二次会と疲労
五人となって、俺は最後尾を歩いた。
ひさしぶりに、尾道の本通り商店街を歩いて向かう先は、新開エリアだ。アドレスでいうと、久保二丁目あたりになる。俺が子供の頃に住んでいたのは、久保三丁目の端っこで飲み屋街からは少し離れていた。
本通り商店街は、夜でもアーケードの照明で明るいが、飲み屋街に入ると、細い路地は暗く、また迷路のように入り組む。道の幅は一メートルあるかどうか……そして建物と建物は隙間なく建ち並んでいて、店と民家が入り混じる不思議な空間だ。例えるなら、新宿のゴールデン街に近いかもしれないと感じたが、こちらはあちらと違って騒がしさはなく、落ち着いている印象を受けた。ただこれは、俺が贔屓目で見ているからかもしれず、人によっては寂しいという言葉を使うかもしれない。それでも、予想以上に人が多くて、意外だった。
観光かな? と思っていると、内心をナオが代弁する。
「観光客、少しまた増えたなぁ」
「これで少し?」
ミノリの問いに、彼は頷いた。
俺の隣を歩くカホが、補足する。
「前はさ、昼間に来て、昼間のうちに帰る人が多かったけどね、PRかなんか知らんけど、夜の路地裏散策的なアピールが効いてるんかも」
細い道を、すれ違いながら歩いていると、子供の頃の遊びを思い出した。この路地裏をコースにして、俺はキノと自転車レースをしていたのだ……。
よくそんな危険なことをしていたと過去の自分に呆れた。
「ここ、キノとイチ、よく自転車レースしてたな」
リョウタに言われ、苦笑を返した。
「うん、してた。大人に怒られても、まったくやめんかったよね、二人」
カホの指摘に、俺は何も言えず黙ったまま歩く。
スナックやラウンジが入る三階建ての建物の横、小さな店に迷うことなくリョウタが入り、俺たちは続いた。
知っている店か? と思うと、やはりそうだった。
「こんばんは、今日は珍しい奴、連れてきたけぇ」
リョウタが店のママ……年齢的に俺たちとそう変わらない女性に言うと、彼女は手で口を隠して笑う。
「なに? 珍しいって、あ! ミノリ! ひさしぶり! きゃー!」
「きゃー! ユウちゃん? お店してたの!?」
「そぉ! カホも! いつもありがと! あ、この前、お父さんが来てくれたんよ……こちらは?」
彼女は、ナオと俺がわからないみたいだ。
リョウタが、順に紹介する。
「こいつは、ナオ。山本直人」
「あー! ナオ君? 中学以来やん!」
「ひさしぶり」
そして、リョウタは俺を見た。
彼の顔に、少しの緊張が見てとれる。
「で、こっちは、イチ。田中一郎」
「え?」
ユウちゃんとミノリに呼ばれたママ……は、俺を見たまま固まった。
「いきなりですまん、さっき金子先生の会をしとってな。お前は仕事で来れんのわかっとったから、二次会で来た。イチ、ユウちゃん……齋藤裕子、覚えてる?」
リョウタに聞かれ、俺は頷く。
名前はわかるが、当時の彼女に関する記憶がほとんどない。クラスでも目立たない子だったと思うし、向こうも俺とあんまり関わることがなかったんじゃないか? ただ、彼女は俺の名前に反応した。
俺は、やっぱりあの時の皆に、よくない理由で覚えられているのだと再確認してしまう。
「と……とにかく座って。わざわざ来たってことは、田中君とあの時の話をしたん?」
俺たちがカウンターに向かって座ると、店内の席は半分以上が埋まった。
「どうする?」
ユウはリョウタに聞き、彼は「いつもの」と答えた。すると、彼女は後ろの棚からウイスキーの瓶をとり、人数分のハイボールを作っていく。
手慣れた動きを眺めていると、リョウタが話し始めた。
「さっきの金子先生の会、キノがイチを殴って帰った」
「それは、しょうがないんじゃない?」
ユウはそう言いながら俺を見て、手元へと視線を落とす。
「で、残りは俺、ナオ、トウマ、ミノリ、カホ、マナミ、エリ、アカネ、そしてイチで、ヒカルのことの話になった。金子先生も一緒に」
「……楽しくないお祝いになったね……先生、気の毒」
「ごめんて」
ユウに謝ったのはミノリで、ハイボールを受け取りながら続ける。
