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核心に近づく

 六月八日。

 ミノリを迎えに行くと、また彼女のお母さんが玄関まで出て来て、さらにはお父さんまでがわざわざ挨拶をしてくれた。

 ひさしぶり、大きゅうなって、気を付けてと言われて、車を出してすぐに彼女が笑う。

「うちの親、イチ君のお母さんと仲いいから、なんかごめんね」

「いや、よかったよ。安心した」

「安心?」

「俺のせいで、当時の人付き合いが切れてなくて」

 俺は特に重いことを言ったつもりはなかったが、ミノリが俺の肩を拳で軽く殴る。

「なんでも、自分のせいにするの、よくないと思うよ」

 助手席の彼女は、そう言うと窓から外を眺めた。

 車に乗り、新尾道大橋を走り、そのまましまなみ海道を南へと向かう。瀬戸内の島々を通過しながら、今治まで続くこのルートは有名で、日曜日ということもあって交通量は多い。

 生活、観光、ともに皆が使う道路だ。

 レモン畑やみかん畑を眺めながら、車は向島から因島へとかかる因島大橋へと入る。進行方向左右は瀬戸内の海で、島々が点在する光景は他所ではなかなか見られないかもしれない。今でこそ、都内にいるのでこう思うが、子供の頃はありがたくもなんともなかった。

 青い空と、青い海に、島々が映える。

「なんか、やっぱりこういうのを見ると、海の町で育ったんだなって思う」

 ミノリの言葉に、前を向いたまま頷く。

「俺よりも、ミノリのほうが懐かしいだろ?」

「比較するもんじゃないんじゃない?」

 彼女は少し笑うと、スマートフォンを取り出して動画を撮影し始めた。

「インスタにあげよう」

 彼女の言葉に、俺は苦笑する。

 インスタのDM、俺と彼女のやりとりは五年前で止まっていたのが、この件で更新されたからだ。

 車は橋を通過し、因島に入った。景色は再び、青々とした山々が続く。そしてしばらく後、山々がきれて橋が見えてくる。

 生口橋いくちばしは、読み方を知らないとまず読めないだろう。

 この橋を渡ると、国産レモンで有名な生口島で、尾道市瀬戸田町になる。俺が子供の頃は尾道市じゃなかったが、いつだったか、市町村の合併が始まった時期に、瀬戸田も尾道と一緒になったという記憶があった。

 自分たちの市がなくなるというのは、寂しいことだったんじゃないかと口にすると、ミノリが笑う。

「市じゃなくて、郡ね」

「そこを言うかな?」

「豊田郡瀬戸田……国産レモンは、ここが始まりらしいよ」

「知ってる」

「え? 知ってるの?」

「昨日の一軒目、キノとナオといた店のレモンサワーの紹介文に書いてあった」

「なんだ、昨日の情報じゃん。当たり前みたいな言い方して」

 知ってることには違いないんだと反論し、島の北側へと向かう道を選んだ。

 子供の頃……祖父母が健在だったころ、一度だけ、この島の大きなお寺に来たという記憶がある。

 ヒカルのお母さんのご実家は、そのお寺があるあたりから北側の住宅地の中だ。

 コインパーキングに車を停めて、地図アプリを頼りに目的地まで向かう途中、コンビニでトイレを借りた。

「ミノリもトイレは?」

「いちいち聞くな」

 怒られた……が、彼女もトイレに入っていった。

 トイレを借りるだけじゃ悪いと思い、ガムとグミを買う。

 レジに立つ女性の背後、煙草の陳列棚を眺めてしまった。

 喫煙したいという気持ちはなくなったが、コンビニに寄ると癖で煙草の棚を見てしまう……習慣はおそろしいなと改めて感じる。

 店外へと出た時、彼女も出てきた。

 それから再び地図アプリを見ながら歩き、市民会館と観光案内所を右手に見ながら進み、左に登りながら曲がる道へと入る。すると正面にはお地蔵さんの小屋があり、その後ろには擁壁が見えた。擁壁を回り込むように伸びる道を、だらだらと歩くと左手に墓地があり、その反対側には東郷平八郎の記念碑があった。

