昏い瞳
「ねえねえお父さま、お母さまはこう仰っているけど、
果たして本当なんでございますの?
あら…?お父様…?」
青白く神妙な顔をして、目を見開き口を半開きにし、僅かに震えている、寛。
「お父さま…?
わたくし、
もし、
気に障ることを言ってしまったのなら、
ごめんなさい…」
震えは大きくなり唇は痙攣して、青白い顔は真っ赤に変わり、
脂汗をダラダラとかいている。
「お父さま…?お父様?シッカリして!」
「寛さん…?寛さん!?」
何かが腹からせりあがってくるかのような顔をし、口を押さえようとする。
しかし腕は硬直して動かせず、そのまま顔を真っ赤に変えて、
胃の内容物を吐瀉した。
屋敷で食したであろう料理や
さっき食べていたチョコレート等が胃の中で混ざり
ペースト状になったものが口からドバドバと溢れてくる。
チョコレートの甘い香りが無分別に広がる。
「お父さま!お父さまァ!」
「あなた!あなたあああ!」
せりあがっては腕を震わせながら吐き、胃の内容物を何度も何度も嘔吐し
吐瀉物が空になると、今度は胃酸を何度も何度も吐いた。
ハアハアと動物のように洗い呼吸を繰り返し
生唾すら出し尽くしたであろうその時
顔は赤紫色に変わり、顔中の血管が太く浮き彫りになり
震える唇を必死に窄め、せりあがる何かを我慢するも止められず
『カハッァッ!』と喉が締め付けられて出た、乾いた音が空間をつんざき、
そして、うがいでもしているようなゴロゴロ音が、肺からせりあがった瞬間、
口から大量の血飛沫が飛び出した。
「いやあああああああああ、お父様ああああああああ!」
「いや…いや…いやあああああああ!」
吐血を繰り返しているうち、
錆鉄のような臭いがリビング中に広がり、
『ぴちゃ、ぴちゃ、』と血溜りが跳ね返る。
背を仰け反らせ、全身の筋肉を強張らせ、苦悶の表情を浮かべながら、
金魚のように天井を仰ぎ、コヒューコヒューと酸素を激しく求め、
そして、蹴り上げられたかのように全身がピンと強張った体躯。
静寂。
そして崩れるように、
寛は足元から倒れた。
「お父さま、
お父さま、
お父さまァッ!」
駆け寄って、
倒れた父の顔を覗き込む。
いつもと同じ血色の父。
いつもと同じハンサムな父。
なのに、
眉は下がり、
口は半開きになり、
見開かれた瞳からは、
「不本意だ」、
「無念だ」、
「こんなはずじゃない」、
「死にたくない」と、涙が流がれている。
そしてその目は、
シャンデリアを照り返し、
涙の跡を頬につくり、
美純を見ていた。
光すら消え失せて、
その瞳には、
もう、
何も映っていない。
ただただ昏い瞳から、
涙が流れ続けている。
「お父さま…」
「…いやよ、いやよいやよいやよ、駄目駄目死んじゃ駄目、駄目なのよ、
だってさっき約束したじゃない、私を守るって、私が結婚するまで私を守るって、
私の魂が傷つかない様に私を守るってずっと一緒にいるって、
これからも楽器を一緒に演奏しようって絵を一緒に描こうって、
これからもずっと庭仕事を一緒にしようってお父さまが言ったじゃない、
約束したじゃない、嘘よ、こんなの嘘よ、嘘に決まってるわ、だって、
お父さまが私の約束を破るはずないもの、だから嘘よ、嘘なのよ
…あはは、お父さま、わたくしをからかってるのね?そうなのね?
そのうち起き上がって、わたくしをおどろかせてわらうつもりなのね?
ほら、わかってるのよ、おとうさま。ほら、ふざけてると唇をつねっちゃいますよ
…ほら、つねってるわよ、いたいでしょ?ほら…痛くて涙がとまらないのね、
あはは、おいたする悪い子にはお仕置きですよ、
あはは、あはは、あはは、ははははははははは!」
「美純!?何してるの!?」
「お母さま?何してるのって、わかるでしょう?
お父様がいたずらしてふざけてるから、わたくしが」
バチン!
伝恵が、美純の頬をぶつ。
何が起こったのかすら理解できず、
瞳孔の開いた眼で、
ぶたれたままの姿で、宙を見ている美純。
「美純ぃ…美純ぃ…!」
そして嗚咽をあげ泣きじゃくりながら、
伝恵は美純を抱きしめた。
ずうっとずうっと、そうしていた。
半狂乱になった娘と、
咽び泣く妻の傍らで、
寛の目には、もう涙すら流れていない、