「田中君がわたしに連絡してきたから、先生に電話をしたんだよね……それが原因」
「田中君がミノリに電話したって、二人は連絡をとってたん?」
ユウが俺とミノリを交互に見て問い、俺はハイボールをカホ経由で受け取りながら答える。
「大学が、一緒だった。ゼミで……でも、その時はすぐに疎遠になった」
「じゃ、どうしてなん?」
俺は、皆にした説明をユウにもした。
彼女は静かに、頷きを挟みながら俺の話を聞く。
途中、店のドアが開き、二人客が顔を覗かせた。ユウは奥の席が空いていたが、予約があると伝えて断りを入れる。
「ごめんなさい、次の時はサービスしますから」
彼女は名刺に何かをメモを書き、二人の客に丁寧に手渡した。
そこで、思いついたようにドアの外の看板を店内へと引きずり込み、鍵をかけた。
「今日はお店、閉めるよ。他の人いたら、話せないことを話しに来たみたいだから」
ユウはそう言うと、再びカウンターの内側へと戻り、自分のハイボールを一口飲む。そして、俺が話を再開すると、じっと俺を見つめて静かに聞いた。
「……で、俺が佐野にお願いしたんだ」
ここで彼女が、ようやく表情を崩した。
「ふぅん……田中君は田中君で、いろいろと思うことはあったんねぇ……」
「ただ、話を聞いていると、俺より皆のほうが大変だったような気が今はしている」
「そういうの、どっちが大変とか比較するもんじゃないからいいんじゃない? 気にしなくても……でも、田中君て雰囲気、すごく変わったと思わん? 皆は思わんかった?」
雰囲気が?
ユウの問いかけに、ナオが苦笑しながら口を開く。
「そりゃ、大人になったいうことじゃろ」
リョウタも、それに同意をするように笑うも、彼は少し違うことを言った。
「子供の頃、悪ガキだった分、おとなしゅうなったいうこと」
悪ガキ……悪ガキか、そうか。
そう言われても、仕方ないことをしていたかも。
カホが俺を見て、言う。
「悪ガキって言うより、男子の中心って感じだったよ、あの頃は。でも今は、物静かな大人って感じ」
「そう、そうよね? 活発でいつもグイグイと先頭を走ってたイメージがある」
ユウが言い、彼女は俺をまじまじと眺めて続ける。
「わたしは文学少女だったけぇ、まったく話しかけたことがなかったし、話しかけられたこともなかった。でも、ヒカル君経由で何かの作業をした程度の記憶」
ユウとヒカルと、俺で何かの作業をしたっけ?
「覚えてない? パズルを作る宿題……三年生の時に一緒の班でしたじゃろ?」
三年生の時……一年からずっと一クラスだったから……思い出した。
「ヒカルの家の三毛猫を、ヒカルが描いて、それをパズルにした。夏休みの宿題……班で出した」
「そう。あの時、わたしとヒカル君、田中君、ヨリちゃんの四人。わたしは絵を木材にはりつけて……切り分けたのが田中君で、カッターで指を切って騒いでた」
言われて思い出したけど、たしかにそういうことをした。
ユウはそこで少し笑い、続ける。
「だから、田中君だと言われても、雰囲気が変わりすぎて違和感しかない……ただ、それくらい……なんというか、あの田中君がこう変わるくらいにいろいろとあったんかなぁとちょっと思うと、わたしはなんだか怒れないかな」
彼女はそこで、ナオのグラスをとるとおかわりを作る。
ユウに言われて、ひとつ、思うことがある。
たしかに俺は、あのこと以来、周囲の中で自分を出さないように生きてきた。
子供の頃の記憶……転校してからの記憶がほとんどないのは、そうだからかもしれない。
断片的な記憶……短い動画のような場面ごとの記憶でさえ、大学に入るまではほとんどない。
存在を消したように、ただそこにいたように、俺は生きてきたような気がする。
リョウタが、俺を見て口を開く。
「今日、来たんはユウの話、お前はきっと知りたがると思うたから」
「わたしの話?」
ユウがグラスをナオに返しながら問い、次にカホのグラスを受け取った。
彼女がハイボールを作る作業を眺めていると、リョウタが言う。
「ユウ、ヒカルが山田先生と一緒に下校してたのを見てたんだよ」
え?