 地図アプリを見ながら、ミノリが俺に聞く。

「東郷平八郎って誰?」

 俺もわからず、結局はグーグルで検索する。こういう時、若い奴らはAIで調べるが、俺はまだ慣れていない。

「昔の、海軍の偉い人らしい」

「なにそれ……かなり適当じゃん」

 俺はウイキペディアのURLをミノリに送ったが、彼女は地図アプリを起動していて開かなかった。

「あ、こっちの道の先」

 彼女の指さす方向へと曲がり、垣根に囲われた平屋へとたどり着く。ぐるりとまわって表に向かうと、垣根がきれて庭に続き、玄関が正面にあった。

 咳払いして、入ろうとした時、ミノリに止められた。

「わたしが押すよ。画面に映ったのが男の人だったら、警戒して出ないかも」

 なるほど。

 ミノリがカメラ付きインターホンの前に立ち、ボタンを押す。

 ピンポーン、という聞きなれた音の後、しばらく沈黙が続いた。

 表札は、佐々木。

 上田じゃない。

 だけど、住所はここで間違いない。

 引っ越したのだろうか……?

「お留守かな?」

 彼女はそう言いながら、もう一度、インターホンを押す。

 結果は変わらない。

「どちらさん?」

 声をかけられ、視線を転じると、平屋の影から俺たちを女性が見ていた。

 年齢的に、ヒカルの母親とは違う。

 想像していたよりも、もっと若い。それに、おぼろげな記憶だけど、覚えているヒカルのお母さんとは似ても似つかない。

 引っ越してしまったのかと落胆する俺の隣で、ミノリが頭を下げる。

「すみません。こちら、上田さんのお宅とうかがって来たのですが……」

「ああ、上田さんのお知り合い? まだパート先から帰ってないよ」

 思わず拳を握った俺の横で、ミノリも両手をパチンと叩いて音を鳴らしていた。

 女性は草取りをしていたらしく、草を入れた籠を地面に置くと俺たちのほうへと歩いて来る。

「何時頃、お戻りでしょうか?」

 俺が尋ねると、彼女は俺たちが来た道のほうを見ながら口を開いた。

「もうすぐ帰ってくるんじゃないかね? 夜から午前中まで働いとるから。そこのコンビニで」

 そこのコンビニで?

 それって、さっきレジのところにいた女性?

 記憶の中にいるヒカルのお母さんとは、すぐには結びつかなかった。

 二十五年という時間が、人の輪郭まで変えてしまうのだと思った。

「ちょっと、ここで待たせてもらいます」

 ミノリが言い、その女性が頷いた時、垣根のきれたところからコンビニのレジに立っていた女性が姿を見せた。

「あら?」

 その女性が立ち止まる。

 俺たちは、頭を下げた。




「わたしは離婚した時に旧姓に戻してないから」

 ヒカルのお母さん――上田さつきさんは、俺たちに湯呑を差し出してくれながら言った。

 ダイニングテーブルの向かい側に座った彼女は、お茶を少し飲んで続ける。

「ヒカルの同級生が、わたしに何の用?」

「いきなりお邪魔してすみません」

 俺が言い、少し迷ったが続けて話す。

「実は、本当に図々しいことをお願いに来たんです」

 ミノリに話させるわけにはいかない気がして、俺は自分が嫌な役をすることにした。

「三月に、俺は四小に行ったんです……」

 俺はさつきさんに、この発端となった法事の日の出来事から、現在にいたるまでを丁寧に話した。

 当時は、自分たちが子供だったから、説明できないままでうやむやになってしまったことが多いのではないかということも伝える。そして、当時のそれぞれが目撃していた断片的な記憶も、集めてつなげていけばわかってきたこともあると話した。

「そのひとつに、ヒカルは山田先生と何かを話したくて、あの日、二人は一緒に歩いていた。でも、ヒカルは裏山までは行っていなかった……これは、まず間違いないことだと思います」

