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方言

「イチ君ね!? ひさしぶりじゃね! おおきゅうなって……て、当たり前じゃね!」

 ミノリのお母さんは、俺のことを覚えていて……いや、忘れるわけがないのかもしれないけど、不思議と俺のことを悪い印象で覚えている様子ではなかった。

 懐かしい、元気? と聞かれて、頷きながら東京で重機関係の仕事をしていると答えた。すると、ミノリのお母さんが笑いながら、助手席のドアを開けていたミノリを指さす。

「職場にええ人おったら、この子に紹介してやって」

「やめて!」

 断固拒否のミノリが助手席に乗り込み、ドアを勢いよく閉める。

 俺はミノリのお母さんに頭を下げて、運転席に戻った。そして、見送ってくれていていたので、また頭を下げて、アクセルを踏む。

 直進し、右折。交差点の信号が青に変わり、山陽本線のガード下をくぐって上り坂へと向かって行く。

「車、どこに停めんの?」

「四小」

 彼女の問いに、考えもなく答えると溜め息をつかれた。

「だと思った。福祉センターは今日、祝日で休みだよ?」

「あ」

「図書館に停めよ。有料だけど、歩いて向かう途中でもいろいろと思い出せるかも」

 ミノリがいてくれてよかったと思う。というのも、四小のところまで車であがってから門が閉まっていた場合、Uターンして戻るのは至難なのだ……道が狭いから。

 図書館に車を停め、そのまま小学校へ続く道を歩く。

「佐野、あの道覚えてるか?」

 俺は、その道の前を通過する時に思い出して、尋ねていた。

 小学校にあがる道……正規のルートは車も通れる。その道から左に伸びる細い道は、徒歩でないと進むことはできない。その道の先は急な上り坂と階段で、距離では最短で四小の裏門に出ることができる。

「こっちから、行ってみる? あ、そうだ。言おうと思ってたことある」

「なに?」

 細い道へと方向を変えて進みながら、何だろうかと彼女を見る。

「佐野、ていうのやめて。昔みたいにわたしも呼ぶから、昔のとおりでいいよ」

「……」

「イチ君だけ、田中君呼びで他の皆は当時のままってのも、面倒くさいから」

「わかった」

 そこから坂道となり、さらに階段は細くて急だ。子供の頃、ここを駆け上がっていたのかと思うと、子供の体力はすさまじいと感心した。

 スマートフォンが振動した。

 ポケットから出すと、ミノリも同時にバッグに手を突っ込んでいる。

 おそらく、昨日つくったLINEグループに、誰かが書き込んだのだろう。

 画面を見ると、その予想は当たっていた。

『キノ、会える。だけど六月だな。七日がいいと言われた。帰ってこれるか?』

 ナオからで、キノと繋げてくれていた。

 俺はすぐに返信する。

『助かる』

『帰る、大丈夫』

 すると、了解という意味のスタンプが押された。

 次に、またナオがメッセージを送ってきた。

『キノ、すげぇ謝っていた。でも、まだイチの連絡先は教えてない』

『わかった、七日に直接、交換する』

 打ち返した時、ミノリが言う。

「よかったじゃん」

「うん、よかった」

「ま、キノ君はちゃんと話をすれば通じると思うからだけど……問題は疎遠になった人たちよねぇ」

「でも、それはしょうがない。関わりたくないっていう気持ちは、わからなくもないし……これってさ、俺が一方的に思っていて、ミノリにお願いして始まったことに、みんなが付き合ってくれているだけだから」

 背中をバン! と叩かれて、驚いて彼女を見ると笑っていた。

「感謝してよ。しばらくは晩御飯をおごって」

「え? ああ、いいよ。あ、そうだった。二〇〇〇年の秋、俺たちって同じ班だったよね?」

「……今さら、そこを確認する? だから席が隣だったんでしょ」

「いや、まぁ……班が別でも席が隣ってパターンも――」

「いいから、何?」

 遮られて聞かれたので、そのまま尋ねる。

「いや、俺とミノリ、ナオとマナミ……あと一人、誰だっけ? 五人だったのは覚えてる」

「えっとね……たいらさんだよ」

 平さん?

