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同窓会

 五月三日。

 俺はまた尾道に帰って来ていた。

 親父は気味悪がり、おふくろは家事がめんどくさいと愚痴を言い、だけど二人の様子を見ると、喜んでくれているのはわかっている。

 これまで、正月くらいしか帰省していなかったけど、連休の時はたまに帰ったほうがいいのかもしれないと思いながら、靴をはいた。

「じゃ、出て来るから。今晩は飯はいいから」

 キッチンから、母親が顔をのぞかせた。

「はいはい、お茶漬け食べたいならご飯を残しておくよ」

「食べるかも」

「はいはい」

 玄関を出て、松永駅まで歩く。

 帰りは、タクシーをつかまえるしかないだろう。

 スマートフォンが振動し、画面を見るとミノリからのメッセージだった。

「殴られてもいいように、気合いをいれてきて」

 冗談も、冗談には読めなかった。

 電車は……運よくあと五分ほどでくる。

 都内に馴れていると、地方での電車移動に困ることがあるけれど、今日は待ちが少なくて助かった。

 四両編成の電車がホームに入ってきて、俺は先頭車両に乗った。

 岡山発糸崎行の下り電車だ。

 東尾道駅あたりは、山と住宅地しかないが、尾道駅に近づくにつれて、風景がレトロ感満載になっていく。南の方向には、夕暮れの尾道が広がっていた。細い路地、商店街のアーケード、密集した住居、その向こうの海……俺が逃げてきた風景なのに、なぜかとても気持ちが落ち着く。

 尾道駅の南口改札から出ると、正面は開けていてロータリーがあり、公園に続き、海が見える。

 俺はロータリーを通過して、海岸通りへと出た。右手に海を眺めながら、市役所のほうへと歩く。

 夕暮れの尾道水道と、対岸の向島が一望できる場所だというのに、店に近づくにつれて気が重くなり、景色を見る余裕がなくなった。

 金子先生の定年祝い兼同窓会まで、あと二十分ほど。

 ミノリは、幹事なので先に入って受付をしているはずだ。

 早く着くよりも、ギリギリのほうがいいだろうと自分都合の解釈をして、海の見える公園に置かれたベンチに腰掛ける。

 ポケットを探り、癖でタバコを吸おうとしていた自分に苦笑した。

 禁煙外来のおかげで、禁煙四か月目だが癖が抜けないのは仕方ない。

 ワイヤレスイヤホンをつけて、スマートフォンを操作してプレイリストを再生する。

 二曲ほど聴き、腕時計を見ると、十七時五十五分。

 そろそろいいだろう。

 公園から出て海岸通りを東へ歩き、指定された居酒屋のドアを開けた。

 緊張と、不安で、鼓動が早い。

 店に入ると、店員が近づいてくる。

「いらっしゃいませ」

「あの、尾道第四小学校の会で」

「お二階になります、どうぞぉ」

 入口付近にある階段を示され、上にあがる。

 古い倉庫だった建物を、和風居酒屋に改装した店内だった。

 二階にあがると、ミノリが受付にいて、その隣の女性……誰だかわからない。

 女性も、俺を見て誰だろうという顔だ。

 ミノリが、わざとらしいほど大きな声で、俺を名前を呼んだ。

「田中君! よく来たね!」

 二階にいた人たち……二十五年ぶりに会う昔の同級生たちは、まったく誰だかわからない。しかし誰もが、驚いた顔の後に、それぞれの感情を顔に表す。

「お前、田中!? イチか!? お前、イチかよ!」

 歩み寄ってきた大柄な男……誰だかわからない相手に胸倉をつかまれた瞬間、ミノリの隣にいた女性が、その男の手を掴んだ。

「キノ君、やめて」

 キノ? 木下守きのしたまもるか?

