業
誠生は驚いた。
優一が愛した女性の、幼き日の姿。
「これは…これは、昔の慈与そのものだ…。
見た目だけじゃない、芸事を好み、庭を愛でるところまで生き写しのようだ…」
「きっとこれを、『縁』というのでしょうね。
本来なら生きて結ばれるべきものが、死んで結ばれることになる。
だけど何にせよ、ふたりが結ばれることだけは決まっていた。
『運命』といって差し障りないのでしょう。」
「…伝恵さん、あなたは強い女性だ。あなただってお辛いだろうに、
こんなにも毅然としていて、理路整然と、悲しみの中でも立っている。
僕なんか…ただただ、罪悪感に押しつぶされているだけです…情けない。」
「誠生さん。お気持ちはわかります。私もかつては、ああしてあげればよかった、
こうしてあげればよかったと、嘆くだけの日々を送っていましたから。
だけどね、誠生さん。私、すっかり気づきましたの。
それは残された者の、『思い上がり』だって。
例えばもし優一さんが、
本当に自分の事を『罰せられるべき存在だ』と思っていたならば、
それこそ自殺でもするか、
『僕に石を投げてください』と、全ての人にそう嘆願したはずよ。
だけど彼は、それを選ばなかった。
『他者に罰してもらう』という、とても回りくどい方法を選んだ。
それはつまり、
『許されたい』、『愛したい』、『愛されたい』、そのように思っていたからではなくて?
あなたの話を伺う限り、優一さんは、
『自分は罰せられるべき存在だ』と自分を定義することで、
『愛される可能性のある世界に留まる口実』を、
自分に許していただけのような気がしますの。
だからハッキリ言って彼は、
『僕は母殺しだ。僕は罰せられるべき存在だ。世界から罰せられるべき存在だ』
という美しい口実で、
結局は、独り善がりな考えを肯定していたようにしか見えませんの。
彼の周りには、たくさん、彼を愛していた人もいたはずですよ。
だけど、大勢の人達の愛を、
『僕には愛される権利は無いから』と拒絶するのであれば、
彼もまた、沢山の思いを無下にして、
彼の犯した罪以上の『罪』を犯していたのではないかしら。
そして、それはどのような事情があれ、『彼自身』が下した結論なのですわ。
彼自身が決め、彼自身が選んだ考えなのです。
だから、死んだ人の事をやたらと美しく言って、
ああすればよかった、こうすればと思い悩むのは、
『自分が彼の全人生を全て決定した』と、
その人の意志や決断を蔑ろにする行いではありませんか。
誠生さん。あなたのお話を聞いていて思ったのは、
あなたの考えにもまた、優一さんに似たところがあるという事ですわ。
あなたは、『すべては自分の醜さが招いた結果だ』と御自身を断罪することで、
『罰せられるべき自分』をつくりあげ、
この世界から、自分を罰するための材料ばかりを探し、
他者の思いをほったらかしにして、
『自己嫌悪の城塞』を築き上げようとしている、そのようにしか見えませんの
そしてそのような考え方は、思い上がりではありませんか?
だってあなたが自己嫌悪に陥ったところで、その先に何が産まれるというのですか?
それですべての問題は片付くのですか?そんなはずないでしょう。
もしあなたが優一さんの事を心の底から邪魔だと思っていて、
微塵も愛していなかったのだとしたら、
さっさと優一さんを孤児院にでも放ればよかったではありませんの。
そうしたら優一さんだって、
貴方の顔色を伺う事から解放され、
あなたとしても息子の目に怯える必要もなくなり、
むしろその方が、お互い幸せに生きる事ができたはずですわ。
なのにあなたがそれをしなかったのは、
『息子に対して醜い感情を抱く自分』を、優一さんの近くに置く事で、
自分で自分を罰していたかっただけなんじゃありませんの?
よく思い出して御覧なさい。
本当にあなたの心の中には、
優一さんへの嫉妬や憎しみしかなかったのですか?
本当に、慈与さんの生き形見としてしかだけ、彼の事を見てはいなかったの?
彼が死んだとき取り乱したのは、
彼の存在が、それだけあなたの中で大きかったからではないの?