「わたしもあんまり覚えてないんだけど……マナミとは会話してたような……ていうか、マナミと会話してない子って、あのクラスにはいなかったと思うけど」

「そうなの? 佐……ミノリのほうが、なんかみんなと仲良くしてた印象がある」

「わたしはそうでもない……あ、仲が悪いってわけじゃなくてね。マナミはあの通り、誰ともでも仲良くなれる天才だから……昨日も、マナミがイチ君に、イチ君て呼んでいいかって突っ込んでくれたから」

「……事前に、打ち合わせたの? マナミと」

「わたしが? ううん、さすがにできなかった。イチ君のことを話すと、それって自然にあのことの話になるってことだからね。金子先生には事前に話さないといけないと思ったけど、他の皆にそれを先に言うと、下手したら、誰も来なくなると思った」

「……キノはたしかに、そう言ってたな」

「そう」

 階段を上がり終え、また坂道をのぼる。そしてまた現れた階段をあがりきると、四小の裏門のところに出た。当然、門が閉まっているだろうと思ったが、ロープが張られているだけで、入ろうと思えば入れてしまうほどにお粗末だ。

 でも、これくらいのゆるさが、この町にはあっていると思うと少し嬉しく感じた。

 のんびり、ゆっくり、穏やか。

 こういう評価が、似合う町だと思う。

 ミノリが先にロープをくぐり、敷地内へと入った。

 俺も続き、裏門からすぐの場所にある焼却炉の前まで歩く。

 ミノリが、俺を見て口を開いた。

「たしかに、ここは校舎の影にならないから、暗くないだろうね。西は千光寺の方向だから、夕方でも暗くはなかったとわかる」

「そう……たぶん、十六時から十七時の間だったと思うけど、十七時を過ぎてても、この場所はまだ陽が届いていたから暗くはなかったと思う」

 俺はそこから、建っていた場所まで移動した。

 そして、教室があった三階を見上げ、飛行機を追うように西……教室を正面にして建っていた俺は、北を背にしている。つまり、右方向へと身体の向きを変えて、数歩、歩いた。

 ミノリが俺を、じっと見ている。

 彼女は焼却炉の横、階段下にいた。

 ふと、何かを思い出したような感覚に襲われた。

 あの時……もう一人、いたんじゃないか?

 俺は、ヒカルと山田先生が階段を上っていくのを見た……だけど、ナオに呼ばれる直前、もう一人を見たような……どこだ?

「ミノリ、ごめん、そこで適当に歩いてみてくれない?」

「適当に? ちゃんと指示だしてよ、へたくそ」

「……階段をあがってみて」

 ミノリが階段をあがる……俺はそれを追うように視線を移動……違うな、誰かがいたなら、当然ながらはっきりと見ている。

「裏門を横切ってみてくれないか?」

「はーい」

 階段を駆け下りた彼女は、裏門のロープをくぐって道に出る。そして、裏門を横切るように歩いた。道は学校敷地に沿って伸びていて、裏門と並行している。彼女は最初、北から南へと歩き、次に南から北へと歩いた。

 ちがう……けど、ひっかかる。

 ミノリが再びロープをくぐり、自分の手を見た。

「ごめん、ロープが汚くて手がよごれたから、洗ってくるね」

 彼女はそう言って、グラウンドのほうへと歩いて行った。グラウンドの端には、蛇口が連なる水飲み場があり、そこに行ったようだ。

 俺は待つ間、教室を見上げ、焼却炉のほうへと身体の向きを変えて数歩を歩くということを繰り返した。

 三度めの時、俺がちょうど焼却炉の方向を向いていた時、ミノリが戻って来る。

「あ! ストップ!」

 思わず、声を出した。

 記憶がよみがえったという興奮で、俺は大げさにジェスチャーをしてミノリに言う。

「もうちょっと戻って! バック!」

「戻る? 焼却炉?」

「ちがう! 校舎のほう! そう! そこから、焼却炉のほうに歩いてみて!」

 俺は、焼却炉の方向を見る。

 二〇〇〇年十一月七日。

 夕方、まだ日が落ちる前。

 俺はヒカルと山田先生が階段を上るのを見た。

 ミノリが、校舎の影から姿を見せて焼却炉の方向へと歩く。

 これだ!

 これ!