「やめん! ぶっ殺す!」

 ミノリが「ダメ!」と叫ぶと同時に、俺はキノの拳を左頬にくらって吹っ飛ぶ。壁で背中を強打し、痛みと苦しさで呻いた。

 キノが、俺の髪を掴んだ。

 俺は、何か言おうとしたが、唇を切った痛みで口を閉じる。

「やめなさい」

 落ち着いた声は、金子先生だとわかった。

 二階の奥から、初老の男性――金子先生が歩いてきて、俺を助け起こしてくれる。

 誰もが、俺を見ていた。

「田中君、来てくれてありがとうな」

 金子先生の声と言葉で、俺はどうしてか、涙を流していた。




 金子先生のお祝いに集まった同級生は、男五人と女五人の合計十人だった。

 だが、キノは俺を殴った後に帰ってしまった。

「こいつが来るって知っとったら、来とらん! 帰る!」

 それで、金子先生と同級生九人で、定年祝いを続けることになった。 

 コース料理が届き、酒を飲み、皆が昔話をして楽しむ横で俺は一人、罪悪感と後悔を抱えてハイボールを飲んでいた。

 円卓なのに、俺の左右は俺を見ない。

 誰もが、何かを言いたいのに、我慢している空気の中で、せっかくの場を壊した原因たる俺は……でしゃばるでもなく、ただ皆の会話を邪魔しないようにしていた。

 話が聞けなかったら……お前は何がしたかったんだよ? 殴られただけか?

 自分に問うも、きっかけがない。

 ミノリに連絡をした時の勇気も、キノに殴られて消えてしまったのかと自分が情けなかった。

「ハイボール、おかわりする?」

 ミノリの問いに、思わず「ああ」と答えていた。

 全員の視線が、俺に集まる。

 俺の右隣に座っていたミノリが、店員に声をかけている時、左隣の女性が俺に尋ねた。

「わたしのこと覚えてる?」

「ごめん、ぜんぜんわからない」

 その女性はニコリを笑うと、気にしていないというように言う。

「マナミって、言えばわかる?」

 マナミ……飯島真奈美いいじままなみか! 

「飯島さんか」

 驚いた俺に、彼女は頷く。

「そう。今は結婚して福島ふくしま。田中君……あの頃と同じイチ君でいい?」

「え? うん、どうぞ」

 ぐいぐいとこられて動揺していると、彼女が俺の顔をのぞきこむ。

「どうして、ミノリがイチ君を呼べたの? 東京で二人、もしかして付き合ってんの?」

「ちがう!」

 俺が答えるよりも早く、ミノリが叫んでいた。

 彼女は、注文を終えて俺を指さす。

「この人、勇気を振り絞ってわたしに連絡してきた。あの時、転校したことで逃げたみたいになった……自分がヒカル君に声をかけていたらあんな事は起きなかったかもって」

 一同が、俺を見ていた。

 金子先生が、ビールをちびりと飲んで、頷くと口を開く。

「実は、佐野さんに相談されてたんだ。彼を呼ぶこと……」

 皆が、金子先生を見た。

「悩んだ……彼が来たら、きっとあのことの話になるだろうと思ったから」

 先生はそう言うと、スズキの刺身を口に入れ、味わうように食べる。誰もが、先生の言葉を待つように動かない。

 それは、ここにいる全員が今日、俺の登場で予感していたことを、先生が口にしたからだ。

「当時のことを……今でもよく覚えている。私は、だから田中君のことを佐野さんから聞いて、最初は断ったんだ。だけど……私は思えばちゃんと話せてないと思って……田中君のためにも、皆と会ってもらおうと思った」

 先生は、ビールを飲む。

 空となったグラスに、ミノリがビールを注いだ。

「おっと……悪いね。実は、これは誰にも話していないことだけど、田中君の引っ越しは、先生と田中君のご両親で、相談した結果なんだよ」

 え?