 さつきさんは湯呑を両手で持ったまま、俺をじっと見つめる。

 俺は、話を続けるか否かと悩み、結局、黙ることを選んだ。

 ミノリが、居心地の悪さを誤魔化すように、膝の上で手を握ったり開いたりとしている。

「あの日、ヒカルは一人で裏山にあがったんじゃないかと言われとったけど、違ういうこと?」

 さつきさんの問いに、俺は小さく頷いた。

「少なくとも、俺たちはそう思っています」

「なんねぇ、それ」

 彼女は投げやりに言ったが、湯呑を持つ手は小刻みに震えていた。

 それは、力が込められているからだとわかる。

「じゃったら! なんであん時に言わんかったんよ! 見つかったかもしれんじゃないの!」

 さつきさんは叫ぶと、湯呑を感情のまま投げた。

 テーブルに叩きつけるつもりだったのだと思う。

 しかし、興奮で手元が狂い、湯呑は俺のほうへ飛んできた。

「うわ!」

 手で顔をかばった俺は、右腕にあたった湯呑の痛みよりも、お茶が顔にかかったことに驚く。熱かったが、火傷を負うほどではなかった。

「だ……大丈夫!?」

 慌てたミノリがハンカチを取り出し、投げた本人であるさつきさんは平謝りだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい。大丈夫?」

「大丈夫です、大丈夫」

 ミノリにハンカチを借りて、顔をふく。

「洗って返す」

「ううん、いい。そのまま返して」

 ハンカチをミノリに返すと、さつきさんが頭を下げた。

「ごめんなさい。わたし、何しようんじゃろ」

「いえ、俺のほうこそ勝手なこと言って……怒られるのは仕方ないことです」

「ごめんなさい」

 さつきさんは何度も頭を下げて謝ると、溜め息をつく。

「もう……諦めたことなんです」

 彼女はそう言い、視線を落とす。

「あの時、わたしがもっと金子先生にくいさがったら、もしかしたら結果は変わったのかもって、ずっと思うとったんじゃけど、もう諦めたことなんです」

 さつきさんが言い、テーブルの上で両手を揉む。

 俺は、彼女の後悔は無理もないと思うも、その苦悩の重さと深さを理解などできない。子供を失った母親の悲しみなど、独身でいい加減な俺がわかるはずがないと思った。そして、俺の行いが彼女を救うなんてこともあり得ないとわかっている。それでも、俺は自分がすることを、やめようとは思わない。

 俺は、口を開く。

「あの、今さら何になるんだというお怒りや苛立ちは甘んじて受けます。ですが、俺はあの時、ヒカルに声をかけていればよかったという後悔をずっとしてます。焼却炉で、ヒカルと山田先生が一緒にいた時、いつものように、『ヒカル、何しよん?』て……『説教されとるんか?』て、声をかけたらヒカルはいなくならなかったのにって思ってます」

 さつきさんは、俺を見ていた。

「俺は……自分のためにこんなことをしてます。今更、お母さんの苦しみや怒りを蒸し返すようなことをしていますけど、どうしても知りたいんですよ。ヒカルはどうして、俺たちの前からいなくなったのか」

 ミノリが何か言おうとしたが、俺は手の動きで彼女を止めた。

 そして、さつきさんをまっすぐに見て、質問をする。

「お母さんなら、わかることもあると思って、どうしても聞きたいことがあるんです」

 彼女は、深呼吸をすると頷いた。

 それを、了承だと理解して尋ねる。

「山田先生とお母さんのことを、ヒカルは知ってたんですよね?

