ミノリ
東西線が混んでいて、電車の遅延もあって二十時ギリギリに改札を出た。
急いで階段を駆け上がり、JR線への乗り換え口のほうを見て彼女を探すがいない。それから、西武新宿線の改札の方向を見て……いない。
「おい、遅れないでよ」
後ろから声をかけられ、振り向くと佐野美乃梨……ミノリがいた。
「ごめん」
「ったく……呼んだくせに……で、どこで話すの?」
「……近くの居酒屋でいい?」
「いいけど、奢りね?」
二人でさかえ通りへと入り、適当に選んだ居酒屋に入る。
案内された卓に置かれた札のQRコードを読み取り、注文を適当にした。
「生ふたつと、すぐに来るものでいいかな?」
「任せる。あんまり人に聞かれたくないし、中断も嫌だから一度に頼んじゃって」
「わかった」
唐揚げや焼き鳥などを適当に頼み、生ビールを注文した。
「田中君は、まだDHI重工?」
「ん? あ、そう。そっちは?」
「転職して、今は日本重機。下請けに丸投げで仕事らしい仕事できない。おもしろくない」
「大手あるあるだな」
「ほんそれ」
店員が、生ビールとお通しの枝豆を運んできた。
受け取り、軽く乾杯をしてビールを喉に流し込む。
「はぁ……仕事終わりのビールは誰と飲んでも美味しい」
……嫌な言い方だ。
「悪い……だけど、佐野しかいなくて」
「……こう言っちゃなんだけど、田中君があんな嘘をつくような人じゃないってのは、わたしは……わかっていたけどさ――」
すごく責められると思っていたのに、庇うような言葉をかけられて胸が苦しくなった。
ミノリは、枝豆をつまみながら続ける。
「――だけど、わたしたちって子供だったじゃん? それを説明することもできないし」
彼女がここで言葉を止める。
唐揚げ、焼き鳥の盛り合わせが運ばれてきた。
「田中君、唐揚げにレモンかける派? かけちゃうね? で、やっぱりわたしたち……残されたほうも、それなりに苦労したわけよ。田中君が知らないところで」
「俺は……別に佐野たちを置いて逃げた――」
「わかってる……今はね。子供の頃は、ムカついたけど」
「……そうか……いや、俺も俺で……いろいろとあった。でも、ほとんどあの後のこと、覚えてない。妹がさ、いてくれたおかげで……あいつは事件のことなんてわからないくらいに小さかったから、家の中で妹が笑ったり、騒いだりしてくれて……だから親父もおふくろも、俺も大丈夫だったんだよね、たぶん」
彼女は黙ってビールを飲み干すと、二杯目を頼もうと言い、俺にもビールを早く空けろと急かす。
飲み干して、二杯目をスマートフォンで注文した時、佐野がぽつりと言った。
「あの時、わたし……黙っていたことがある」
「黙っていたこと?」
「うん……だけど、事件より前のこと……夏だった」
ミノリは、枝豆を食べて、殻を皿へと捨てながら続ける。
「男の人とヒカル君が、夜、一緒に歩いていた。新開で……新開ってわかる?」
「ああ、わかる。当時、俺たちが住んでた家、新開のはずれだったから。市役所と線路や国道に挟まれた飲み屋街だろ?」
「そう。わたしの塾は市役所の並び……倉庫とかあった辺りにあって、そこから家まで自転車で新開を通っていたんだよ……本当は通るなと親に言われていたけど、抜けたほうが近いから」
彼女はまた枝豆をつまみ、間をおいて話を続けた。
「……で、その時は後ろからだったから、その大人が誰だかわからなかったけど、歩き方というか背丈というか、なんとなく見たことある人だっていう程度の記憶……忘れようとして、忘れられない記憶」
二杯目のビールが到着し、彼女は言葉を止める。
それから、店員が去ってからビールを飲み、一息ついてから続けた。
「……あの当時、ヒカル君のことで警察からいろいろと聞かれたじゃん? みんな……でも、わたしはその時、このことを話さなかった」
俺は唐揚げを箸でつまんだまま、彼女を見ることで発言を待つという意思を伝えた。
ミノリは、ビールをまた飲み、頷くと俺を見た。