 皆の視線が、俺に集まる。

「あの時、田中君は悪戯したというレッテルをはられた……嘘をついたとね……どうして、そうなっていったのか、いろいろと複雑で、話すのが難しいことの積み重なりなんだけども……そうなった。同時に、田中君のご家族も、マスコミの取材や、近所の白い目や……今となれば、君たちもわかるだろう?」

 金子先生が、参加者全員を見る。

 佐野美乃梨は……ミノリは、俺を見て頷く。

 飯島真奈美……絵が好きで、ヒカルとも仲がよかったマナミは、歯をくいしばってテーブルを見ていた。

 土田夏帆……ミニバスで俺と一緒だったカホは、ミノリを見たまま黙ってレモンサワーを飲む。

 小川亮太……リョウタは、刺身のツマを食べながら、空気を誤魔化している。

 本庄絵里……エリは、その隣の川上朱音……アカネとヒソヒソと話しあった。

 山本直人……ナオは、煙草に火をつけてくゆらせていた。

 佐々木斗真……トウマは、目を細めて俺を見ていた。

 そして、先生が俺を見る。

「でも、それが逆によくないことも生んだのかもしれない。それでも、あの時はとにかく、君を逃がそうと、ご両親と決めたんだ。世の中が、君を壊してしまわないように」

 世の中が、俺を壊す?

 先生の言い方が、妙にリアルで胸に刺さる。

「だけどね、その犠牲になったのは、ここにいない人も含めて、全員だったかもしれないし、結局、田中君も救われていないんじゃないかと……ずっと思っていた」

 金子先生は溜め息を挟んで、話すことを続ける。

「田中君、木下君に殴られたけどね……彼は君が登校していなかった期間、ずっと君が嘘なんて言うわけがないと周りに言っていたし、職員室に来て、私が止めてもずっと言っていた。だから、共犯じゃないかって言われたりもしてね」

「共犯?」

 瞬発的に問うた俺に、先生は頷く。

「君と木下君が、一緒に嘘を考えたってことを、言いだした人たちがいたんだよ」

 俺はあの時、学校への登校を止められていた。

 あの時、キノは俺の知らないところで、俺を庇ってくれていたのか。

「先生、ひとつ、はっきりさせましょう」

 トウマが言い、皆が彼を見た。

 彼は、俺をまっすぐに見て、口を開く。

「お前、嘘をついていたのか、いなかったのか、どっちだ?」

 俺は、迷いなく答える。

「ついていない」

「じゃ、先生は職員室にいたってのはどうなのよ?」

 アカネが間髪いれずに質問し、それをエリが止めるも彼女は引きさがらない。

「あんたが嘘じゃないなら、先生たちが嘘をついていたっていうわけ?」

「実は、それについても話さないといけないことがある」

 金子先生はそう言うと、ビールをぐいっと飲んだ。それは、何かを決めたという意思表示のように見える。

「私はあの時、はっきりと答えた記憶はないんだよ」

「え?」

「どういう?」

「仰っていることがわかりません」

 各々が困惑するなか、先生は俺を見て続ける。

「あの時、私はこう言った……と思う。職員室にいたと思いますが、出入りはあったはずですよ、と」

 職員室にいた、と意味がかなり変わってこないか?

 先生は、記憶をたどるように話をする。

「職員室に誰がいて、誰がいなかったか……正直、確信なんてなかった。あの時は放課後で……私だってずっと職員室にいたわけじゃなかった。雑務をしたり、外に出たり……他の先生たちもきっと同じだったと思う……」

 金子先生はそこで、ビールを手酌で注ぐ。ミノリが慌てて注ごうとしたが、所作で断った先生はまたビールを一気に飲んだ。

「警察から、山田先生は職員室にいたと言っておりますが、彼はいましたか? と質問されたことを覚えている……それに対して、さっきの答え方をしたんだ。他の先生たちも、おそらく似たようなものだったと思う」

