法事の日
三月も半ば。
祖父の七回忌。
親父とおふくろがうるさいので、土日を使って実家に帰ってきている。
正月には帰るんだからいいじゃないかと言ったが、ダメだと言われ、両親がこうまで法事にうるさい人だったかと不思議に思った。しかし、実際のところ、集まった伯父や叔母から、そろそろ結婚を、相手がいないならこちらで探して云云という攻勢を受けて理解する。
これは、法事を理由にした見合いのすすめなのだ。
「イチも、もう三十五なんじゃけぇ」
「そろそろ結婚せんと、結婚できんくなるぞ」
従弟たちは苦笑で俺を眺め、妹は旦那さんと笑っている。
独身は、俺だけ……。
放っておいてくれと言いたいが、酒が入った伯父さん叔母さんには勝てない。二人はそれぞれに用意した見合い相手の写真を広げ始め、これはマズいと逃亡を決めた。
「長くなりそうだから、煙草を買ってくる」
嘘の理由をつくり、父親に車を借りた。
煙草……禁煙外来に通って禁煙中だが、逃げ出す理由に使わせてもらった。もちろん、煙草を買ってすぐに戻るわけはない。
車に乗り、しばらく時間がつぶせるカフェはないかと地図アプリで検索し、そこに向かうも駐車場がいっぱいで入れなかった。
車道脇で停車をして、スマートフォンを操作して、プレイリストをランダム再生した。そしてUSBケーブルで車につなげ、アクセルを踏む。
行先など決めていなかったが、自然と車は西に向かった。
二号線をしばらく走ると、左方向にちらちらと海が見え始めた。そして、造船所のクレーンが幾本も空へと突き出している。造船所と山陽本線の線路に挟まれるように伸びる二号線を、俺はしばらく西へと向かった。
前方に、橋が二本並んでかかっているのが見えてきた。
尾道大橋と新尾道大橋。
俺はその下を通過し、子供の頃に暮らしていたエリアに戻ったと感じる。
二号線を西へと向かう俺の左方向には、海ぎりぎりまで建つ家が並び、その裏はすぐに尾道水道と呼ばれる海だ。そして道路の右側は山がすぐに迫り、山肌にはどうやって建てられたのか信じられないほど家々やお寺が連続して建っている。
この風景は、変わらない。
しかし、よく見れば家々は建替えられたとわかる新しいものも混じっていた。
それでも、子供の頃の記憶を刺激するには、十分すぎる。
海側は、家々の隙間から海が見える。そして、海の向こうにはまだ造船所のドックだ。
浄土寺の門が右手に見えたあたりで、俺は自然と通っていた小学校へ向かっていた。
転校するまで、通っていた小学校。
尾道第四小学校だ。
線路のガード下をくぐり、対向車が来ればすれ違うこともできない幅の上り坂を進む。幸い、父の車は軽なので、窮屈さは感じなかった。
大きなカーブをゆっくりと曲がり、上り坂の正面には開かれた門が見える。
俺はまっすぐ車を進め、母校だった小学校のグラウンドへと車を入れた。門が開かれたままになっていた理由は、中に入るとすぐにわかった。
俺が通っていた尾道第四小学校は、廃校となって久しいが、現在は福祉支援センターとして使われていた。市の車が数台、駐車場に停まっている。その横に、来客用と書かれた駐車枠が三台分あったので、そこに車を停めた。
校舎に背を向けて、市街地と海を見渡せる掲揚台へと近づき、台の上に立つ。
尾道の市街地と海、そして向島が一体となった風景は、観光ブックにも紹介されるほどに有名だ。このコンパクトな市街地を、子供の頃はなんとも思わなかったが、大人になってから眺めると、ノスタルジックでしばらく見入っていた。
「あのぅ、センターに用の人?」
後ろから声をかけられ振り返ると、母親くらいの年齢と思われる女性が俺を見ていた。
職員だと、ネームプレートでわかる。
「あ、すみません。……今日、ひさしぶりに……学校のことを思いだしたんで来てみただけです」
「あ、そうねぇ……中に入るわけでもなく、そこにいるから何かな? と思うて」
「お邪魔でしたら、帰ります」
「いやいや、いいんよ。卒業生?」
「いえ、途中で転校して……親が松永のほうに引っ越しまして」