 俺はあの時、三人目を見た!

「ミノリ! 思い出した!」

 思わず焼却炉に向かって走ったせいで、ミノリが驚いて身をひく。

「な! なになに!?」

「ひっかかっていたやつ、思い出した」

 興奮で高ぶる気持ちのまま、説明をする。

「あの日、ヒカルと山田先生が階段をあがっていくのを俺は見た」

「それはわかった。で、三人目がいたの?」

「そう。俺がナオに呼ばれて、教室に戻ろうと身体の向きを変える直前、校舎の影から焼却炉のほうに誰かが歩いた……誰かが」

「誰なの? それは」

「それは……わからない」

「……うーん、事件に関係ないんじゃない? 焼却炉の横のゴミ捨て場に、ゴミを捨てに来た子じゃない?」

「いや、子供じゃなかったと思う」

「特徴は?」

 俺は懸命に記憶をたどるが、うなるばかりで全く思い出せない。だけど、あの時に校舎の影から焼却炉のほうへと、三人目が現れた瞬間を見たという確信は得ていた。

「思い出せない……思い出したら、言うよ」

「……ま、しょうがないか! 裏山、行ってみるんでしょ?」

「行こう」

 彼女が階段を先にあがり、俺が続く。

 裏山へと続く細い道は、くねくねと曲がっていて先が見通せなかった。




 小学校裏の擁壁上へと出ると、そこはまた細い道で右手には四小、左手にはお寺の万年塀が道に沿って続いている。そのまま北東方向へと延びるゆるやかな坂道を歩いて行くと、お寺の万年塀はきれて、ぽつぽつと民家が建っていた。

「まだ、残ってるんだね、この辺」

 ミノリの言葉に、同じ感想を持つ。

 どうやって、ここに家を建てたのかと不思議だ。この細い道を、資材を担いで職人たちが往復したのか?