俺がユウを見ると、彼女は俺のグラスをとり、おかわりを作ってくれながら口を開く。
「わたしが見たんは、もっと前よ? 八月とか九月とか……事件とは関係ない思うてたけど、いつだったか……リョウタとカズキがここに来て、通ってくれるうちに……ヒカル君の話になったことがあった」
彼らもまた、集まると当時の話をすることがあったのかと思い喉を鳴らした。
彼女から、グラスを受け取る。
「その時に、今思えばっていう感じで、話したんよ。それが重要になったん?」
「ううん、重要になったかどうかっていうより、当時のこと……みんなが持っている断片的なことを確認したいの」
ミノリはそう言うと、ユウにグラスを差し出しながら続ける。
「おかわり、なんでかっていうとね? わたしも警察に話していないことあるの。それって、夏の出来事で、事件に関係ないからだって思ってた。でも、田中君から、みんなそれぞれに関係ないと思って言っていないことや、その時は忘れていたけど思い出した時には言えない状況だったってことがあるんじゃないかって言われて、たしかにそれはあるだろうなって」
「ふぅん……でも、わたしの場合は事件の前だし」
ミノリはここで、自分の経験を口にする。
「わたし、塾からの帰りに新開を抜けて帰ってて、大人とヒカル君が歩いてるのを後ろから見たのよ」
「どうしてヒカル君てわかるの? 後ろからなのに」
俺と同じ質問をしたのはカホで、リョウタは違うことを言う。
「なんだ、さっきは聞き役に徹してただけか」
「そ……みんなが話してくれてたから……で、キーホルダーでわかった」
「ああ、ミィちゃん? 可愛いかったよね?」
ユウがすぐに思い出したというように言い、カホもそれで納得したようだ。
「ユウちゃん、山田先生とヒカル君が歩いていたのって、新開?」
「ううん、わたしの家の前」
ユウの家?
もちろん、当時の彼女の家……まったくわからない。
「神社の近く……今もそこ。通勤二分、うらやましい?」
うらやましいよりも、その神社が気になる。
グーグルで調べると、ここからすぐの場所にいくつも神社が出てきた……こうしてみると、尾道は神社やお寺がたくさんある。ここから一番近い場所にあるのは、井戸の神様と子供の頃に呼んでいた神社で、社というよりも祠に近く、井戸に祠が併設された小さな神社だ。
「これ?」
俺が画面を見せて尋ねると、ユウは俺からスマートフォンを取り上げ、操作して返してくれた。
八坂神社・厳島神社、とマップには表示されている。
俺の画面をのぞき込んだカホが、「へぇ」と言って続ける。
「正式名称、初めて知った。八坂神社と厳島神社なんだ、ここ」
「ね、意外」
ユウはそう言い、その神社の前で見たと続けた。
「わたしは習字を習ってて、ここまで帰って来た時に何度か……夜にね」
「夜まで、どこにおったん? ヒカル」
ナオの疑問は、当然のものだ。
リョウタが、「さぁ」と首を傾げながら口を開く。
「習い事? 何かしてたんかな?」
「絵」
短く答えたのは、ミノリだった。
「絵?」
俺の問いに、彼女は頷く。
「絵、金子先生に教わってた」
カホが、ミノリの発言を補足する。
「マナミも一緒に習ってたね……マナミ、図工部で金子先生が顧問だったし、中学にあがって美術部に入ってからも、金子先生に個人的に習ってた」
ここで、ユウが思い出したという顔で続く。
「そうそう! ヒカル君、金子先生にすごく目をかけられてたよね。図工準備室の奥の教材倉庫、自由に使っていいって、鍵まで預かっとったの覚えてるわ。たしかに、ヒカル君の絵、すごかったもん」
カホとユウの補足で、ヒカルが放課後に絵を描いていたことはわかったが、ミノリは「でも、わからない」と言い、こう続けた。
「そんなに遅くまで、学校でやらないでしょ? 習字、終わるの何時?」
「七時半とかかな?」
即答したユウが、続ける。
「わたしは六時半に教室に入って、七時半に帰った。家まで五分くらい」
「わたしらのミニバスも、そんなに遅くまでしなかったよね?」
カホに同意を求められ、頷くも居心地はよくない。
俺はカホほど熱心じゃなかったし、漫画の影響でバスケを始めた程度だった。だから遅くまで練習することもなかったし、練習をさぼって遊んでいたこともあったから……。
そういえば、と思いカホを見た。
「今も、酒屋なの?」
「え? そうだよ。わたしで三代目」
「継いでるの?」
「そうだよ」
ニコリとして、ハイボールを飲んだカホの横顔と、こちらを見るミノリを見て、俺は自分が彼らから相当に離れていたんだと改めて自覚した。
いや、もしかしたら……彼らは過去のせいで、今でも会える関係性になっているのではないかと想像する。
あの時の四小の子たち、と周囲から見られることで、彼らは彼らでまとまっていたんじゃないかと思えたのだ。
当然、そこに俺はいない。
逃げたんだから……逃げたと思われても、しょうがない。
「尾道に残っとるのって、あとはカズキ?」
リョウタの問いで話題がかわり、ナオが同意を示す。
「じゃね。いや、コウスケもおるけど」
「あいつはムリじゃろ。ヒカルの件を持ち出されること自体を面倒がるから」
カホがそこで、口を開いた。
「……あの時、ヒカル君がいなくなって、イチが引っ越して、残ったわたしらも割れたから」
ユウが頷き、ハイボールを飲む。
割れた?
