私を産んだ愛の物語
そして暗闇の中、
まだまだ若木の山桜やジャカランダなどの木々が、
大きな屋敷に、小さな葉の影を落としているのが見える。
我が家。
伝恵だけがのほほんとしているなか、
寛と美純は解放されたような、
どっと疲れたような顔をして、家の中に入った。
「それにしても、こんなに頂いちゃって、申し訳ないわね。
もちろん、御返ししなきゃダメよね?」
「いや、それはいいよ。そんな事気にするような人達じゃあ、ないしね。」
「うーん…だけどそんな薄情な事で、いいのかしら?」
「大丈夫さ。もし何だったら、僕がテキトウに見繕っておいて、
君が選んだ事にして、渡しておいてあげるよ。」
「あら、でも、そんな…今度はあなたに申し訳ないわよ。」
「大丈夫、大丈夫。それよりも、君は自分の事を大事にしてくれよ。
今は余計な心配をしないで、自分を労わってくれ、お願いだから…。
…お!
ゴディバのチョコレートがあるじゃないか!
大好物なんだ、これ!
頂きまァす!」
「あら…。じゃあ、おまかせしちゃおうかしらね。」
「うんうん。俺に任せとけ!…ってね。君は食べないのかい?」
「ええ…。向こうでも御もてなし頂いたし、ちょっとね…。」
「…そうだな。じゃあ、チョコは全部俺に任せとけ!…ってね!」
美純は二人の会話を聞いて、
伝恵があの屋敷の「醜さ」に気づいていない事と、
彼女がそれに気づかないのは、
このようにして父が飄々と振舞いながら、
のんびりとした母の心を傷つけないよう、
一生懸命にお道化ているから、
つまり父の献身によるところなのだと、確信した。
それから、
父と母の会話の、文脈や間、言葉遣いから、
何か隠し事をしているようにも感ぜられた。
「いずれお母さまには、あの屋敷で起こったことを話そう…。」
そう思っていた美純だが、それはやめておこうと判断した。
父はこれからずっと、
あの汚物のような屋敷から、
私だけではなく、母をも守るつもりなのだ。
だったらその覚悟を、
己の安っぽい義憤で汚すわけにはいかない。
それに、
二人のあいだに、
娘にも言えない秘密があるのだとしたら、
なおの事、
母にこの事を吐露するのは、藪蛇だ。
そう思って、美純は気分を変えた。
「あら、お父さま。『俺に任せとけ!』だなんて、
ずいぶん野生的な言葉遣いをなさるのね!」
「ははは。確かに最近、そういった言葉遣いはしていないね。」
「あら、じゃあ昔はしていたの?」
美純が、興味津々に身を乗り出して聞く。
「ああ、そうだよ。僕だって昔は、やんちゃしていたからね。」
「あら、意外!
『北条 寛、その実態ヤンチャにつき』なんて号外が出そうなくらい、意外だわ!」
手を叩いて、美純が笑った。
寛はわざと不貞腐れたような顔をして、
「おいおい、茶化すんじゃねーよ、やめろよー。」
と、
安楽椅子の上で、映画俳優のようなポーズを決めてみせた。
美純と伝恵は、お互いの顔を見合わせながら大笑いした。
平和な、家庭そのものの、夜。
「だけど、本当に寛さんって、若いころは野生的な人だったのよ。」
「そうなのね。では、じゃあ、なぜ、
今は優しい立ち居振る舞いをなさっているの?」
「ふふふ…。
それはね、ちょっと複雑な話になるのだけど…。
まずね、事の発端としては、
寛さんが、母さんに告白してくれたことなの。
その当時の寛は、なんというか、
言葉遣いも素行も、とっても野生的で…。
まあ、母さんも田舎育ちだから、野暮ったいところはあったんだけど、
母さんのは男性からあまり好かれない感じで、
寛さんのは女性から好かれる感じだったのね。
だから母さん、
そんな男の人から、
告白されるだなんて露にも思っていなくて、
天地がひっくりかえったみたいに、
夜空の星がすべて落っこちたくらいびっくりしちゃって…。
素敵な方だなとは思っていたのだけど、つい断ってしまったの。
そしたらなんとまあ、
今までの野生的な姿が嘘のように、
寛さんったら、すっかり品行方正になってしまって、
もう、
母さん、
別の人に告白されたのかと思ったわよ、ほほほ…。
そしてついつい、なんでそんなに変わってしまったのかしら?
と気になって仕方なくて聞いてみたら…。
『君に似合う、男性になりたかったんです。
以前のままでは君に信頼して貰えなかっただろうから、僕が変わろうと思って。
それで、今の様子になったんです。
僕は本気です。
しつこいのはわかっています、だけどどうしても、伝恵さんの事が好きなんです!
あなたの事が必要なのです、付き合ってください!』って、
とても誠実で、情熱的なアプローチを母さんになさるものだから…。
『こんなにも男の人から愛されるだなんて、
私ったら、なんて幸せ者なんだろう…。』
そして…。お付き合いさせてもらうことにしたの。
そしてお付き合いをしている内に、結婚をしようという話になって…。
そして、美純。あなたがここにいるわけなのですよ。」
照れくさそうに頬を紅潮させ、
旦那との馴れ初めを話す伝恵の顔は、
とても艶やかであった。
これが、「恋」というものなのだろうか。
初めて聞いた、父と母のラブストーリー。
それを母の口から伝えられ、
美純の心は爛々としていた。
本音を言えば、
聞きたくて仕方のない事ではあったのだが、
親しき中にも礼儀あり。
父には父の、母には母の、
男には男の、女には女の顔があるだろうし、
子には子の守るべき礼儀があると思っていた為に、
聞くに聞けなかったのだ。
なので、
このような形で母から馴れ初めを聞けたことに、
強い感銘と感動を受けたのだ。
「ねえねえお父さま、お母さまはこう仰っているけど、
果たして本当なんでございますの?
あら…?お父様…?」