「先生、それって!」

 アカネが大きな声を出し、エリに窘められる。

 彼女は、俺と先生を交互に見ていたが、みるみるその目は涙で濡れ始めた。

「先生! それって! 大変な間違いじゃないですか! いたと、いたかもしれないじゃ、全然ちがうじゃないですか! わたしは……わたしはそれを信じて、ずっとイチ君を嘘つきの卑怯者だって思っていたってことですか!?」

「アカネ、ちょっとうるさいよ」

「トウマは黙ってて」

「俺も話したいから、ちょっと静かにして」

 トウマの落ち着いた口調で、アカネはそっぽを向く。

「先生、じゃ田中は嘘をついていなくて、先生たちの話があやしいってことになると、山田先生がヒカルを連れて行ったのは本当なんですか?」

「それはまた、別の話になるだろう。たまたま、山田先生と上田ヒカル君が一緒にいただけかもしれないし、これは田中君には申し訳ないけど、見間違いだったのかもしれない」

「先生、みんな……実はここで、田中君から話があります」

 ミノリの言葉で、先生も含めて全員の視線が俺に集まる。

 俺が話せないでいると、彼女が口を開いた。

「彼、先日……四小に行っているの。それで校舎裏から焼却炉の方向……あの細い階段のところを眺めて、見間違いじゃないって確かめた……それで、わたしに連絡してきた……先生、すみません。利用するような真似して……」

「いや……それはお互い様だ。私だってあの連絡をもらって、いい機会だと思ったんだから」

 金子先生はそう言って薄く笑うと、俺を見た。

 俺は、緊張して震える口を懸命に動かす。

「俺は……俺は、嘘は言っていない。あの日、山田先生とヒカルが、あの階段を登っていくところを見たんだ」




 俺は、法事で実家に戻った時の出来事から説明をした。

 見合いを勧められて、逃げるように外出をして、尾道第四小学校に行ったこと。そこで最初は、避けるように校舎の正面あたりに車を置いていたが、注意をされて端っこに移動させたこと。そして、そのせいで焼却炉を見てしまい、自然と当時のことを思い出したことを。

「だから、確かめたくなって、あの場所に立った。時間はほとんど一緒だったけど、当時は秋だったから、今よりももっと暗かったかもしれない。それでも、陽が暮れて暗くなるような時間じゃなかった……校舎裏から焼却炉は、明るくて、よく見えたんだ」

「あの時、イチは俺が投げた紙飛行機を拾ったんだ」

 ナオが、煙草を灰皿に押し付けて消しながら言う。

「ナオ君、一緒にいたの?」

 エリの問いに、彼は首を横にふりながら答える。

「いや、俺は教室、こいつは校舎裏……俺が上から紙飛行機を投げて、こいつが拾ってた」

「なんでそんなこと?」

 カホの問いに、ナオが苦笑する。

「よくわからん。てか、あの頃って、よくわからんことをするのが楽しかった。イチと」

 そう言って、俺を見て笑ったナオは、「だけど」と続けて表情を消す。

「俺がいた教室からは、なんていうの? 校舎の造りというか、建物の梁? わからんけど、壁みたいなもんが邪魔してて、焼却炉のほうはよく見えんかった。下で、イチが紙飛行機を拾ったのに、止まったまま動かないから、早く持ってけぇ! って叫んだ」

「……言われた」

 俺はそこで、記憶が蘇った。

 たしかに俺はあの時、ナオに早く持って来いと言われて、慌てて教室へと戻るべく走った。だから、その後の山田先生とヒカルのことは見ていなかった。そして、その後はたしか……。

「その後、俺とイチは教室で紙飛行機の改良をしとった。そこにキノが来て、帰ろうって言うから三人で帰った」

 そうだ。

 そうだった。

「俺もいいか?」

 リョウタがそう言い、緑茶ハイを飲み干してから口を開く。

「あの日、裏山で遊んでいたんは俺たち……俺とトウマと、カズキと……カズキは今日は来てないけど。裏山でサバイバルごっこして遊んどったのを、裏爺って呼んどったあの爺さんに見られて、怒鳴られた……で、ヒカルを裏山で見たってあの爺さんがマスコミに話してた……得意げに話してたけど、あれ嘘じゃけぇ」