そもそも、このようにして優一さんの事を思い出している事自体、
彼に対する、あなたの嘘偽りない心情なのではありませんか?
それを『愛』と総称することの、何がいけないんですの?
美純も優一さんもそして誠生さんも、どこまでも自分の心に閉じこもって、
自分の思いに対して好き勝手な名前をつけて、
自分の気に入るものだけに美しい名前をつけて、
その美しいものすら分解して汚いものと美しいものに振り分けて、
なのにその行い自体の是非は問わず、
どこまでもどこまでも、独り善がりな迷宮をつくりあげて…。
そして自分は世界に合わそうとしないのに、
世界に対しては、自分と全く同質のものを要求して、
結局あなた達のやりたい事は、一体何なのですの?
穢れがなく美しい事が、そんなにも尊い事なのですか?
その尊さは、何のためにあるのですか?
美そのもののためにあるのですか?穢れを根絶するために存在するのですか?
要するに、美のための美ですか?
だったら美しくないものは、穢れたものは、
美純や優一さんのように自殺しなければならないんですか?
そんなことは間違っている、絶対におかしい!
だから私は、私の事も誠生さんの事も、醜いだなんて思いたくありません。
そして美純や優一さんの事も、それから寛や慈与さんの事も、
美化するつもりはありません。
ただただこの世界に苦しみ、
そこで生きていこうとしていた意志が、魂が、
この世に存在しているだけですわ!
死んだ美純や優一さん達が美しくて、生きている私達が醜いのだとしても、
私は美純や優一さんのように死ぬつもりはありません。
醜くても、生きます。」
誠生は言葉を失った。
彼女の言葉が。一つ一つ胸に刺さる。
同時に、
大きな膿に針を刺されて、
脂や血がにじみ出る時のような、
快い感覚をも感じて、それに浸っていた。
「例えそれが失われた者達にとって醜いのだとしても、
もし許してもらえなくても、私達はそれでも、
自分の正しいと思う事の為に、生きていかなければならないのよ!
せっかく生きているにも関わらず、
死んだ人達の面影をずっと抱えて悲しみの中で生きていくのは、
新たな美純や優一さんを生み出すだけだわ!
私達は、私達の大事な娘や息子が、
例え歪であっても、この世界で精いっぱい生きたのだという証を、
この世界のずっと先の未来まで、語り継ぐ必要があるんです!
喪失の痛みに心を震わせ、ただ自暴自棄になる時間は終わりました!
センチメンタルの揺り籠で眠っていられる魂の幼少期はもう、
とっくに終わりを告げたのです!
いいですか?生きなさい!
自分を責めるのをやめ、とにかくひたすらに生きなさい!
どんなに悲しくとも、幸せを追い求めなさい!
幸せが何なのかわからなくとも、
それがいつかわかると、いつか手に入るのだと、諦めずに待ちなさい!
そして私達が『幸せ』の見本となって、
私達と関わる人達が、その人達と関わる人達もみんな、
『幸せ』で満たされるようにしなければ、
そこまでしなければ…寛も、慈与さんも、優一さんも、美純も…
成仏できないのではありませんか…?
私達は、醜いのかもしれない。
だからこそ、美しい人達が成せなかったことを、
私達が背負って、成し遂げるしかないでしょう…?」
溢れるほどの熱い思いに、誠生は涙を流した。
それは最早、自分を責める涙ではなかった。
息子の思いを語り継ぎ、そして自身が『幸せの見本』になる。
そこには、『卑屈な男』の顔はもうなかった。
「伝恵さん。僕のような歳の男が、『恋』をするのは、おかしいだろうか。」
「何を突然…ふふふ。何もおかしな事はないじゃないですか。
恋や青春が、若者だけのものであるだなんて、いつ、誰がお決めになったの?」
「そうですよね。僕はもう一度、恋をしてみようと思います。
慈与の時と同じぐらい、いや、それ以上に幸せな恋を。」
「そうですわね…。私も素敵な恋を、探してみてもよいかもしれません…。」
「…よろしければ、この屋敷に泊っても宜しいですか?」
「ええ、構いませんよ。私はもう、未亡人ですので…。」