「へぇ? じゃ今はそこなん?」
「ええ、あ、俺は東京なんですが実家は松永です。法事で帰って来ていまして」
女性はいちいち頷いて、俺の話を聞いていたが、ふいに俺の車を指さす。
「ごめんけど、センターに用じゃないなら車をグラウンドの端に停めてくれん? そこは障害者の人が使うこともあるけ」
「あ、わかりました。動かします」
俺は軽に戻り、車を移動させた。その頃には、女性は校舎……現在のセンター内へと戻っている。
車を停めた時、移動したことで俺の視界にそれが入った。
小学校の建物の裏手……焼却炉が、まだあった。
子供の頃、もうすでに使っていなかったが壊されずに残っている。そして、焼却炉の横には、学校裏手に続く細い階段……擁壁の上に続く階段をのぼった先は、裏山と俺たちが呼んでいた瑠璃山へと細い道が伸びている。途中、古い祠を過ぎて左に曲がったあたりから、整備された登山道に繋がる。そしてそれは、そのまま山頂に行くことができるけど、子供の頃は途中でわざと道なき茂みへと出て、山の中を走り回っていた。
懐かしさが、俺を動かしたというよりも、違和感で、俺はそこに向かって歩く。
子供の頃の記憶。
いや、事件の記憶だ。
俺は、その渦中にいた。
俺は、焼却炉の前に立つ。そして、当時、俺がいた場所……校舎裏の広場へと向かう。三月も中盤を過ぎて、だんだんと暖かくなってきているというのに、ゾクりとした背筋で立ち止まった。
ここだ。
ここに、俺は立っていた。
校舎の裏……四年生の教室の下のあたり……児童が減って、俺たちの頃は一学年一クラスだけだった。当時、俺はここで、三階の四年生の教室の窓から、紙飛行機を飛ばすナオを見上げていた。
ナオの紙飛行機は、俺を避けるように西へと飛ぶ。
俺は、当時と同じように、紙飛行機を追うように数歩、歩いた。
そして、地面に落ちた紙飛行機を拾って、立ち上がる。
焼却炉を、正面に俺は立っていた。
距離は、五十メートル……はない。あったとしても三十メートルほどだろう。
小学四年生の秋、俺はここに立っていた。
そして、見ている。
ランドセルを背負ったヒカルが、山田先生と一緒に、焼却炉横の階段をあがっていくところを。
まだ、暗くなる前だった。
見間違えるはずがなかった。
ヒカルは、その後、行方不明になった。
実家へと帰る車中、頭の中は当時のことでいっぱいだった。あやうく赤信号を見落としそうになり、慌ててブレーキを踏む。そして、青信号になっても考え事をしていたせいで、後ろの車から盛大にクラクションを鳴らされ、動揺したまま加速した。
途中、コンビニの駐車場に停める。そして、水を買おうと店内に入った。
会計の時、店員の背後に並ぶ煙草の棚が目に入る。
「あの……四十……」
「四十番の……セブンスターですか?」
「……いえ、やっぱりいいです」
水だけ買い、車に戻る。
小学校四年生の秋、同級生がいなくなった。
それは今も、続いている。
当時、俺は警察に、ヒカルが山田先生と一緒に裏山に歩いて行ったと伝えた。
それは、見たことをそのまま伝えただけで、それがどういう結果につながるなんて、全く考えてもいなかった。
もちろん、子供だった俺はヒカルがすぐに見つかるだろうと思っていた……。
当然、そうなるものだと思っていた。
水を飲む。
飲み込む時、少し胸に響いた。
息を吐き出し、車のエンジンをかけようとしたが誤ってハザードランプを点灯させてしまった。
ハザードを消し、スタートボタンを押す。
静かにエンジンがかかったが、俺はまだアクセルを踏まなかった。
小学四年生の秋、俺は警察に見たことを伝えた。
だけど、その証言からしばらくして、警察は俺を訪ねて家に来た。
そして、こう問われた。
「君は、本当に山田先生をあの日、見たのかな?」
「こういう時、嘘をついたらいけないんだよ」
「本当のことを、話しなさい」
その口調は、優しいものだった。しかしその優しさは、俺を信じるためのものではなく、俺に間違いを認めさせるためのものだったと感じた。
俺は何も言えなくなり、ただ泣くことしかできなかった。