「それ、誰にも言ってないの?」

 カホの問いに、リョウタが真面目な顔で答える。

「言えるわけがない。ていうか、大人たちが俺たちに聞いてきたか? 裏山で遊んでいたのはヒカル君ですか? そう質問されたら、違います、僕らですって答えたけどな……それに、新聞もテレビも、あの爺さんの話を何度もなんども繰り返して報じてた……あれは嘘ですよって、ガキの頃の俺らが言えるわけないやん……仮に言っても、俺らが嘘つきにされるわ」

「でも、あの爺さんはどうしてそんな嘘をつく? 裏山の、道の途中に住んどった爺さんじゃろ?」

 ナオの問いに、リョウタは頷きながら口を開く。

「そう。どうして嘘をついたんかはわからん。けど、つもりはなくても話が大きくなった可能性はあるかもしれん。爺さんの立場で考えると……子供らが遊んどる、また危ないことをと思うて注意した……それがニュースになっとる子だったかもしれん……取材が来た……何度も同じことを聞かれて、警察にも聞かれて……そのうち行方不明の子を見たんじゃと話が大きくなった」

 無理はない気がする。

「あのさ……」

 エリが、落ち込んだままのアカネの背を撫でながら口を開く。

「なんていうか、当時ってわたしたち、みんなが警察からいろいろと聞かれたね? でもさ……わたしたちが言ったことって、なんにも伝わってなかった気がせん?」

「そりゃ、俺らがガキだったけぇじゃろ」

 トウマが言い、誰もが押し黙った。

 俺は、同意を口にすることをひどく躊躇う。

 俺たちは、子供だったから無視をされたのか?

 嘘つきにしてもいいだろう、と思われたのか?

 この子たちは、そのうち、このことを忘れるだろうと、思われたのか?

「あのう……」

 遠慮がちにしゃべったのは、マナミだった。

「わたし、不思議なことがずっとあって……」

 彼女は、言葉を選ぶように話す。

「えっと……ヒカル君がいなくなって、警察の人たちが探し始めたり、わたし達に会いに来たのって、たしかヒカル君が学校に来なくなって二日か三日後じゃなかった?」

「……そうだ」

 俺は思わず、同意していた。

 ヒカルをあの場所で見た翌日、彼はもう学校に来なかった。

 警察が、やって来たのはその翌日? いや、翌々日だったような気がする。

 彼女は、金子先生を見て口を開く。

「先生、どうしてすぐに警察は動かなかったかご存知ですか?」

 金子先生は短くうなり、腕を組む。それは、どうやって説明したらいいかを探すようだった。

 沈黙を嫌い、ミノリが店員を呼んで各自の飲み物を追加注文する。

 それが届き、俺も三杯目のハイボールに口をつけた時、先生が口を開いた。

「まず……上田ヒカル君が、朝になっても家にいないとお母さんから電話が学校にあったのは、田中君が彼を見た翌日の午前……七時頃だったと思う。私が出た……その日、用事があって早くに学校にいたんだ……それから、私は、お母さんに間違いじゃないのかと質問をし、確かに帰っていないと言われた」

 先生は、そこで記憶をたどるように目を閉じる。

 俺たちは、飲み物を口に運ぶこともやめて続きを待った。

「……それから、教頭先生が職員室に入ってきた。私は教頭先生に、お母さんとの電話がつながったまま声をかけて、相談した。この時、お母さんは大事おおごとになったら困るから、警察への連絡はもう少し待とうかと言って……教頭先生も賛成して、私も同意した」