 しばらく歩くと、民家はなくなり、古い祠が現れる。ここまで来ると学校からも離れていて、道の左右は山の一部で、雑木林と言っていい。

「この祠も、まだ健在なのね」

 ミノリが立ち止まり、俺も祠を見た。

 石積みの基礎の上に木製の祠が乗っていて、その裏は雑草と樹木に覆われている。よく見えなかったが、大きな石のようなものが、そこに埋まっているようにも思えた。

「意外……誰かがお世話してるみたい」

 ミノリの視線は、祠の棚に置かれた茶碗と、花立に立つ植物に注がれていた。

 近づいてよく見ると、その植物はまだ青々としていて元気がある。

「これ、なんの草?」

 俺の問いに、彼女は呆れたように笑うと教えてくれた。

「榊、知らないの? いい年して」

 聞いたことがある……程度の俺は榊から視線を転じて、祠の周囲を眺めた。

「この祠、誰かが世話をしているのに、周囲は雑草だらけだな」

「そうね……ま、草取りは大変だから、そこまではできないんじゃない?」

 俺たちは自然と、同時に裏山の方向へと向かって歩き出す。ここから先、裏山のほうへと進むと、コンクリートが打たれた登山道となる。

 瑠璃山の登山口から登ってくる道との合流地点は三叉路で、山頂へと向かうには左方向の上り坂を進む。

 ミノリが、歩きながら周囲を見渡し、山腹の険しさに口を開いた。

「よくこの山林を、男子は走り回っていたね?」

「怪我をするとか、考える前に突っ込んでいたのが不思議だよ。今、同じことは絶対にできない……もう少し先に、よく怒られてた……例の裏爺の家がある」

「裏爺って、誰が言い出したの?」

 ミノリがおもしろそうに笑い、俺も笑みを返した。

「わからん……誰だったかな……俺たちが山で遊んでいるのを見つけたら、必ず怒るから誰かが言い出したんだよね」

「そりゃ、危ないから怒るでしょ……まだ、いるかな?」

「あれから二十五年だぞ? いないだろ」

 登山道の途中に、その家が見えてきた。

 木造二階建ての小さな家は、傾いているように見えるが玄関脇の花壇には、マリーゴールドが立派に咲いていて、誰かが世話をしているのだとわかった。

 俺たちの視線は、自然と花壇に注がれている。

「いるほうに千円」

 ミノリが、ぽつりと言う。

「じゃ、いないほうに」

 俺が答えた。

 彼女は玄関前に立つとインターホンを探す。見慣れたインターホンはついておらず、玄関扉の横にあったのは、ボタンを押して音を鳴らす古いものだった。

 ミノリがボタンを押すと、外にまで、ブー! という音が聞こえてくる。

 しばらく待つが、反応がない。

「いないのかな?」

「俺の勝ちでいいか?」

 ミノリが再び、呼び鈴を鳴らした時だった。

「うちになんか用か?」

 驚いて振り返った俺たちを、腰が曲がった老人が見ていた。

 記憶に残る裏爺は、もっと背筋が伸びて威圧的だったと思うも、俺たちの身長がデカくなっているし、あれから二十五年も経っているから無理はないかもしれない。

「あ、こんにちは」

 ミノリが慌てて挨拶をしたが、老人は俺たちを、不審者を見る目で眺める。彼は買い物袋を持っていて、玄関へとのそのそと歩く。高齢で歩くのも大変なのに、それでもここに住んでいるのかと思うと不思議でならなかった。

 小学生だった俺たちから見て、お爺さんだった時から二十五年……今は何歳なのだろう?

「わたしたち、四小に通っていたんですよ。で、お爺さんのことを思いだして、山に登る途中だったからお元気かなと思ってつい来ちゃいました」

 ミノリの機転に、俺も続く。

「危ないことをして、よく叱られていたのは俺のほうでなんですけどね」

「ああ……四小の子らか、ほうかぁ」

 目を見開いた裏爺は、「どっこいしょ」と言って買い物袋を玄関前に置く。そして、ズボンのポケットへと手を突っ込み、ごそごそとしていた。

 鍵を、さがしているらしい。

 俺は、買い物袋を持ってやると、爺さんは目で感謝を伝えてきた。

 あの怖かった裏爺が、今はこんなに小さいと思うと、不思議と親切心が湧き出てくる。

 裏爺が玄関を開けて、框に腰掛けた。自然と、俺は買い物袋を持って中へと入り、彼の隣に置いた。

「すまんなぁ……年寄りは買い物も大変じゃけぇのぉ。四小の子らか、ほうか」

「そうです」

 俺は、あのことを聞くべきかどうか迷った。

 せっかくの機会だし、聞いておきたい。

「あの、俺たちの同級生がこの山で行方不明になったから、二人で今日、なんというか……山に登りたくなったんですよ」

 裏爺は、見開いていた目をさらに開くと、せき込む。

 ミノリが駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

「げほげほげほ……すまんすまん。ほうかぁ……あの子のなぁ」

 俺は玄関前まで後退し、表札を素早く見る。

 田浦、と書かれていた。

「あの、田浦さんがその子を見た時、どの辺を走ってました?」

 裏爺と呼ぶのはマズイからだ。

「ありゃぁ、どこじゃったか……あっちの斜面を三人くらいで走っとったで、たしか」

 昨日の話で、それはおそらくトウマとリョウタ、そしてカズキだろうと思う。

 裏爺が指さす方向の斜面を、二人で眺めた。

 登山道から外れた場所で、秋なら落ち葉が大量に積み重なっていただろう。子供の頃、その落ち葉の上を滑って遊んでいたのだ……今、改めて斜面を見ると、そのまま斜面を滑って下ると崖に突っ込む恐れもあるとわかり、裏爺が怒っていたのは俺たちのためだったと感謝を覚えた。

 あの頃は、落ちるわけがないという妙な自信があったし、落ちても大した高さじゃないという舐めた考えがあった。

 我ながら、よく生きていたと感心できる。

「あそこは危ないんよ、ゆるやかな下りじゃ思うとったら、急にきつうなるけぇな。滑って落ちたら怪我する」

「田浦さんのおかげで、大人になれましたよ」

 俺が冗談めかして言うと、裏爺は目を細めて笑った。

「ま、四小がなくなって、子供らがそこで遊ばんなったらなったで寂しゅうてな。でも、ほうかぁ、あの時の子らかぁ」

 ミノリが腰をかがめ、框に座る裏爺と目線をあわせて口を開く。

「あの時、マスコミもいっぱい来て大変だったでしょ?」

「ああ、大変じゃったわ。子供を見ましたか? 見ましたか? 言われて、確かに見たぞ、そこを走っとったと何回も伝えて、そしたらまた同じことを聞きに来てのぉ」

 やっぱり。

 裏爺の目撃したのは、ヒカルではなかった。

「あれから先生が探しに来たな、たしか……うちにも訪ねて来たけぇ、そこで見たと、また同じことを言うたわ。先生らも大変じゃったろうな、夜も探しとったみたいじゃけぇの」