「裏山とは関係ないって思っていたし、なんだか、見てはいけないものを見たように感じたから……嫌な感じがした……としか言いようがない。だから黙ってた」
「でも、後ろから見て、どうしてヒカルだとわかった?」
「だって、いつものキーホルダーがランドセルについてた。ペットのミィ……ヒカル君の家で飼ってた三毛猫を、お母さんがデザインした特注のやつ。大きいから目立ったよね、あれ」
つけてた……たしかに。
俺とキノ……キノという当時の友達と二人で、ヒカルの大きなキーホルダーをヘンテコだと笑うと、普段は温厚で優しい彼が本気で怒り、俺とキノは一発ずつ殴られた……三年生の終わりだったか、四年生になりたてだったか……教室が二階から三階にあがったので、四年生の春だ。
「どうしたの?」
考え込んだ俺をみて、彼女が不思議がる。
「思い出した。デカいキーホルダーをからかったら、ぶん殴られた。あれから、ヒカルをキレさせたらダメだと皆で言ってたんだよ」
「あのヒカル君が怒るってことは、あんたらが相当にひどかったんだと思うよ」
……。
二人で唐揚げを食べ、焼き鳥を食べる。
お互いに、話しださない。
ビールを飲んだ時、彼女のグラスが空だと気づいた。
「頼む?」
「店、変えよ。ここ、おいしくない」
「……じゃ、次もご馳走します」
俺は、会計ボタンを押した。
二軒目は、ミノリが選んだ。
個室を指定したあたり、前にも利用したことがあるのかと思った。
「ここ、よく使うの?」
「前にね、婚活で」
「婚活……」
実家での、叔父と伯母の言葉を思い出す。
個室に通されて、彼女がハイボールとポテトサラダ、天ぷら盛り合わせ、漬物などを注文する。店員が注文をとってくれるスタイルは、都内では貴重かもしれない。
「婚活してんだな?」
「悪い?」
「いや、悪くない。俺もこの前、実家で見合いをすすめられた」
「しなよ。田中君なら贅沢をいわなければ相手いるよ。年収、八百万は超えてるでしょ?」
「んなわけない……このお店、いいね、落ち着いていて」
「そう。ここを予約した相手は残念ながらダメだったけど、このお店を知ることができてよかったと思うことにしてる」
ハイボールが届き、彼女が口をつけるのを眺めながら話題を事件に戻した。
「それで、ちょっと相談というか、呼び出した本題……協力してもらえないかと思って」
「どんな?」
「調べたい」
「……事件のことを調べる? もう……二十年以上も前だよ」
俺はハイボールを飲み、グラスを両手で持ったまま、浮かぶ氷を見つめて口を開く。
「俺は……嘘つきじゃないし、悪戯であんなことを言ったわけじゃない。だから、どうしてあの時、俺の悪戯で片付いて、ヒカルは見つかっていなくて……ヒカルはどうしてる? 無事じゃないのは、理解している……だけど、終わったことになっているのが気持ち悪い」
「……今さら、どうして?」
「嫌なんだよ。このまま、ヒカルのことを忘れたことにすること……あの時の、なんとも言えない気持ち悪さ……大人たちの視線や、いろいろとあったことをちょっとしたことで思い出す」
俺は、我慢してきた気持ちを吐き出すように、続ける。
「それにあの時、ヒカルに声をかけていたら、ヒカルは行方不明にならなかったんじゃないかって……それなのに、忘れよう忘れようとしていた自分が、ムカつく……ムカつくんだ」
料理が届き、取り皿にサラダを分けてやると、彼女は少し頷く。
「だけど、何を協力できるの? わたしに? さっきの話を警察にするの? それで何か変わる?」
「俺は、転校したから当時のみんなと繋がっていない。佐野なら、連絡とっている人、いるんじゃないか? 俺、会って話をしたい。あの時の事件に関して、何かを覚えているならそれを聞きたい。だから、繋げてほしいんだ」
「……」
彼女はハイボールを飲み、俺をじっと見た。
それは、こいつは何を今さらという呆れた表情ではなく、試されているような視線。
「ダメかな?」