俺の顔に、疑問が出ていたらしく、ミノリが答える。
「四小だったことを忘れたい人、なかったことにした人、もとからそんなに気にしない人は、わたしらが声をかけたらきっと嫌がる。三十人のうち、十人弱はそんな感じ」
三十二人で一クラスだった。
そこから二人がいなくなったのか。
ヒカルと、俺。
「あ、LINEきた」
ミノリが言い、続ける。
「マナミに、絵の指導って何時まで受けてた? て聞いたら、六時まで残ることはあっても、ほとんどは五時までだって。そりゃそうよね。学校の先生なんだから」
「じゃ、ヒカルは十九時過ぎまで、どこで何をしてたん?」
リョウタの問いに、ナオが口を開くも別のことを言う。
「ヒカルは絵の指導の後、山田先生と一緒だった……それは、けっこう頻繁にあることだった。だから、あの時も二人は一緒にいた」
彼は言い、さらに続ける。
「山田先生、俺たちと接点あったか?」
「担任とかそういうのではなかったけどな」
リョウタが答え、俺たちに同意を求めるように見た。
たしかに、何かを習ったという記憶はないが、何かしらの行事の際には当然ながら接することがあったと思う。
「あの先生、キモかった」
ユウの発言で、ミノリもカホも賛成というように顔をしかめた。
「キモかった?」
オウム返しをした俺に、ミノリが答える。
「女子をね、じろじろと見るの。当時は、何をジロジロと思っていたけど、今思えば、あれは危ない目だわ」
「ね? 今なら事件。ニュースになってる」
カホが続き、さらに言う。
「ヒカル君、かわいい顔だったから、気に入られたんじゃないん?」
「男子だぞ、ヒカ……」
リョウタが言葉を止めた。
言ったカホも、固まった。
誰もが、同じことを考えた。
大人になった俺たちは、この種の思い込みは間違うことがあると承知している。
性の対象として見るのは異性。
そうじゃない場合も、あると今の俺たちはよくわかっている。
「考えすぎでしょ?」
ミノリがわざとらしく明るく言い、話題を変えるべく続けた。
「ナオ君、悪いけどキノ君に連絡してくれない? 田中君が会いたがってるって」
「……いいけど、俺が殴られそうになったら諦めるけぇ」
笑えない冗談だ……。
「リョウタ君は、カズキ君に連絡をとってくれない?」
ミノリのお願いを、彼は頷きで承知を示した。
「わたし、チヒロちゃんに声をかけてみようか?」
ユウの申し出に、ミノリが笑顔で頷く。
「わたしは、親父にヒカル君とお母さんのこと、それとなく聞いてみるわ」
カホが言い、たしかに彼女の父親であれば、子供だった俺たちでは知りえなかったことを知っているかもしれないと期待した。
この新開で、祖父の代から酒屋をしている彼女の家は、周辺の店にお酒を卸している。だから、当時のことも大人の目線で見ていただろうし、お母さんと仕事のつながりがあったかもしれない。
そういえば……。
「ヒカルのお母さん、今もお店やってる?」
俺の質問に、カホが首を左右に振った。
「あの後……イチが引っ越した後、ヒカルのお母さんも引っ越した。お店も、誰かに譲ったのかどうかわからないけど、今は大きな資本が建物ごと買って、観光客向けに商売してる……うちを無視して大手からお酒を仕入れてるからムカつく」
彼女はそう言って、ハイボールを飲み干した。
「田中君は、連絡つくようにしてて。繋がったら教えるから」
ミノリの言葉。
「本当に、ありがとう」
俺はカウンターに両手をつけて、深く頭を下げた。
五月四日。
朝、起きたら頭痛がしたので、起きずにいた。
風邪というより、昨日まで張っていたものが切れたようだった。
昨日、自覚はなかったがよっぽど疲れていたのかもしれない。
ただ、寝ている間に、当時のことを整理することができた。
時系列で、起きたことと同級生たちの目撃情報を並べてみる。