 先生の話に、マナミが口をはさむ。

「お母さんは、どうして朝になって学校に? 気づかなかったんですか?」

「ヒカルのお母さん、うちの近所のスナックで働いていて、夜が仕事だった」

 カホが先生の替わりに答えて、こう続ける。

「うち、酒屋で新開しんがいの真ん中に住んどった。で、隣の建物の一階に、ヒカルのお母さんがやってたスナックがあった」

 知らなかった。

 そういえば、ヒカルの家に何度か遊びに行った時、彼のお母さんは家にいた。そして、暗くなる前に帰りなさいねと俺に言って、出かけていっていた。

 残されたヒカルと俺はゲームを続け、三毛猫が近くでゴロゴロしていた。そして、夕方になり暗くなってきても、ヒカルのお母さんは帰ってこなかった。俺が帰った後も、きっとヒカルは一人だったんだろう。

 先生が、カホの説明を受けて話を再開する。

「それから、夕方くらいまで先生たちがそれぞれエリアを担当して、登下校で使う道とか、学校の周りを探したんだよ。校長先生と教頭先生が相談してそうしようと決め……皆には自習してもらって……」

 たしかに、そうだった。

 俺たちは、ヒカルは風邪で休みくらいに思っていて、一日自習ということで教室で遊んでいたんだ……。

「夕方になっても上田君は見つからず、これはいよいよまずいとなってお母さんが警察に電話した。ただの家出の可能性もあるからと、近所を見回る程度のことから始まった……学校にまで来て皆に聞き取りを始めたのは、お母さんの電話の二日後だった」

 俺は、当時の記憶をたどる。

 たしかに、数日が経過してから、警察が教室にやって来て、俺たちは出席番号順に別室に呼ばれて、金子先生付き添いで、警察の質問を受けたのだ。

 俺はそこで、答えた。

 山田先生と、ヒカル君が一緒にいたということを。

 その時、警察官二人はメモを取る手を止めて、俺を見た。

 俺は、緊張していた……ものすごく緊張していた。

 君は、どこにいたの? どうして、そこにいたの? 何時何分に見たの? わからないの? 二人はどんな様子だった? その後はどうしたの?

 質問攻めにあい、答えに窮していると金子先生が助けてくれた。

 そんな質問攻めにしたらわかるもんもわからんでしょう、もういいですね? と止めてくれたのを覚えている。

「ここで、最初に戻るけど、田中君の証言があり、山田先生の証言がある。田中君に見られたとされた山田先生だけど、自分は職員室にいたので子供の見間違いでしょうと答えたと覚えている。このタイミングで、さっきの話に出たお爺さんが、裏山でヒカル君を見たと言い、取材が殺到した。連日、ニュースになっていた……学校の電話は鳴りっぱなし……校長先生は教頭先生と教育委員会に行ったり、市役所に行ったり、警察署に行ったり……大変だった」

「わたしたちだって、大変だったんです」

 アカネはまだ、怒っているようだ。

「悪かったね……当時は、みんなが疲れ果てた。警察は裏山を中心に探したけれど、まったく見つからない。事件は風化していった」

「だけど、わたしたちはあの時の子供だと言われ続けました」

 アカネの言葉には、強い念が込められている。

「イチ君はどっかに引っ越して、大学は東京に行って関係なくなったと思うけど、わたしはずっと地元で生きている……どこ中? 小学校は? え? あそこ? 子供がいなくならなかった? 覚えてる覚えてるって、興味深々で話されて、嘘をついた子供は誰だったの? どうなったの? それに答えないでいると、わたしも一緒に嘘をついたと裏で言われて……職場でも。それが理由で、今は三原に住んでる」

 アカネが口を閉じ、グレープサワーを一気飲みした。

 カホが、続く。

「中学の時は四小、三小が一緒のしまなみ中学校にあがるでしょ? そこでもわたしたちは、言われた。田中って誰? て聞いてくる奴もいたよ……わたしはミニバスでイチと一緒だったし、対外試合で他の小学校の子らも知ってたみたいで……高校でも、その時の情報網って繋がってて、けっこう大変だった」