 さつきさんが、答えやすいように選んだ質問。

 彼女は、頷く。

「賛成してくれていましたか?」

 さつきさんは鼻をすすり、口を開く。

「……あの子は、賛成してくれていました」

 そう言ったさつきさんは、視線を手元に落とした。

「あの日、お母さんが朝、ヒカルが家にいないと知り、学校に電話した時、お母さんは警察に連絡するつもりだったんですよね?」

「そう。学校に電話して、金子先生が教室を見てくれた……いなかった。家にもいない。わたしが警察に電話しますと言うたら、金子先生が大事おおごとになるから、一日様子をみましょうと。先生らで近隣を探してみますから言うて」

 彼女はそこで、瞼を閉じてうなだれる。

 そしてうつむいたまま、ひきつるような声を絞り出した。

「わたしは、その日、学校に行った……それで、山田先生に、一緒に帰ってないのかと聞いた。そしたら、帰ってないと。約束が違うじゃない言うて……」

 約束?

「あの、約束って?」

 ミノリの質問に、さつきさんは涙にぬれた顔を俺たちにさらす。

「あの子、絵で遅くなることがあったから……心配だから、山田先生にそういう日は一緒に帰ってやってとお願いしてた」

 俺はミノリを見て、彼女も俺を見ていた。

 新開で、二人が歩いていたのはやはりそういうことか。

 さつきさんは、そこで涙をぬぐうと、意外なことを口にする。

「あの子がまだ見つからんうちに、山田……は別れ話を切り出した……それに、あいつの父親が、うちに来た」

 さつきさんは、そこで席を立つと、キッチンに行って水を飲んだ。そしてそのグラスにまた水を注ぐと、テーブルへと戻る。

「よけいな疑いをもたれて困っとる言うて……いらんことは言うなと。マスコミに何も喋るな言うて……お金を置いて帰ろうとしたから、いりませんて怒鳴って追い出した」

 彼女は、深呼吸を二度して、話を続ける。

「結局、見つからんまま日にちだけが経って、部屋も店も家賃が払えんなるから……お店なんて、開ける気持ちじゃなかったから……お店を閉めて、部屋も解約して、この実家に戻ってきたんよ」

 話がつながった。

 カホのお父さんから聞いた話と、ここで繋がるわけだ。

「でも、こっちに戻ってしばらくして、わたしの口座に山田からお金が振り込まれとった。怖うなったよ……教えてないはずなのに……ちょっと待って」

 さつきさんはそう言うと、席を立つ。

 ミノリが、俺を見て口を開いた。

「顔、大丈夫? 火傷は?」

「なんともない」

「ならよかったけど……」

 さつきさんが、何かの雑誌を持って戻って来た。

「これも、定期的にここに届く」

 雑誌かと思ったが、違った。

 企業が発行する広報誌で、山田建設株式会社のものだった。

「毎年、届く……ここに」

 嫌な感じだ。

 これは、さつきさんからすれば、見張っているぞというメッセージにも受け取れる。しかし、それを仮に相手側へとぶつけたとしても、広報誌を送っているだけです。嫌ならやめますよと、とぼけられたらそれまでのことだ。

「ヒカルは学校じゃ、どういう子だった?」

 さつきさんの質問に、俺は脳裏に、覚えているかぎりのヒカルを描く。

 絵を描く時の、真剣な横顔。

 猫のミィを撫でる時の、優しい表情。

 キーホルダーのデカさをからかった時の、本気で怒った顔。

「ヒカルは、皆と仲良くできるいい奴で……絵の宿題がある時は手伝ってくれて……ゲームも一緒にやって……俺は……」

 俺はここで、言葉につまる。

 目頭が熱くなり、話せなくなった。

 これまで、ヒカルのことを忘れようとしていた俺は、それでも俺の頭の中に、強烈に残る彼の様々な表情で、感情を揺さぶられる。

「俺は……今でも、今でも会いたいです」

 言った時、涙がこぼれた。

 これまで無視してきた自分の感情が、堰を切ったようにあふれてくる。

 喋ることができず、ただ涙を流してはぬぐう俺を見て、さつきさんも涙ぐんだ声を出した。

「田中君、ヒカルは本当に、山田先生とおったん?」

 俺は、迷うことなく頷きを返した。

 涙で、言葉で伝えることができない。

 さつきさんが、泣きながら微笑む。

「もしかしたら、ヒカルは別れた夫のことを覚えとったけ、それを約束させたかったのかも……」

 彼女はそこで鼻をすすると、柔らかな表情となり続けた。

「前の夫が、暴力夫だった……それで別れたんだけど……ヒカルはもしかしたら、あの日、わたしを殴らんでと山田先生にお願いしたかったんかも……実は、ちょうどうちらは籍を入れようという話をしとった……ヒカルは知っとったから……」