 金子先生が言ってたとおり、警察が本格的に探し始める前は学校の教員たちでヒカルを探していたんだ。

「え? 夜も探してたんですか?」

 ミノリが驚いたように質問したので、俺はそれの何が不思議なのかと彼女を見た。

「夜も探しとったよ、ほれ、あっちの四小のほうで懐中電灯がチカチカしとったけぇ」

 俺と彼女は、裏爺の家から四小の方向を眺める。

 しかし、ここから四小は見えず、雑木林と細い登山道のみだ。

「ほういやぁ、あの事件があってから、先生が祠の世話をしてくれるようになってな。何度も見かけるけ、話しかけたことあるわ」

「先生が世話? 祠をですか?」

 俺の問いに、裏爺は何かを思い出そうという表情となった。

 祠の世話? さっきの榊も、もしかしてそうなのか?

 俺とミノリは、顔を見合わせる。

 裏爺は、手を打って続けた。

「そうよ、そう。たしかに、先生じゃったわ。教え子が見つからんけぇ、お参りしてお祈りしとんですと言うとったから」

 金子先生……だろうか?

 ほかの先生かもしれないが、当時の担任だった金子先生の顔が、自然と浮かんだ。

「祠って、そこの祠ですか?」

 ミノリの問いに、裏爺は目を柔らかく細めて頷く。

「そう、ええ先生じゃな思うてな」

 金子先生だ。

 俺はなんだか胸が熱くなり、隣のミノリもジンときているような表情だった。おそらく、彼女も俺と同じ人物を予想している。

 それから俺たちは、裏爺にお礼を言って辞して、登山道に戻る。

「裏爺、何歳なのかな?」

 ミノリの問いに、俺も同じ疑問をもっていたと答える。

「俺も思った……当時、たとえば七十歳だったとして、今は九十五歳だ。もっと上なら、しっかりしてるよな?」

「裏爺って呼んでただけで、実は思っていたよりも若かったんじゃない? 子供にとっては、おじさんとお爺さんの違いってよくわかんないでしょ? それに、自分たちのお爺ちゃんと同じくらいの見た目だったら、お爺ちゃん呼ばわりしたんじゃない?」

 言われてみると、そんな気がした。

 登山道を、しばらく進む。

「金子先生……かな?」

 ミノリの問いは、先ほどの裏爺が話した祠を世話する人のことだとわかる。

「そうじゃないかと……俺も思うな」

「今度、ちゃんと定年のお祝いをし直したい。この前は、なんか悪いことした感じがするもん」

「……そうだな。ごめん、俺のせいで」

「いいよ、それは。わたしが連絡をしたんだし。それに、次はちゃんとイチ君も参加で、皆で楽しくお祝いできるからいいでしょ?」

 今日、裏山に来てよかったと思えた。

 この時、かなり山頂に近い位置まで登ってきていた。

 瑠璃山の登山道は、浄土寺の背後にそびえているからかもしれないが、山頂までの途中にお地蔵さんがいくつもいらっしゃるので、お参りしながら登っている感覚になる。

「鎖山、まだあるかな?」

 俺が視線を転じると、切り立った崖にまだ鎖があるのが見えた。

「よく登ってたね? あれを」

「子供の頃は、恐怖心がバグってたんだろうな」

「だね、今じゃ普通にこわい」

 鎖山と俺たちが呼ぶのは、瑠璃山の途中にある修験道に使われるようなコースのことだ。誰がいつそれをしたのか知らないが、崖や斜面に鎖がつながれていて、それを辿って上るコースがある。