一緒にいた母親が、「ご迷惑をおかけしてすみません」と謝っていたのを、忘れることができない。
後から知ったことだけど、山田先生はその時、職員室にいて裏山には行っていないと話したそうだ。そして複数の教員も、同じ話をしたことで、俺が話したことは子供の勘違い、あるいは悪戯だということで片付けられたのだった。
そして秋から冬へと季節が移る頃には、俺の証言はいつの間にか「悪戯だったらしい」という話で広まっていた。それから、母親は外出を控えるようになり、親父はやけに家にいるようになった。そして、家の外に出ては、煙草をプカプカと吸い、何かを見張っているかのように周囲を睨んでいた。
俺は、学校に行こうとしたが止められて、自宅で母親と勉強をする毎日となる。
クリスマスも、お正月も、まったく楽しくないまま過ぎ去り、年が明けた一月の後半、俺たちは父の実家に引っ越すことになった。
それが今の、実家だ。
学校が変わり、環境が変わった。
思えば、あの頃はまったく楽しくなく、記憶もほとんどない。
あの事件のこと以外、すっぽりと抜けているような気がする。
俺はアクセルをゆっくりと踏み込み、実家へと戻る。
農家だった家の庭は広く、車を適当に停めても問題なかった。
玄関を開けて、靴を脱いだところで奥から笑い声が聞こえてくる。
「おお! イチが戻ったんか!? おい! 逃げんでさっさと来い! 見合いの件、諦めてないぞ!」
伯父さんの声に、皆の笑い声が重なる。
俺は意図的に表情を消し、深呼吸をしてから、皆が集まる居間へと入った。
「お兄ちゃん、お風呂どうぞ」
妹のアスカは、姪のリサを俺へと押し出しながら言った。
実家にいた時に使っていた部屋は、今は帰った時に使う寝床になっている。そのベッドで寝転ぶ俺へと、リサが飛び込んできて「うえ!」と声をあげた。
「イチおじ! スマホ買って」
「可愛い姪に買って、買って」
姪と妹の同時攻撃に、「ボーナス出たら」と答えて部屋から追い出す。俺より歳の離れた妹は、例の事件の当時、まだ幼稚園にも通っていなかった。だから、ほとんど何も知らないはずだ。
そのことに、俺は何度も救われてきた。
着替えを持って、風呂に向かう。古い家なので、俺と妹夫婦の部屋は離れだ。
俺が一階で、妹家族が二階を使っている。
サンダルをはき、母屋へと入った時、親父が煙草を吸っていた。
「イチ、そういえばお前、煙草は? 買いに行ったのに吸ってないな」
「実はやめた。あの時は逃げる口実」
親父が笑い、ビールに口をつける。
その後ろで、おふくろも笑いながら皿を洗っていた。
「おふくろに家事を任せて、自分だけビールって、昭和のダメ親父だな」
「うるさいな、結婚できん奴に言われとうない」
親父の反撃に笑みを返して、廊下へと出て脱衣所に入る。
服を脱ぎながら、自然と頭が切り替わる自覚があった。
風呂に入り、身体を洗ってから、湯船につかった。
考える。
事件のこと、をだ。
親戚が集まっていた時は、話に付き合い誤魔化していたけど、こうして一人でいると、どうしても考えてしまう。
俺は、あの時、見間違っていたのか?
俺が、あの時、ヒカルに声をかけていたら、ヒカルは行方不明にならなかったのか?
ヒカル……苗字は……上田だ。上田ヒカル……絵を描くのが好きで、とても上手かった。休み時間に皆で野球やサッカーをしていても、あいつは絵を描いていた。だけど、スポーツ万能だった。徒競走では、誰も勝てなかった……。
俺があの時、見たのは山田先生じゃなく違う人?
だけど、今日、あの場所に立ってみて、見間違うわけがないと思った。
たしかに、焼却炉から校舎裏の方向を見たというのなら、校舎のせいで陽光が遮られて暗くなっていたから、顔をはっきりと見るというのは難しいだろう。
だけど、逆だったんだ。
校舎裏から焼却炉を見た時、その場所は明るかった。
あの距離で、見間違うわけがない。当時、俺が子供だったとしても、見間違うわけがない。
いや、もしかして俺は、そうしたい願望でこれを考えていないか?