 さつきさんは、そこで言葉をとめると両目に涙を溜める。

 そして、懸命に声を絞り出した。

「……あの子、山田先生ならお母さんを殴らんからええよと、言ってくれとったから」

 ヒカルのお母さんは、そこで泣き崩れた。




「運転、大丈夫?」

 ミノリに聞かれて、無表情で頷きを返す。

「涙で、前が見えないなんて言わないでよね?」

「うるさいな。しょうがないだろ、泣くのは」

「事故るなよって言ってんの、わたしは」

「大丈夫だよ、しつこいな」

「あ! わたしは協力してあげてる側なのに!」

「すみません」

 あっさりと敗北した。

 生口島から実家へ向かう車の中。

 ヒカルのお母さんの前で大泣きしたことは、きっとLINEで共有されるに違いない。

 ……それでも、しょうがないじゃないか。

 ヒカルのことを、思い出そうとしたら、すぐに思い出せたんだから。

 俺は、忘れたくなかったんだと思うと、もうダメだった。

「でも、イチ君、すごいよ、すごい」

 なんで褒められている?

「なにが?」

「ヒカル君のお母さんから、話を聞きだしたこと。それに、連絡先まで交換して」

「……怒らせたけどね、予想どおり」

「でも、ちゃんと逃げずに話したからだよ。それに、言い方悪いけど、湯呑を投げてくれて助かった」

 ひどい言い方……ミノリは被害に遭ってないから言える。

 だけど、間違いじゃない。

 あれは怪我の幸いというか、あれがあったからヒカルのお母さんは、俺たちを追い出すことができなくなった。

 ミノリが、運転中の俺の代わりに、情報をスマートフォンにまとめてくれながら言う。

「でも、意外。山田先生、ヒカル君のお母さんと結婚しようとしてたなんて」

「その後、逃げたけどな」

「それはそうなんだけど、でもヒカル君とも関係は悪くなかったっていうのも意外じゃない?」

「結局、思い込みだったんだよな……たしかに、学校で誰かに聞かれたくない。自分の母親と、先生が再婚するってのは……」

「うん、たしかに」

「それで、あちこちをうろうろとして、裏山に向かう途中のどこか、あるいは、学校に戻ってきて話をした」

「ちょっと待って」

 ミノリが言い、考えをまとめるようにゆっくりと話す。

「ヒカル君、いなくなる理由、なくない?」

「ない……これだとないんだ」

 山田先生は、いい人だったかどうかはわからないが、ヒカルと、ヒカルのお母さんにとっては悪人ではなかった。

「それに、山田先生が職員室にいたって嘘をつく理由もなくない?」

 ミノリの疑問に、俺は微妙な顔をしたらしい。

「なに? どした?」

 俺は、言っていいのか悪いのかと迷ったが、可能性があることだしと思って言うことにする。

「例えば、山田先生は結婚する気はなかったけど、ヒカルのお母さんにおしきられそうだった。まずい……どうしよう……悩んでいると、ヒカルがやって来て、お母さんを大事にしてとか、殴っちゃダメだとか言ってきた……はぁ、困ったな、結婚なんてするつもりはなかったのに……て思ってるクズ男だったら、一緒にいたことを隠す。何をしてた? 何で二人で? て聞かれるから……」

「……いるわ、いる……そういうやつ」

「いたの?」

「付き合っていた時はいいんだよ……二十代の時は、わたしも別になんとも思わなかった」

 話はいつの間にか、ミノリ本人のことになっていないか?