 今は、とてもトライしようという気になれない。

 山頂に近づくと、展望台が見えてきた。

 朱の柱に支えられた展望台へ、階段であがると尾道と海と島々が一望できる。

 意外と、ここは観光スポットにはなっていないようで、俺たちの他には誰もいなかった。

 千光寺と違い、ロープウェイなどであがって来られないから、そもそも人気がでないのかもしれないが、俺にとってはあちらから拝める風景よりも、ここからの絶景こそ有名になってもいいのではないかと思う。

「なつかしい」

 ミノリの言葉に、俺も頷く。

「イチ君、明日、東京に戻る?」

「そう、午後に新幹線で」

「……トータルで片道四時間くらい?」

「四時間。マジつらい」

 二人で並んで景色を見ながら、会話は自然とこれからのことに移っていった。

「次は六月七日?」

 彼女の問いに、俺は頷きながら答える。

「うん、六月七日に……キノと会うよ」

「さっきのLINEだと、また殴られるようなことはなさそうだけど」

「……ちゃんと謝るよ」

 彼女は景色を見たまま、言う。

「わたしは、いたほうがいいかな?」

「え? 一緒に行き来してくれるものだと思っていたけど……予定ある?」

「……じゃ、新幹線代、出して」

 う……いや、たしかにそうだ。

 往復で、三万円後半の費用がかかるのだ。

 にんまりとする彼女の横顔。

「出します」

 俺は、短く答えた。




 ミノリを家まで送り、彼女のお母さんに挨拶をしてから帰宅すると、親父もおふくろも出かける準備を終えていた。

 まだ十七時過ぎなので、余裕はあるのにと思ったが、この人たちは昔からそうだったと思いだす。

 遅れることを嫌うので、早め、早めになんでもするのだ。

 酒を飲まないおふくろが運転手を務めるというので、おふくろの軽自動車に乗り換える。同じ軽じゃないかと思ったが、おふくろ曰く、親父の癖がついていて運転しづらいという。

「俺はとくに感じんけどな」

「あんたはブレーキ、グンとふむじゃろ? それがお父さんと一緒。その癖がついとる。ミノリちゃん、怖がってなかった?」

 最後の言葉に、ドキリとした。

「え? なんで知っとるん?」

「佐野さんとこから電話があって、ひさしぶりに会ったら大きゅうなってびっくりした言われたんよ。行くなら行くと言うてくれたら、何か持たせたのに」

「いや、ま……いろいろあって。てか、連絡しあってたんか?」

「ほうよ。お茶しようるし、友達なんよ。で、何でまた急にミノリちゃんとヨリを戻したん?」

「その言い方はおかしいわ」

「昔は仲良かったけぇ、元に戻ったんと違うんね?」

 俺は話しづらかったが、両親に嘘をつくのもおかしいと思い、簡単に説明することにした。

「この前、法事で煙草を買いに行くって逃げたろ? その時、四小に行った」

「ほぉ?」

 親父が、助手席から後部座席を肩越しに見た。

 俺は、話せることを話す。ただ、調べているとかいう部分は隠した。

「思い出して、当時の皆と話をしたくなってな……実は大学でミノリと会ってて、でもああいうことがあったからお互いに連絡先の交換だけで終わってたんじゃけど、思い切って電話して、皆に会いたいからつなげてくれってお願いをした」

「それが昨日か?」

 親父の質問は、するどいの一言だ。

「そう」

 赤信号で停まった時、おふくろがバックミラー越しに俺を見て言う。

「でも、あんた……変なことしょうるんじゃないんね?」

 さすが我が親……子供のことをよくわかってらっしゃる。

「青になったで」

 青信号に変わったことを利用して、話をそらした俺は、鞆の浦に向かう車の車窓へと意識を転じることで質問するなという意思を伝えた。

 しかし、きっと食事の時に聞かれるだろう。

 思い切って、話してみようかと迷いながら流れる景色を目で追う。

 車は沼隈町の山の中を抜けて、海へと近づくように進む。

 白浜海岸が右手に広がり、ちょうど夕焼けが海を美しく染め上げていた。

 俺だけだろうか?