我慢できずに尋ねると、彼女は頭を振って、ハイボールを飲む。そして、漬物へと箸を伸ばしながら言う。
「当時の担任だった金子先生、四年生の時だけじゃなくて、六年生の時も担任だったの」
……途中でいなくなった俺は、それを知らない。
「その金子先生が定年を迎えるの。そのお祝いとして、同窓生に声をかけてみるよ。でも、集まった時、君がいたら怒って帰る人もいるかも」
「……みんなは、俺が悪戯したと思っているのか?」
「それは……人それぞれだと思う……たぶん。だけど、逃げたとは皆が思ってる」
そうか……いや、そうだろうな。
ミノリもさっき、俺が逃げたと思ってムカついたと言った。そして、今はわかっているよという言い方だったんだ……当然、わかっていない奴もいるはずだ。
俺はため息をついて、レンコンの天ぷらに箸を伸ばしていると、彼女が苦笑しながら口を開く。
「それにさ、今さらみんなに当時のことを聞いてどうなるの? みんな、警察の人にいろいろと聞かれたし、その時に答えてるよ」
「それ……佐野みたいに、話していない人がいるパターンもあるだろ?」
「あ……」
彼女がハイボールのグラスから口を離して、俺を見る。
俺は、レンコンの天ぷらを塩につけて、取り皿に置いて口を開いた。
「あの当時、俺たちは子供だった……佐野も言ったように。例えば今、俺たちが同じ状況だった場合、説明できたことも当時の……子供だった俺たちはできなかった……話さなかったケースはあるんじゃないか? 単純に、質問された時は忘れてたことを、後で思い出した場合だって考えられる」
俺は、事件のことを思い出そうと目を閉じた。
嫌な記憶……なるべく、思い出したくない記憶だけど、そういうものに限って、脳はよく覚えているのだとわかる。
「俺の証言が嘘や悪戯だと言われ始めた頃に、誰かが思い出したことがあったとしても、そいつは怖くて言えないだろ? 俺がそっちの立場なら、黙っていたと思う。それに、もう結論が出ていた……その時には、ヒカルは一人で裏山に入っていって、いなくなったって」
「……絵を描こうと思って、出かけたんだろうっていう説ね。絵が好きだった……よく、瑠璃山の山頂から街と尾道水道を描いていたから……今でも……覚えてる。青色が独特で……ひきつけられるような絵を描いてた……子供ながらに、ヒカル君の絵はすごいなって思ってた」
ミノリはそこで言葉をとめると、溜め息を挟んで続ける。
「でも、夕方にそんなわけないって子供ながらに思ったけど……たしかに、これもわたしは当時、口にしていない」
「そう。だけど、どうしてか当時は、それが事実になっていて、山頂付近を探していた……それに、目撃証言まで出ていた……たしか爺さん……何て呼んでだっけな……とにかく、あの辺に住んでた爺さんが山頂で子供を見たって……でも、それってたしか、クラスの何人かが裏山で遊んでいただけで、ヒカルとはまったく無関係だったはずだ。調べればわかるのに、どうして調べられなかった?」
俺の問いは、彼女に対してのものじゃない。
しかし、彼女はしばらく考え、意を決したようにスマートフォンを操作する。
電話をかけたのだと、わかった。
「あ、もしもし……わたくし、尾道第四小学校の卒業生で、金子先生が担任をしてくださっていた時の生徒なんです。佐野美乃梨と申します。夜分に申し訳ございません。先生はいらっしゃいますか?」
さっきまでと、まったく違い話し方に驚く……そして、こういう時の、行動力は勝てないと思った。
「……あ、先生、ご無沙汰しています。佐野美乃梨です。真奈美の結婚式以来ですね、突然、すみません……はい……実は、ご定年を迎えられるとうかがって……お正月に真奈美と会った時に聞いたんです。それで、いろいろあった六年一組で集まって、お祝いしたいと思ったんです」
彼女は、六年一組と言った。
四年一組だった頃と、顔ぶれは変わっていない。一学年一クラスだったからだ……だから、俺は途中でいなくなっても、彼女たちはその後も、卒業するまで、苦労をしていたのか?