 リョウタが、二人が話し終えてから俺に言う。

「キノは特に、お前を庇っていたから、悪戯の共犯にされてさ。あいつはそれに、暴力で対抗してたから……荒れまくった。今日のあれ、一発で済んだだけマシだと思うぞ」

 俺は何も言えない。

 思えば、ミノリもきっと言わないだけで、同じような経験があったはずだ。

 金子先生が、口を開く。

「思い出したくないことだから……私も避けていた。けど、今日はこうして話せて……よかったかもしれない。だけど、このことはもうこれで――」

「忘れたくありません」

 マナミだった。

「わたしは、ヒカル君と一緒に絵を描いてた……あの青色の作り方、教えてもらってたのを今も覚えてる……一緒に、放課後に残ってたヒカル君に……一緒に帰ろうって誘ったら……あの日、わたしが一緒に帰ろうって誘ったら、ヒカル君は裏山に行かなかったんじゃないかって……考えを消せないんです」

 彼女はそこで、大粒の涙をこぼす。

「わたしも、終わりにしたくないです」

 エリの意思表示に、アカネが驚いたように彼女を見た。

「わたしもアカネと一緒で、イチ君は嘘つきがばれて逃げた卑怯者だって思ってた……でも、そうじゃないって今さらわかって……はいこれで終わりって気持ちの整理がつかんもん」

 マナミが、涙をハンカチでぬぐいながら金子先生を見る。

「先生も、わたし達に個別に絵を教えてくれてたじゃないですか……ううん……わたしよりヒカル君のほうがずっと絵が上手くて、先生もとっても熱心に教えてた……簡単に、もうこれで終わりってできるんですか?」

 金子先生は困った顔をして、空になったビール瓶を掴んで、離した。そして、追加で届いたビール瓶を持とうとしたが、ミノリが先に瓶を持ち先生のグラスに注ぐ。

 嗚咽を始めたマナミの背中を、エリが撫でていた。

「私だって、忘れられないよ、あの子は本当にすばらしい子だった……」

 金子先生は、過去を懐かしむような目を一瞬だけして、すぐに瞬きで消した。

「……私は美大だったんだ……上田君の絵の才能は……青の使い方が独特で、それにあの青は、どうやって出していたんだろう……すばらしかった……でも、私は……忘れたいんだよ、もう。あの事は……申し訳ない」

 先生はそう言うと、ビールをあおるように飲む。

 そして、わざとらしく腕時計を見た。

 午後九時過ぎ。

 先生が、腰を浮かした。

「今度は、明るく飲もう。悪いね、かみさんが車で迎えに来ているから」

「すみません、遅くまで」

 ミノリが立ち上がり、カホも続く。そしてトウマも一緒に立ち上がり、三人は先生を見送りに店の外までついて行った。

「イチ、お前も大変だったんだな?」

 ナオに言われ、思わず泣きそうになる。

 だけど、俺は歯を食いしばって涙をこらえた。年をとって、涙もろくなってしまった自分が情けない……。

「どうする? イチの帰還祝いで、もう一軒いかんか?」

 リョウタの誘いに、即答したのはナオだった。

「行こうや」

「ごめん、わたしらは子供おるし」

「そう、旦那に頼んでると甘やかすだけじゃけ」

 エリとアカネの言葉に、みんなちゃんと親になっているんだなと驚く。

「わたしも無理、ごめん……そもそも涙でぐちゃぐちゃ」

 マナミの言い方に、俺たちは自然と笑うことができた。

 ミノリ達が戻ってきて、ナオが、口を開く。

「イチ帰還祝いで、もう一軒、行ける奴は行こうってなった」

「わるい、俺は奥さんが今、お腹が大きいから」

 トウマ……いい旦那さんなんだな?

「わたしは行ける」

 カホが言い、ミノリに尋ねる。

「行く?」

「え? ああ……うん、じゃ、行こう。ちょっと待ってて。会計すませるから」

 幹事のミノリが、階段を降りていった。


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