 夕日に照らされる海と島々を見ると、なんともいえない気持ちになるのは。

 車は左へ、海から遠ざかるように曲がる。阿伏兎観音が近いせいか、道路脇に立つ看板の多くは阿伏兎の文字が目立った。畑と民家、山々の中を走る道路はトンネルに続き、それを抜けてまたしばらく走ると、右手の山々の切れ目から海が覗き始める。

 車は細い道へと入っていき、湾を囲むように並び立つ家々が見えてきた。

 ここから大型車両通行不能、と書かれた看板が示す方向へと、車は迷うことなく進んでいく。そして、弁天島が見えてきたあたりで、おふくろが車三台分のスペースがある駐車場へと軽を入れる。

「ここ」

 店? 看板も何もあがってないが、でも出入口は飲食店のようだ。

 店内に入ると、カウンター席が五席ほどある鮨屋だった。

「あ、いらっしゃい、田中さん、奥にどうぞ」

 明るい女性に声をかけられ、親父、おふくろ、俺の順で奥へと進む。途中、板前の女性……鮨屋で女性が調理場に立つのを初めて見たかもしれない。

「アキさん、いらっしゃい!」

「お世話になります!」

 どうやら、おふくろの知り合いというのが板前で、店主なんだと思えた。

 個室に通されて、おしぼりを出されたと同時に瓶ビールも二本、運ばれてきた。そしてウーロン茶の瓶が続く。

 俺が親父にビールを注ぎ、注いでもらい、おふくろには親父がウーロン茶を注いだ。

「刺身、焼き物、握りの順にお持ちしますね」

 女性の店員に言われ、親父が「天寶一、冷で二合」と返す。店員が頷き、個室の障子がしめられてから、親父がグラスを持って掲げた。

「じゃ、乾杯」

「乾杯」

 親子だけで飲むビールは、普段とは少し違った美味しさがある。

「で、聞こうじゃないの? なに悪さしとるんか?」

 親父の質問に、観念した俺はビールを一気飲みし、おふくろに注いでもらいながら口を開く。

「先に、感謝しとくわ。引越し、してくれて」

 俺の言葉に、二人が目を丸くして動きを止めた。

「昨日、金子先生とも会えたんだ」

「……ほうか」

 親父が短く言い、おふくろがグラスを持つ手元を眺めた。

「失礼します」

 障子が開き、刺身が到着する。

 醤油をおふくろにとってもらい、皿にたらしながら続けた。

「実はな……俺、やっぱり嘘は言ってないと思うた。もちろん、悪戯じゃない。四小に行って、同じ場所に立ったら、見間違いじゃないって確認できた」

 親父がビールを一気に飲み、俺が注ぐ。

「お酒、お持ちしました」

 日本酒が届く。

「昨日、会えた同級生らと話したかぎり、皆があれから苦労したのを聞いた。でも、話を聞くうちに、こうも思うた。もし、今の俺たちが当時の状況だったら、あんな流れにはなってないんじゃないか? あの時は子供だったけぇ、言いたいこともうまく言えんままで……俺なんて、わんわん泣くだけでおふくろに頭を下げさせた」

「覚えとんね?」

「忘れられんよ、自分のせいで親が謝っとるんじゃけぇ」

 俺は言いながら、広島弁になっている自分に驚く。

 でも、やっぱりこっちにいる時は、これがしっくりくると思った。

「俺、それにムカついたし、ヒカルのことを忘れようとしている自分にぶちムカついた。あの時は、こんなことを考える余裕なんてなかったし、無理だったと思うけど、ごめんけど……ちゃんと確かめたい。あの時、何があったのかを可能なかぎり知りたい。そうせんと、ずっとひきずるわ」

 おふくろはそこで少し笑い、箸をおいてウーロン茶を一気飲みすると、グラスに手酌でビールを注いだ。

「おい、お前」

 親父が慌てると、おふくろはビールを一気飲みし、口を開く。

「代行で帰りゃええ、飲む」

「お前、飲めんじゃろ?」

「この馬鹿が、バカなことをしよういうんじゃけ、飲まんとやっとれんよ」

 思わず笑った。

 俺が笑い、おふくろも笑い、最後に親父が笑う。

 三人で大笑いして、それぞれのグラスにビールを注ぎ合った。

 笑い終えた親父が、ビールをちびりと飲み口を開く。

「いちおう、注意しとくわ。やりすぎんなよ? 人様に迷惑かけんこと」

「……わかった」

 頷き、ビールを飲み干した。


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