湯で顔を洗い、湯船から出る。
シャワーで冷たい水を浴び、風呂場から出た。
着替えて、ドライヤーで髪を乾かしながら、鏡に映った自分に問う。
お前は、本当に見たのか?
鏡の俺は、答えない。
だけど、俺は自分を信じた。
そして、ヒカルのことを、調べたいと思った。
ヒカルは、まだ見つかっていない。
俺はドライヤーを止め、部屋に戻った。
ベッドの上で、スマートフォンを持つ。
調べるには、協力者が必要だとわかっていた。なぜなら、俺は四年生の冬に転校している。尾道第四小学校の学区と、実家があるこの松永は、そもそも市が違う。あちらは尾道市、こちらは福山市……俺は中学、高校と福山市内の学校に通い、大学は東京に出た。
だから、あの時の同級生たちとは、それ以降、まったく会っていない。
意図的に、会わないようにしていたのだ。
しかし、大学三年生の時に変化が生じた。
佐野美乃梨。
彼女とは……大学のゼミで再会した。
再会した時、お互いに同級生だったことなどわかるはずもなかった。だけど、ゼミの自己紹介の時に、俺が名乗り、彼女の表情が変わった。
そして、彼女が名乗る番で、俺は表情を硬くした。
容姿はそれぞれ、子供の頃とは違うので見ただけではわからなかったが、お互いに、名前を忘れていなかったのだ。
親睦会で、自然と確かめ合うかのように隣に座った。
先に、口を開いたのは彼女だ。
「田中一郎君て、四小にいた? 尾道に子供の頃、住んでなかった?」
「……うん、住んでた。佐野美乃梨さんて……四年の時、席が隣だった?」
彼女は、ビールを一気飲みして、頷いた。
複雑なのは、普通は同郷で、しかも同じ小学校だったとわかれば、話が盛り上がるものだが、俺たちの会話は、そこで止まった。
自然と、事件のことを話してしまうのが、嫌だったから。
俺も、話したくない。
彼女も、話したくないし、聞きたくもない。
あの時は、それでよかった。ゼミでは、お前らはなんで仲が悪いのかとか、実は付き合っているのかと周囲から言われたが、よそよそしさというか、意図的に避けあったのは、事件のことから離れたかったからだ。
でも、今となっては、彼女にお願いするしかない。
四年生の……事件があった時、学級委員をしていたし、男子女子問わずに人気があった。
明るくて、クラスの中心だった。
彼女以外の、当時の同級生たちの連絡先を知らない。
佐野美乃梨に、協力してもらう必要がある。
どこまで?
どこまでのことを?
……つなげてもらいたい。
当時の同級生たちに、つなげてほしいとお願いしよう。
でも、五年以上も連絡をとっていない……それに、それまでも連絡を頻繁にとっていたわけじゃない。五年前は、ゼミの教授が退官するということで集まり、形式的な挨拶でSNSのアカウントでフォローしあった……けど、DMの画面には『田中一郎です、よろしく』と俺が送信し、それに対して『佐野美乃梨』とだけ返されて、止まっている。
五年前と変わらないなら、都内にいるはずだ。
俺は明日、新幹線で都内に帰る。
あっちで、会って話をしたい。
躊躇いを振り払うように、好きなバンドの曲をスマートフォンで再生して、DMを送る。
『ひさしぶり。話をしたいので会えませんか?』
送信した。
曲がAメロ、Bメロと続き、サビに入った。
メッセージは、既読になった。
曲が終わるまで待つが、反応がない。
どうしようかと思っていると、メッセージが返って来た。
『無理、忙しい。連休も予定がいっぱい』
超絶、拒否。
だけど、俺には他に進む方法がなかった。
『法事で、尾道に帰ってきた』
『たまたま車で四小に行った』
『俺は本当に見間違えていたのかと思って、焼却炉に行った』
『見間違えていなかったと思う』
『確かめたい』
『会って話したい』
『協力してほしい』
連投。
頼む。
拒否らないでくれ。
プレイリストの中の一曲、夜の踊り子が流れ始めた。
返信を待ちながら、曲を聴く。
ヒカルは、どこに行こうとしたんだろう?
返信が、届いた!
『いつ都内に戻る?』
反射的に、身を起こす。
『明日』
短く返すと、すぐに返信がくる。
『明後日 高田馬場早稲田口 二十時』
会ってもらえる。