二十五年前の八月、夏休み中に、ミノリが英語塾からの帰宅中、新開でヒカルと大人が一緒だったところを見ている。彼女は、大人は後ろ姿で誰かはわからなかったが、見たことあるような気がしたらしい。そして、よくないものを見たように感じて、誰にも言っていなかった。
もう一つ。八月から九月、正確な日にちはわからないがユウが神社の前で、ヒカルと山田先生が一緒に歩いているのを見ている。この神社は、学校から新開に向かうなら必ず前を通る立地なので、二人は新開のほうに歩いていたと考えてほぼ間違いないだろう。
ヒカルの家は……市役所の北側の……久保二丁目と一丁目の境のあたりにあったから、道順としても無理はないように感じる。
これらの情報は、当時の彼女たちは他人に話すことはなかった。もし、話したとしてもその相手はおそらくヒカル本人だろう。
「昨日、山田先生と一緒にいたね」
こんな感じで話題になった可能性はあるが、子供にとってはそこまで気にすることじゃないだろうと思う。
そして、ヒカルはマナミと一緒に金子先生から絵を習っていた。遅くなるとしても、午後六時には終わっていたとわかった。
これらの前情報があって……俺の目撃情報。
あの日、皆もその日付を口にするのを控えていたけど、十一月七日だった。これは、調べたくもなかったけど、スマートフォンで検索し条件を絞っていくと割り出せた。
二〇〇〇年十一月七日。
時間は……授業が終わって、残って遊んでいたから……時計など気にしていなかったので見ていないが、午後四時は過ぎていたと思う。そして、まだ暗くなる前だったから、午後五時にはなっていなかったと思う……俺は、焼却炉にいた二人を校舎裏から見た……。
なんだろう?
ちょっと、ひっかかるものがある。
もちろん、俺の見間違いとかそういうものじゃない。あの時、俺は確かにヒカルと山田先生が前後に並んで階段をあがっていくところを見た。
ヒカルが前を歩き、山田先生が後ろを。
それから、俺はナオに呼ばれて教室に戻った。
なんだろう?
何かを、忘れているような気がするけど思い出せない。
焼却炉……いや、違うような……わからない。
気持ち悪い感覚。
「イチ、まだ起きんの? 八時過ぎよ」
おふくろがドアの前から声をかけてきたので、「ああ」と答えてベッドから起き上がる。
ドアを開けると、おふくろが少し驚いた顔で言う。
「どうしたん? 具合悪いん?」
「頭いたい」
「おかゆにする? 薬あるけ、飲んどき」
母屋のダイニングへ入ると、親父がお茶を飲みながら煙草を吸っていた。
この家では、分煙というルールはないのだとおかしく思う。
「頭いたい言うとるわ」
おふくろが言うと、親父が煙草をくわえたまま言う。
「お前、熱はかれ」
親父はテーブル脇の棚から、体温計を差し出してきた。
脇に挟み、おかゆが運ばれてくるのを待つ。それからピピピという音で体温計を見ると、三十六度九分という微妙な体温だった。
「熱はないみたい。おかゆ食べて薬飲んでおくわ」
「おお、夜は鮨にしようかと思うとるけ、治せ」
「治す」
鮨を食べられると思うと、なんとか治したいと前向きになるから不思議だ。
おかゆを食べて、薬を飲み、部屋に戻って寝ているとずいぶんと楽になった。
鮨効果かと思うと、一人で笑っていた。
それから、スマートフォンを操作して、アプリに当時のことを時系列にメモとして残しておく。
そこで、今朝の違和感……二人を焼却炉のあたりで見た時のことを思い描いていた際、ひっかかるものを感じたことも残しておいた。
午後十二時過ぎに、昼ご飯のことをおふくろが聞きにきた時には、体調はよくなっている。
母屋に入り、昼飯のうどんを前に箸を掴み親父に尋ねた。
「鮨、何時?」
すでにうどんを食べ終えていた親父が、時計を見て答える。
「六時……にしようか。ええか? 母さん」
