもの見た! ていう衝撃で、山田先生とヒカル君のお母さんのことはよく覚えとんよ。できてる! て思うて」
「できてる? 仲よさそうだったってこと?」
俺が訪ねると、彼女はうんうんと頷く。
「腕を組んでたからね。こうくっついて」
チヒロが隣のユウを使って、当時の記憶を再現してくれた。
たしかに、いちゃついているようにしか見えないだろう。
チヒロは続けて、こうも言う。
「で、山田先生とヒカル君のお母さん、わたしに気づいてパっと離れたけぇ、よく覚えとる。でも、それっていつだったか、どこだったかって微妙」
「どの辺かもわからない?」
俺が前のめりになると、チヒロは背もたれに身体をあずけて天井を仰いだ。
無理か。
「ねぇ、チヒロちゃんて、夜に外にいる用事、当時は何があった?」
ミノリの質問の意図がわかった。
彼女は、英語塾の帰りにヒカル君と山田先生を見た。そして、ユウは習字が終わって家に帰ってきた時だ。
二人とも、夜に外に出ていた用事があった。
であれば、その用事の場所から彼女の家の途中のどこかで、見たのではないかと思ったのだろう。
大皿に盛られた魚料理が運ばれてきて、チヒロが切り分けながら言う。
「とくに習い事、してなかったんよねぇ……なんでわたし、夜に外にいたんだろう?」
「思い出したら、教えてほしい」
俺の言葉に、彼女は微笑んで頷く。
「なんか、やっぱり田中君て感じじゃないわ。いい人そうだから」
どういう意味だよ……。
この前も言われた、悪ガキだったから云々かと思うと情けない。
「でも、いい人ってわけじゃないんだよ、この人。みんなを巻き込んでいるんだから」
ミノリが言い、ユウが笑う。
「ホンマよ、それホンマ。わたしは睡眠時間を削って今日は来とるんじゃもん」
「あ、ごめん。そうだよな? 夜、仕事だもんな」
「ほうよ。次、また使ってよ」
「イチ君のおごりで」
ミノリの言葉に、曖昧に頷いておいた。
お金が、いくらあっても足りなくなりそうだ。
チヒロが言う。
「あと、これも今思えばっていうやつなんだけど、ヒカル君て学校に遅くまで残ってた時があったよ。事件よりずっと前だし関係ないと思ってた。何度か見た」
それは、絵を習っていたやつだろう。
「金子先生に、絵を教えてもらってたみたい。マナミと一緒に」
ミノリの説明で、チヒロはほっとした顔になる。
「なぁんだ、そうか。わたしはさ、てっきりお母さんと山田先生ができているから、帰りたくないのかまで想像してた」
俺は、微妙なズレを感じて確認する。
「ちょっと待ってくれ。遅くまでって、それって午後六時とかそういう時間じゃないってことかな? もっと遅く?」
チヒロは、目をパチパチとさせて頷く。
「そう。八時は過ぎてた」
午後八時?
ミノリが俺を見て、俺も違和感で彼女を見た後、ユウを見ていた。
彼女はチヒロを見て、尋ねる。
「八時? それって本当に?」
「うん、わたしが帰る時だったから、間違いないよ」
「帰る? チヒロは何をしてたん?」
ユウの問いに、彼女は照れたように答える。
「お母さんのバレーについて行ってた。体育館。帰る時、教室が明るいから誰かいるのかと思って、お母さんたちが校舎の空き教室で着替えている時、わたしは教室に行ってみたんだ。そしたらヒカル君がいたんだよ。一人で」
「一人?」
俺の問いかけに、彼女は即答する。
「一人」




