解呪
その夜、伝恵は夢を見た。
真っ白な空と黒茶色の大地で、
美純と優一の影が立っている夢。
ふたりの影は、
黒茶色の大地の向こうへと、
遠ざかっていく。
「待って、待って…待って!」
駆け寄る伝恵。
夢中になって走っていると、
突如として声がした。
くぐもった、ドスの利いた低い女の声。
「穢らわしい、お前は実に穢らわしい!お前は、鬼子母神よりも醜い。
赤の他人の子を慈しむ事で、我が子に注ぐことのできなかった思いを、
誤魔化そうとしておる!」
そして突如として現れる、優一と美純の影。
ふたりの影は、伝恵に向かって、こういった。
「偽善者!」
「人殺し!」
「お前も死ね!」
悲しみと衝撃のあまり、青ざめる伝恵。
しかし伝恵は慟哭しながらも、大地に根を下ろすように立って、
懇願した。
「ごめんなさい、ごめんなさい、優一さん、美純!だけどね、だけどね…。
母さん、生きたいの!死にたくないの!生きて生きて、生きぬきたいの!
偽善者でもいい、人殺しでもいい!
あなた達に与えることのできなかった愛や希望や夢を、
せめて他の人達にだけは与えたいの!
だからごめんなさい…死ねないわ…!
…もし私を責めて気が済むのならそうなさい!
さあ、好きなだけ言いなさい!
今度こそすべて受けとめてみせるわ!
あなた達が私を責めて少しでも気が安らぐなら、
母さんは幸せよ!」
「やかましい、死ね!ほれ、自刃の刀じゃ。これを首筋に当てて引けば、
全ての苦しみは終わりを告げる。老いの苦しみも、愛を失う苦しみも、
そなたからすべての苦しみが消える。わらわはそなたを思って言うておるのじゃ!
死ね!」
「やかましいのはあなたの方よ!
…なるほどね、すべてがわかったわ。
あなたが美純と優一さんを自刃するよう、誑かしたのね!
そして今まさに、私の血まで求めている!
美純や優一さんの影をつくって、ふたりが思ってもいない言葉をでっちあげてまで…!
これはふたりに対する限りない冒涜だわ!
あの子達は私の死を望んだりしないわ!
だって、だって…あの子達は、とても心の優しい子だもの!
穢れているのはあなたの方よ!
私は汚らわしい、そう、私の本性は『汚れ』よ!この世界そのものよ!
そしてあなたは独り善がりな美的感覚で、この世界を血で染め上げようとしている!
あなたは呪われている!あなたの本性は『呪い』よ!」
そう言い切った時、
本物の美純と優一が現れた。
二人は涙しながら、伝恵のことを見ていた。
「美純!優一さん!」
……
伝恵は目覚めた。
鳥の囀りが聴こえる。朝だ。
枕元が、涙で湿っている。
そして今も尚、涙が溢れている。
布団から立ち上がり、化粧台へ腰かけ、己の顔を見る。
あのふたりと、同じ顔をしている。
「ふふふ…そういう意味なのね…。
こんなに涙を流したのは、久しぶりだわ…」
……
朝。
誠生は伝恵よりも先に、縁側へと腰かけていた。
「随分はやいお目覚めね。悪い夢でも見ましたの?」
「ふふ、わかりますか。実はそうでしてね…。、
優一と美純さんの影があらわれて、僕の事を、酷く罵る夢を見たんですよ。」
「それでいったい、どうしましたの…?」
「二人の影に頭を下げて、『父さんは生きたいんだ。幸せになりたいんだ。
好きな人と共に、人生を歩んでゆきたいんだ。僕がしてきた事については、
いくらでも謝る。罵りたいなら好きなだけ罵ってくれ。それでお前達の気が済むなら、
それ以上に幸せな事はない。』とね。」
「それで…正体不明の女の声は、聞こえましたか?」
「ええ、よくご存じで。だけどそいつに言ってやりました。
『優一や美純さんは、お前が考えるような心無い人間ではない!
この呪われた阿婆擦れめ!』とね。」
「ほほほ…。過激ですことね…。」
「そしてそう言ったら、本物のふたりが現れて、
僕に向かって優しく微笑んでくれたんです。」
「まあ…そうなの。私の夢だと、ふたりは泣いていましたわ。」
「やはり、あなたも同じ夢を見たのですか?」
「ええ。誠生さんと全く同じような夢を見ました。
あの女にかけた言葉もだいたい同じです。
だけど私の夢だと、ふたりは泣いていたのです。
そして誠生さんの夢だと、微笑んでいた…はて?」
「…ひょっとしたら、僕達ふたりが欲しているものを、
与えてくれたのかもしれませんね…。
僕はふたりが優しく微笑む姿を見て、救われました。
そして伝恵さん。あなたに必要なのは、泣く事だったのではないですか?
あなたはとても気丈で、あまり涙を流さない人に見える。
だから泣かせてくれたのかもしれません、あのふたりが。」
「…ふふふ。そうですね。私もそう思います。と、考えますと、やはり、
あなたは優一さんに似ているし、私は美純に似ているわね…ふふふ…。」
「ははは、血は争えませんね。」