「ええよ。六時だから、ここを五時半に出にゃいけんね」
「遠くなん?」
移動で三十分となると、それなりの距離だと思い尋ねるとおふくろがキッチンから俺を見た。
「鞆でね、お母さんの知り合いがお店をしょうるんよ。そこで」
「へぇ? 知らんかったわ」
答えたところで、親父が笑う。
何がおかしいのかと思うと、俺の顔を見た親父が言う。
「ようやく、方言がとれてきとる」
「方言?」
「なんとかだからさ、とか、なんとかだよ、とかいうやつよ」
……逆だろ。
「こっちにいると、広島弁が少しずつ戻ってくる」
「こっちからしたら、向こうが東京弁じゃ」
なるほど……それは確かにそうかもしれない。
ただ、俺は東京にもう十七年も暮らしていて、もうすぐ、東京暮らしのほうが長くなる。それに向こうでは、方言で話す相手がいない。こういう時、関西出身の人は周囲と関西弁で話せていいなと思えた。
広島弁はいつの間にか、使わなくなり、今ではイントネーションが多少、標準語と違う程度しか残っていないと自分では思う。
親父にしてみると、これは残念な気持ちなのかもしれないと思うと、昨日の飲み会に思考は繋がった。
皆、方言はあれどもかなり標準語に近い話し方だ。
世の流れ的に標準語に触れる機会が多いということもあるだろうけど、俺に気を遣ってくれたのではないかと思うと、まだ俺はお客なんだと疎外感を覚えた。
あの事件がなかったら、俺はもしかしたら、まだ尾道に住んでいたのかもしれないと思った。
東京の大学を受験することにこだわったのも、なるべく離れたいという気持ちがあったのは否めない。
うどんを食べ終え、器をキッチンに運ぶとおふくろが受け取る。実家では当たり前に、家事はおふくろがするものだという認識で、時代錯誤だよなと苦笑していると笑われた。
「あんた、笑った顔がお父さんそっくりじゃわ」
「そお? なるべく笑わんようにせんと」
「おい! 鮨を食わさんど」
冗談に冗談を返され、笑いながら部屋へ戻ろうかと思ったが、気が変わった。
体調も戻ったし、夕方まで四小と裏山に行こうと思ったのだ。
「親父、ごめん、車貸して」
「ええけど、五時くらいには帰れよ」
「わかっとる」
答えて、玄関の靴箱の上に置かれた軽自動車の鍵をつかみ、靴を履く。そして部屋に戻り、外出用の服に着替えてから、庭に出た。
運転席に座り、エンジンをかけたところで少し迷った。
一人で行くよりも、二人のほうがいいかもしれない。
スマートフォンを持ち、ミノリにLINEを送る。
『四小にもう一度、行こうと思う』
『四小から裏山に行ってみようと思う』
『今日はまだこっちなら、一緒に行かないか』
数秒で既読になり、返信がきた。
『家に迎えに来て。変わってない』
……。
彼女の家? えっと……どこだっけ? 行ったことないと思うんだよな。いや、どうだろ? 覚えてない……。
『ごめん。家、どこ?』
送信すると、すぐに返信があり、尾崎本町の住所が書かれていた。
地図アプリで検索し、示された場所を見て思い出す。
「あ……」
行ったこと、一度だけある。
でもそれは、思い出したくない事件のせいで、忘れたことになっていたのかもしれない。
ヒカルが行方不明となって、警察の捜査が始まって、俺たちは順番に話を聞かれた。
そして、その聞き取りが行われた日は、保護者説明会が夕方に開かれることになり、俺たちは早めに帰宅させられたのだ。
班ごとに、集まって帰った。その時、俺とミノリは最後の二人で、先に彼女の家に到着した。そこでミノリのお母さんに誘われて、家に上げてもらってお菓子を食べた……。
そうだ。
そうだった。
あの当時、同じ班だったのは俺、ミノリ、それから……ナオとマナミ……あと一人、誰だっけ?
ミノリだったら、覚えているかもしれない。
俺は、アクセルを踏んだ。