ミノリが言う、俺が知らない苦労をしていたのか?
「はい、ゴールデンウィークに、尾道にいる人だけで集まってと思っています。わたし? 東京から帰りますよ……それで、ひとつご相談があります」
彼女はハイボールを飲む。
俺は、彼女が少し緊張したとわかった。
「実は……田中一郎君を、呼びたいんです」
彼女はそう言い、黙る。
金子先生が、何かを言ったらしい。
佐野美乃梨の表情が、強張った。
「はい」
彼女は短く、それだけ答えた。
再び、彼女は口を閉じる。
沈黙が、長い。
俺は耐えられず、ハイボールを飲んだ。
味、わからない。
ここで、ミノリが明らかに意気消沈した。
「わかりました……ご無理を申してすみません。はい……失礼します。夜分にすみませんでした」
断れたことは、聞かなくてもわかる。
「ごめん、嫌な役目をさせてしまって」
謝罪した俺に、彼女はうなだれたままハイボールを飲む。そして俺を見ないまま、言った。
「田中君は呼ばないほうがいいだろうって……」
「悪かった」
会話がとぎれ、俺たちは黙々とハイボールを飲む。
おかわりをして、運ばれてきた時に、テーブルの上に置かれていたミノリのスマートフォンが振動した。
彼女は出る気がないという表情で画面を見たが、慌てて掴むと俺にディスプレイを見せる。
画面には、金子先生からの着信と表示されていた。
向こうから、かけなおしてきた?
「もしもし、佐野です……いえ、こちらこそ」
素早く操作した彼女は背筋を伸ばしていて、俺も自然と同じ姿勢となった。
「はい……いえ、彼とは大学の時に再会して、これまで連絡はとってはいなかったんですが彼から連絡があったんです」
ミノリの目が、俺を見た。
何を、言われているのだろう?
何を、聞かれているのだろう?
「事件のこと……は、やっぱり話に出ました。山田先生を見たっていうところも」
彼女は俺を見て、頷きながら話をする。
「……いえ、それ以上のことは特に……わたしに、あの時の皆に会いたいんだと言ってきたんです」
金子先生が、彼女に何を話しているのかはわからない。
だけど、彼女が俺の目的をぼかしてくれたのは、はっきりと言えば拒否をされると察したからだと理解した。
「はい。それで、図々しく先生を頼った次第で……」
俺は、応援する気持ちで彼女を見つめた。
「本当ですか? あ……ありがとうございます」
思わず、拳を握っていた。
「はい、はい! 日程はまたお知らせしますが、三日か五日ですね? わかりました。スケジュールはまたご連絡します……先生、本当にありがとうございます……はい、失礼いたします」
電話を終えた彼女は、ひどく疲れて見えた。
「ありがとう」
声をかけると、ミノリは疲れた表情で俺を見る。
「疲れた……なんだか、田中君のことをすごく気にしてたみたい……やっぱり、先生も当時は大変だったから……みんな、逃げ出したいことがひとつくらいはあるんだよ」
俺は何も言えず、苦笑いで誤魔化して、ハイボールを飲んだ。