「けどね、三十を超えて、あれ? わたしってもしかしてずっとこの人と恋人関係のまま? て思って、質問したら、悪い? て聞かれて……結婚のこととか一緒に考えない? 勇気を振り絞って切り出すと、その気はないってあっさり別れられた」

 さらっと話したが、おそらくこう話せるようになるまで、大変だったに違いない。

 俺は、慰めにもならないとわかっていたが、一応と思い言うことにする。

「そいつを悔しがらせるくらい、幸せになればいいよ。婚活で頑張って、いい人を見つけなよ」

「絶対に、見つける!」

 断言したミノリを見て、自然と笑みとなる。

 彼女は、そこで話が逸れたと気づいたようで、話題を事件に戻す。

「ごめん。じゃ、山田先生クズ男説は検討の余地あり……と」

「ひどい評価」

「いい人だったら、一緒に謝って」

 彼女の言いように、ふと思いついたことを口にした。

「会えないかな? 山田先生に」

「えええ!? どうやって?」

 俺は、後部座席を指さす。そこには、ヒカルのお母さんからもらった、山田建設の広報誌があった。

「会社に電話する。会長って、お父さんだろ? お父さんに話をして、息子さんと会いたいって言う」

「……大胆!」

「俺は、尾道に住んでいないから怖いものがない」

 ミノリが、俺の肩に拳を軽くぶつけてきて笑う。

「言うじゃん! かっこいい!」

 照れ笑いを返したところで、さっそく、明日にでもダメ元で電話をしてみようと思う。

「それはそうと、山田先生が仮にイチ君の言うとおりの人だったとして、それでもヒカル君に手をかける動機としては弱いと思う。それはどう?」

「ミノリの言うとおり」

「じゃ、やっぱり事故かな?」

「事故なら、見つかっていると思う……俺、改めて重視したいのが、三人目のこと」

 俺がそう言うと、ミノリはすぐに理解した。

「四小で、再現した時ね? 誰かが、二人の後ろにいたってやつね?」

「そう、例えば、あの時二人は、三人目に気づいていなかった。三人目は、俺が校舎裏にいたもんだから、すぐに建物の影に隠れた。その人も、見られたくなかったんだ。それで、俺がいなくなってから、その人は二人を追った」

「山田先生とヒカルの話は終わった……さっきのように、いい人だった場合でも、そうじゃなかった場合でも、長い話にはならなかった。三人目は、二人が別れたところを見計らって、ヒカルに近づいた」

「何を目的に? 誰が?」

「それがわかってたら、俺は探偵になれている」

 ミノリが失笑し、俺も笑う。

 車は、向島から尾道へと渡る新尾道大橋を通過した。

 松永方面へと、バイパスを使って向かう。

 彼女は、スマートフォンを操作しながら言った。

「でも、動機と人物がわかんないとしても、ここまでの話から、これは可能性があると思う」

 LINEのグループに、彼女が打ち込んだメモが共有された。

『ヒカルのお母さんと話せたのね! よかった!』

 真っ先に返事を送ってきたのは、マナミだった。

 松永でバイパスを降りて、実家へと到着すると午後二時過ぎ。

 少し早いが、寄り道するほど余裕がなかったので仕方ない。

 二人で、福山で時間をつぶすかと話しながら車を降りると、おふくろが玄関から出てきて両手を大きく振っている。

「ミノリちゃぁああん! ひさしぶり!」

「おばさん、おひさしぶりです!」

「これの運転、荒いじゃろう? ごめんね?」

「いえ、安全運転ですよ」

 親父も、煙草をくわえたまま出てきた。

「まだ時間あるか? 昼飯は?」

「まだです」

 俺より先に、ミノリが答えた。

「食べて行き。お母さんがぎょうさんこさえて食べきれんけぇ」

 親父が誘い、ミノリが遠慮なく母屋へと入っていく。

 おふくろが、お前もいたのかというように俺を見た。

「あんた、どうするん?」

「食べます」

「はよ、入り」

 時間があるから、ちょうど良かったかもしれないと自分に言い聞かせた。


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